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重度カードゲーマー女子、過労死転生した異世界でも恋愛をプレミして詰んだ件  作者: 酣睡


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恍惚の走馬灯と底知れぬ老翁

重厚で色褪せた朱塗りの鳥居をくぐり抜けた瞬間、現世の微細な喧騒のすべてが、冷え切った濃霧によって一瞬にして呑み尽くされたかのようだった。


ルシアは、長生殿へと続く青石の古道へと足を踏み入れた。


両脇に整然と立ち並ぶ春日灯籠には、とうの昔に深緑の湿った苔が生い茂り、石の隙間からは細やかな露が滲み出ては、音もなく石柱を滑り落ちていく。


灯龕の奥深くで揺らめいているのは、人の世の火ではない青白い冷気の焔だった。それは夜霧の中に漂う無数の冥蝶の如く、硫黄と冷杉の気配に満ちた濃霧のただ中に、幾重もの夢幻的で幽微たる光の斑紋を滲ませている。


温泉郷の深奥に隠されたこの神社は、純粋にして古めかしい和の様式を湛えていた。低く垂れ込める反り屋根、地脈の起伏に沿ってどこまでも曲がりくねり伸びる檜造りの長廊。


その木肌は、長年にわたり山嵐と温泉の蒸気を浴び続けたことで、黒曜石のように深く、潤いを帯びた冷たい光沢を放っている。


回廊を歩む僧侶たちの足元から響く木屐の音は、澄み渡り、虚ろな「カラン、コロン」という音となって底知れぬ暗閣を伝い、やがてそれよりも遥かに広大な静寂の中へと完全に吸い込まれていった。


周囲には、数千に及ぶ注連縄が張り巡らされている。白い「紙垂」は静止した大気の中で微かに揺れ、歳月に削られて毛羽立ち黄ばんだその端は、まるで現世へと垂れ下がる無数の招魂幡のようだった。


細やかな夜風が軒先を撫でるたび、四方に吊るされた古銅の風鐸が、囁くような極めて微弱な金属の涼音を立て、ひとつ、またひとつと、魂の防壁を静かに叩いていく。


ルシアの右腕に装備された、新開発の錬金武装が低く鈍い歯車の噛み合わせ音を漏らした。この神域にも等しい死寂の中にあって、その機械音はあまりにも耳障りで、異質だった。


彼女は、長生殿の本殿を隔てる障子戸の前で足を止めた。


細やかな格子木の間から漏れ出してくるのは、神仏の加護を宿した光明などではない。沈水香に古い薬草が混ざり合い、さらには極めて微かな血錆の甘い匂いすら孕んだ濃密な霧だった。


障子の向こうに揺らめく光と影は、揺れる水面越しに覗く景色の如く妖しく立ち現れ、目の前にあるものが現世の殿堂なのか、それともいつ深淵へと沈むか知れぬ荒唐無稽な悪夢なのか、その境界すら曖昧にさせていく。


ルシアは深い翠の瞳を伏せ、ほっそりとした左手を伸ばすと、その指先で重厚な格子戸を静かに押し開いた。


張り詰めた古琴の弦が断ち切られたような、木軸の長く尾を引く軋みとともに――悪夢のように静謐で美しい神社は、彼女に向かって最初の一筋の冷たき深淵を開け放った。


「施主、このような刻限にこれほど奥深くまで……一体、何用でございましょうかな」


古木を擦り合わせたかのような低く濁った声が、暗がりを湛えた本殿の深奥から緩やかに響き渡った。


ルシアは答えなかった。天頂に懸かる月が放つ青白い清輝が、彼女の華奢な輪郭を床に長く引き伸ばしている。


この深夜に、全身に仕込み武器と機巧を纏って山門を踏み越えるなど、誰の目から見ても明白な「不審者」であり「凶兆」そのものだ。


だが、ルシアは初めからその悪意を繕う気など毛頭なく、右腕を覆う冷たい金属装甲すら、長袖で覆い隠そうとはしていなかった。


「……夜風が骨身に染みましょう。せっかく足をお運びいただいたのじゃ、中へ入ってお座りになられては?」


老僧はこの長生寺の住職であった。半身を向けたその物腰は、あたかも夜道に迷った旅人を迎え入れるかのように温和極まりない。


その異様なまでの泰然自若とした親愛の情は、ルシアの胸に奇妙な狂いと錯覚を呼び起こした。本能は目の前の底知れぬ危険に対して狂ったように警鐘を鳴らし続けているというのに、肌を包むこの静寂は、神経の尖りを奇怪なまでに撫で下ろし、沈溺にも似た安らぎを覚えさせていた。


