神殿挑戦の終わり、砕けたる彼女の彷徨
荒れ果てた修道院の廃墟に、陽光が容赦なく降り注いでいた。
それは、どこか残酷な気配を孕んだ眩い輝きであった。
崩れ落ちた大理石の天蓋と生い茂る蔦の合間を黄金の木漏れ日が縫い、砕け散った白石の敷石の上にまだらに落ちては、微塵と野草の青臭い匂いが空気中に揺蕩っている。
歳月に見捨てられたその静謐なる温もりの中、一行の歩みはあまりにも重苦しく、痛々しいまでに際立っていた。
クレアは意識を失ったルシアを両腕で必死に横抱きにし、覚束ない足取りながらも、決して揺るがぬ意志を込めて前へ進んでいた。
その紫の双眸はとっくに泣き腫らされ、目元は痛々しい乾きと赤みに覆われ、頬には乾ききらぬ透明な涙痕が幾筋も残されている。
一歩を踏み出すごとに、彼女は腕の中の華奢で単薄なルシアの身体をさらに強く抱きしめた。
まるで少しでも力を緩めれば、紙細工のように脆く傷だらけの肉体が、陽光の下でそのまま灰となって霧散してしまうのを恐れるかのように。
ルシアはクレアの肩口に力なく頭を預けていた。普段ならば嘲笑か倦怠を浮かべていたはずの墨緑色の瞳は固く閉ざされ、黒髪に縁取られた横顔は、今や一筋の血の気すら見当たらぬほど蒼白で、その呼吸は鼓動の有無すら疑わしいほどに微弱であった。
彼女の唇の端には、淡い黄金の燐光と清廉な薬草の芳香がわずかにこびりついていた――先ほど無理やりに流し込まれた「万霊薬」の残滓である。
最高峰の秘薬が誇る圧倒的な生命力がその胎内で荒れ狂い、天体の重力と神罰の反動によってズタズタに引き裂かれた内臓と経絡を強引に縫い合わせていた。
しかし、どれほど神聖で不条理な効能であろうとも、魂の最奥から絞り尽くされた枯渇までを埋め合わせることは叶わない。
彼女はただ深く眠り続けていた。すべてのぜんまいを抜き取られた精巧な人形のように、血と汚れに固まった黒髪を風に遊ばせるがままにさせていた。
そしてクレアの数歩後ろを、ヴァレリーとジュリアが前後に続いて歩んでいた。
頭上には温かな金光が降り注いでいるというのに、二人の周囲には拭い去れぬ氷のような暗雲が立ち込めている。
ヴァレリーの手は腰の武器の柄に掛けられ、過度な握力によってその指節は病的なまでに白く強張っていた。
俯かせた顎の輪郭は研ぎ澄まされた刃のように引き結ばれ、酒紅色の髪の隙間から覗く金眼は、今にも暗雲から雨が滴り落ちそうなほどに険しい。
常に冷静沈着であった瞳の奥底には、抑えきれぬ自責、やり場のない苛立ち、そして背筋を伝う戦慄が渦巻いていた――
もし自分たちの到着がほんの半歩でも遅れていれば、もしルシアが最後の一撃の反動に耐えきれず潰えていれば、いま抱き上げられていたのは物言わぬ冷酷な残骸にすぎなかったのだから。
その傍らを歩くジュリアもまた、完全に沈黙を守っていた。憧れの先輩であるルシアの前で見せるような表情は見る影もない。
その唇は引き結ばれて冷たい直線を描き、鋭く陰鬱な視線は、生気を失ったルシアの横顔に終始釘付けになっていた。彼女が放つ重苦しい威圧感は、周囲の大気そのものを凝固させるかのようだった。
足元で枯れ枝や瓦礫が砕ける乾いた音が、張り詰めた全員の神経を容赦なく踏み躙っていく。
誰も口を開こうとはしなかった。
燦爛と温かく廃墟を照らし出す陽光は、鮮血と薬香、そして悔恨が交錯するこの一行の胸の内に巣食う深黒の影を、何ひとつ照らすことはできなかった。