ルシアは瞳の奥の冷気を引き締め、重々しい木敷居を一歩跨ぎ越えた。


内殿の光景が、眼前に音もなく広がっていく。そこは、幽邃を極めた古の和の空間であった。一枚の巨木から切り出された老檜の床板は地勢に沿って幾重にも広がり、長年吸い込み続けた温泉の気によって黒玉の如き艶を帯び、両脇に低く構えられた朱塗りの欄干を鏡のように映し出している。


大人の腕ほどもある無数の白蝋燭が銅製の燭台に立ち並び、風ひとつない深殿の中でその焔を微かに揺らしては、障子に落ちる松の枝影を伸縮させていた。


漂う白檀と沈香の清らかな薫香に、極めて希薄な硫黄の匂いが混じり合い、まるで夢幻の薄絹となって内殿全体を半明半暗の幽微の中へと包み込んでいる。


そして――高く掲げられた沈香木の梁の下には、人の身の丈ほどもある巨大な八角の走馬灯が吊り下げられていた。


それは、俗世では決して拝むことのできぬ精巧極まる機巧であった。わずかな風の力も借りず、ただ地下の温泉霊脈から立ち上る温かな硫黄の熱気のみを受け、頂に配された雲母の風輪を無音で回し続けている。


熱で飴色に透き通った絹紙の灯壁の奥では、何かの油脂から精製された長生の冷燭が静謐に燃え盛り、回転軸に施された繊細な切り紙の影を、半透明の幕へと鮮明に焼き付けていた。


熱気に燻され、影が息を吹き返す。


それは、古めかしい甲冑や典礼服を身に纏った影の群れであった。


気流に駆り立てられるがまま、彼らは前の者の踵を踏み、その背を追い縋り、始まりも終わりもない狭小な八角の檻の中で狂ったように疾走し続けている――追う者は永遠に半寸届かず、逃げる者もまた永遠に解脱を得られない。


どの紙人の顔にも、かつての細工人の手によって、極細の朱砂で描かれた寸分違わぬ硬直した笑みが刻まれていた。


揺らめく灯火が、その凍りついた笑い顔を明暗の境界に浮かび上がらせては掻き消していく。それは骨の髄まで冷え切るような滑稽さと、残酷さを孕んでいた。


ルシアは見上げ、始まりも終わりもない影の軌跡を深い翠の瞳に映しながら、忍び足のように軽やかだったその歩みを、黒木の上で唐突に止めた。


彼女は元より、走馬灯を眺めることを恐れてなどいなかった。


本来ならば、身心ともに完全に粉砕された二度の死を経て、前世の記憶など深海へ沈んだ砂粒のように色褪せているはずだった。


しかし、血の臭気と殺気に満たされた静まり返る夜に限って、それらの朽ち果てた記憶の破片は、毒を含んだ棘のように前触れもなく神経の深淵から突き刺さってくるのだ。


おぼろげに覚えている。魔法などなく、鋼鉄と排気ガスだけに満ちていたあの平々凡々たる世界で――幼き日の彼女もまた、熱気渦巻く縁日の片隅で、このような紙灯籠を見上げていたことを。


あの頃の灯籠は小さく、それを取り囲む人の輪は大きかった。周囲の大人たちは、灯壁を回り続ける騎馬武者の影を指さし、「綺麗だ」「見事だ」と手を叩いて笑っていた。


人混みの最前列に押し出された幼い彼女もまた、大人たちに混ざって無邪気に手を叩いていたのだ。小さな掌を真っ赤に腫らし、瞳をその神秘的な回転の世界への憧憬で満たしながら。


あの時の彼女は思っていた。これは手品であり、賑やかな見世物であり、人を楽しませるための愛らしい人形なのだと。


だが……一体いつからだっただろうか。自分自身が、決してこの灯籠の外へ出てなどいなかったのだと気づいてしまったのは。


前世の記憶とは、巨大な灰色の碾き臼であった。人を喰らうコンクリートジャングルで僅かな残飯にありつくため、彼女は夜も明けぬうちから目覚まし時計に叩き起こされ、オイルサーディンのようにすし詰めにされた地下鉄へ部品のように押し込まれ、同じように疲弊し麻痺した無数の顔の間を行き交わねばならなかった。


早起き、通勤、上司の叱責、顧客への貼り付けた愛想笑い、指の関節が軋むまでのキーボード連打、深夜のコンビニで齧る固くなったおにぎり、そして床に倒れ込み寝返りを打ちながら次の夜明けを待つ日々。


あれが、最初の灯籠だった。来る日も来る日も歯車は噛み合い、自分が明日の家賃を追っているのか、それとも貧困の深淵から逃げ惑っているのかすら、とっくに感覚を失っていた。


やがてあの不条理な過労死が彼女を碾き臼から引き裂き、血統と神権、そして絶対的な暴力が階級を支配するこの残酷な異世界へと投げ込み、あまつさえもう一度の死を味わわせた。


自分は今度こそ新しい生を掴み取ったのだと、彼女は錯覚していた。平民としての防御姿勢を身に纏い、前世で培った知識を総動員して右腕に魔力圧縮砲を組み上げ、死の極限にあっては堕天使すら圧し潰すブラックホールの特異点にすら辿り着いた。


だが結局のところ、何ひとつ変わってなどいなかったのだ。


小さな灯籠から、さらに巨大で、さらに冷酷な八角の走馬灯へと転がり落ちたにすぎない。


底から吹き上げる熱気は、一度たりとも止みはしなかった――それは上位者が気まぐれに施す権威であり、帝国皇太子が差し伸べる甘い懐柔であり、カリーナ大公の放つ理を砕く事象干渉であり、クレア侯爵令嬢の息の詰まる病的な執着であり、そして先ほどオース教皇が見せた、春風の微笑みの裏に万の手を巡らせた政治的包囲網そのものだ。


その目に見えぬ力は、この長生殿の底から立ち上る地脈の熱気と同じように、四方八方から彼女の背中を押し、立ち止まることなく疾走することを強要してくる。


彼女は泥沼の中で生死の一歩一歩を打算し、諸勢力の張り巡らせた鋼の糸の上で優雅に踊らされ、幾度となく刃の切っ先を踏み越えて、痛覚を失った怪物の如く立ちはだかる敵を粉砕し続けねばならない。


灯の外には、いつでも冷徹な目をした観客たちが隙間なく立ち並んでいる。


帝国の権力者、教皇庁の審問官、北境の軍閥、そしてカリーナやオース……彼らは冷たい光の輪の外、階級と力という透明な絹紙の向こう側に立ち、方寸の檻の中で無様に足掻く彼女の姿を見下ろしているのだ。


観客たちは手を打ち鳴らして賞賛する。その冷徹さを讃え、隠された切り札に目を見張り、その制御不能な危うさと美しさに陶酔しながら。


そして、灯の中にいる紙人には、疲弊を露わにする権利など初めから与えられてはいない。


紙人の顔は、切り出されたその瞬間に、朱砂によって運命づけられている。それは笑っていなければならず、涼やかでなければならず、非の打ち所のない冷徹な理性で満たされていなければならないのだ。


なぜなら、一度でも人間らしい脆さを見せ、回転の中で眩暈を覚え、蹌踉めき、あるいは膝を屈したならば――外を取り囲む観客たちは酷く落胆して眉を顰め、「興醒めだ」と吐き捨てて背を向けて散っていくだろうから。


弱肉強食がすべてを支配するこの世界において、観客を失った灯籠に待つ末路は、誰の手も届かぬ冷たい物置小屋へと放り捨てられ、虫に食われ、蜘蛛の巣に覆われ、塵へと朽ち果てることだけだ。


次の新しい駒が切り抜かれ、灯壁に別の精緻な顔が据えられたとしても、それが回り出す様は、かつてと寸分違わぬ囚人の舞踏にすぎない。


ルシアは双眸をわずかに細め、その視線を黄ばんだ絹紙の奥へと突き通し、最深部で燃え盛る一本の蝋燭へと留めた。


走馬灯の神髄とは、狂乱して走り回る紙の影などではなく、中央で絶え間なく熱を供給し続けるその芯にこそある。


蝋燭が消えぬ限り、地熱が尽きぬ限り、紙人は一日たりとも安らぎを得られない。紙人が狂ったように回転すればするほど、外で足を止める観客は群がり、観客の視線が熱を帯びるほど、中央の蝋燭は早く燃え尽き――最後の一滴の蝋涙が青い煙へと消え失せたその瞬間、虚妄の幻影は一瞬にして崩壊し、凝固する。


『私のこの火種が尽き果てた時も……おおよそ、同じ幕引きなのだろうな』


ルシアはまつ毛を伏せ、内心で微かな自嘲の笑みを漏らした。


その笑みには怨みもなければ、悲哀すらない。ただすべてを解体し尽くした後に残る、荒涼とした孤高だけが宿っていた。


この世の誰かが自分をこの灯籠から救い出してくれるなど、彼女は露ほども望んでいない。神も、大公も、教皇ですら不可能なのだから。運命の熱気が今なお皮膚の裏で渦を巻き、前世の魂と現世の残骸を継ぎ接ぎしたこの骨組みがまだ完全に砕け散っていないのなら――


どう足掻いても、この檻から逃れられぬというのなら。


ならば、回るまでだ。


どの紙人よりも速く回り、盤上を支配している気でいる観客どもが目を回し、心胆を寒からしめるほどに回り狂ってやる。


たとえこの身が熱気に焼き尽くされようとも、この紙張りの牢獄を根こそぎ発火させ、見下ろす全員を道連れにして灰燼へと堕ちるその時まで。


「チッ」という極めて微かな金属摩擦の音とともに、ルシアが体側に垂らしていた右手の五指が引き絞られ、装甲の内部で機械軸が冷徹なロックを完了させた。


彼女は八角の走馬灯から視線を外し、瞳に揺らめいていた一切の夾雑物を、底知れぬ氷の淵へと沈めた。


柔軟で頑丈な靴底が、鏡の如き老檜の床板を捉え、一切の迷いも躊躇もない、孤絶にして清冽な足音を一つ鳴り響かせた。


無数の揺らめく蝋燭の影が支配する広間の中、黒髪の少女は何食わぬ顔で歩を進め、薄暗い仏龕の下で静かに数珠を爪弾く盲目の老僧の真正面へと対峙した。


「私が今宵ここへ足を踏み入れた理由、ご存じないとは仰いますまい。単刀直入に申し上げます――教皇庁の異端審問官が手掛かりを嗅ぎつけ、すでに山裾まで迫っております。その矛先は、この長生寺。ご協力願えますか、住職殿。貴方が知るすべてを、私に洗いざらいお話しいただきたい」


ルシアの声は冷え切っており、指先は袖の縁に掛けられたままだ。


自身に何ら公的な身柄拘束権も捜査権もないことなど、百も承知であった。あの狐のようなオース教皇が自分を都合のいい駒として使い、その真の狙いがこの老僧の力量を測るための小石を投じることにすぎないことも。


しかし、本殿へと足を踏み入れ、この老僧と数丈の距離を隔てて対峙したその瞬間、ルシアの背筋の産毛は制御を失って逆立っていた――この枯れ木のような肉体の奥底に潜む危険の深度は、彼女の最悪のシミュレーションすら遥かに凌駕していたからだ。


無言の膠着の中、ルシアは垂らした右手の出力軸を、気取られぬよう微かに微調整した。


それは肘までを覆う漆黒の戦術錬金手袋。無駄を削ぎ落とした薄い装甲に、精密な誘導レールが隙間なく刻み込まれている。この武装の着想は、彼女が前世で社畜として生きていた頃の、呆れ果てるような滑稽な記憶に端を発していた――


ある日、金儲けのことしか頭にない会社の社長が、酒席で某有名ゲーム制作陣にいいように丸め込まれ、過去の名作アクションゲームのリブート開発を受注してきたのだ。


自社が一般的な業務システムの受託開発しかしていないことなど意に介さず、「どうせキーボード叩いてコード書くのは一緒だろ」と放言し、結果としてチーム全員をまる一ヶ月にわたる徹夜地獄へと叩き落とした、あの悪夢。


それは、かつて無数の少年少女を熱狂させた横スクロールの名作――暴走したロボットたちが世界を蹂躙し、青い装甲を纏った主人公のロボットが右腕の砲をチャージして重厚極まりない一撃を放ち、打ち倒した強敵の特殊チップを解析・鹵獲して己の力としていくゲーム。


かつて機械梟【刻刻】との連携戦闘を構築する際、ルシアは戦術的な不均衡を痛感していた。左手は常に重厚な錬金手札をめくり、魔力を注ぎ込み、術式を展開せねばならず、主たる攻撃手段となるはずの右手が防衛の空白期に晒されがちだったのだ。


それゆえ彼女は、その少年時代の記憶の核を、己の手で再現した――手袋の内部には複数の極小魔力整流タービンが刻印され、極限状態においては、超圧縮された凶悪な密度をもって、僅か零点三秒のインターバルで二発の破壊的な濃縮魔力砲を連射できる。


戦術論理は、冷酷なまでに単純明快だ。初弾で相手のあらゆる魔法障壁と肉体防御を食い破り、次弾で寸分違わぬ着弾点へと叩き込み、対象の存在そのものを完全に蒸発させる。


二発の内に、神魔とて滅ぶ。


だが、今この空間に澱のように沈殿している山嶺の如き威圧感は、冷水を浴びせられたかのようにルシアの自信を底から凍りつかせた。


目の前の老僧は盤石の如く座し、その呼吸は寺院そのもの、地脈そのものと完全に同化している。一見すれば隙だらけの無防備に見えながら、ルシアの実戦解析の視野に映るのは――ゼロ距離からこの魔力砲を二発連続で直撃させたところで、皮一枚すら傷つけられぬかもしれないという、深淵の化け物の姿であった。


「……施主が先ほど走馬灯を眺めておられたその眼差し、察するに、酷く痛ましい過去を思い出しておられたのではありますまいか?」


老僧は両手を合わせ、樹皮のように乾ききった指先で静かに数珠を爪弾いた。その重々しく響く声は広大な本殿を震わせ、あたかも隣近所の檀家と世間話でも交わすかのように長閑な響きを湛えている。


半眼に閉ざされた濁った瞳は、ルシアの顔に焦点を合わせてはいなかった。しかしそれは、空間も次元をも踏み越え、引き裂かれ再構築された彼女の魂の根源そのものを正確に射抜いていた。


「実に、不憫な子じゃ……二度も命を落としながら、心の執着も悔恨も未だ解脱を得られず、行く先の道にもまた茨と血の雨が立ち込めておる。何を苦しむことがあろう……真に、憐れむべき子よのう……」


老僧の言葉が落ちたその刹那――ルシアの脳内で張り詰めていた一本の神経が、爆音を立てて弾け飛んだ。


思考を挟む暇すらなかった。二度の生を修羅場の中でくぐり抜けてきた本能が、彼女の右腕を、放たれた矢の如き速度で跳ね上げさせていた。


金属が激しく噛み合う甲高い破砕音が響き、甲の装甲が外側へと三寸スライドして、掌心の暗金色の排気孔が剥き出しとなって老僧の背中を一直線に捉える。


黒髪の少女の右腕を這う漆黒の錬金回路が、息を吸う間隙に危険極まりない蒼炎の光を放ち、本殿を満たす狂暴な地脈魔力を鯨飲するように吸い上げ、群がる蜂の羽音にも似た鋭い風切り音を鳴動させた。


冷や汗が、ルシアの青白い顎を静かに伝い落ちる。


この異世界へと堕ち、這い蹲って生き延びてきた今日に至るまで、彼女が「二度死んだ」という戦慄すべき秘密を他人に明かしたことなど、ただの一度たりともなかった――カリーナであれ、クレアであれ、あの怜悧なオース教皇ですら、彼女を正体不明の「異界の渡り人」としか認識していないはずなのだ。


それなのに、この深山の古寺に巣食う怪僧は、初対面の一瞬で彼女の魂の最深部に横たわる死の輪廻を見破ったばかりか、憐憫の情すら湛えながら、未だ形を成さぬ彼女の暗澹たる未来の因果すら、遥かに見通していた。


それは単なる実力差などではない。己の存在理由も、隠し続けた因果もすべてその掌の中に握り潰され、逃げ場の一切を断たれたことに対する――絶対的な恐怖であった。

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