――数分前の光景が、嫌でも脳裏に焼き付いて離れなかった。あのルシアと神殿の守護者による、死闘の記憶が。
わずか数分前、あの「星骸葬場」は時空の激しい震盪の中で、褪色した絵画のように端から瓦解していったのだ。
ルシアはついに、正真正銘の断崖絶壁へと追い詰められていた。最後の一滴の心血と魔力を絞り尽くした果て、限界を迎えた魔力回路は鈍い激痛を軋ませ、数億光年規模の虚構なる深空をこれ以上繋ぎ止めることは叶わなくなった。
あの場域術式は、決してただ虚勢を張るための舞台装置などではなかった。
その本質は、ルシアに「重力の影響を一切受けない」という特権領域を付与し、至近距離で人造ブラックホールを炸裂させようとも自壊せぬための免罪符。
そして何より、天を覆い尽くす審判の巨星【天刻崩星・虚偽なる凶眼】がその数万キロメートルに及ぶ鋼鉄の身躯を展開し得る、唯一の幾何学的空間を確保するための領域であったのだ。
ゆえに、場域術式の解除に伴い――
深空を覆っていた機械の巨眼は重々しい機括の合致音を響かせ、億万の同心円歯車は虚空で粉々に解体され、散りゆく黄金の魔導光輪の粉塵へと還っていった。
天体のごとき生体機械巨星は見る間に収縮を遂げ、最後は極めて微かな「カチリ」という金属音を残し、暗金色の琉璃眼珠を持つ掌大の真鍮細工――【刻刻】の姿へと成り果て、砕けた白石の床へと無力に墜落した。
その翼を微かに痙攣させた後、完全に沈黙した。
次元の剥離。現実たる神殿の地下廃墟が、再び周囲を冷徹に包み込む。
魔力枯渇の反動が億万の鋼針となって脳を苛み、仲間を重力の潮汐から庇護していたルシアの重厚な水銀屏障もまた、融解した鉛のごとく崩れ落ち、敷石の隙間へと滲み消えていった。
「ルシア――ッ!」
水銀屏障が消え去った刹那、遠方からクレアの泣きじゃくるような歓声が響いた。
あの恐るべきブラックホールが守護者を跡形もなく呑み込む光景を目の当たりにし、ヴァレリーとクレアは一片の疑いもなく、死線を越えた狂喜を顔に浮かべて、廃墟の中央にぽつりと跪く細い背中へと駆け出していたのだ。
だが、十歩と進まぬうちに、異変は前触れなく訪れた。
予兆も、溜めすらもなく。神殿の廃墟を満たす大気が、一瞬にして太陽の表面を思わせる純白の熾熱へと跳ね上がった。
「……下がって! 行っちゃダメ――ッ!!」
ヴァレリーの顔から歓喜が剥ぎ取られ、致命的な災厄を嗅ぎ取った戦士の本能的な絶叫が引き裂くように響き渡る。
先ほどブラックホールによって素粒子レベルまで分解されたはずの特異点跡地で、残された因果律が逆流する滝のごとく轟然と炸裂した。
高次元の神聖概念そのものが凝結した蒼白の光焔が天を衝き、周囲の巨石を一瞬で虚無へと蒸発させていく。
光が収束した刹那、虚空に浮かび上がる純白の存在が、廃墟の上に降臨した。
それはもはや、肉体の質感を有していた先ほどの堕天使ではなかった。
荒れ狂い燃焼する超低温の白炎で形作られ、目鼻立ちはなく、中核で音もなく回転する冒涜的なまでに純粋な神聖の光輪のみを宿す。
そしてその燃え盛る躯体の背後から、純白無垢にして数十メートルにも及ぶ巨大な光の翼が、整然と六枚、緩慢に広がっていった。
上翼は天幕のごとく折り重なって垂れ、直視を許さぬ御顔を覆い隠す。
中翼は天地を断つ光の刃のごとく水平に展開され、極小の羽ばたきすら空間全体と共鳴の唸りを上げる。
下翼は恭しく、かつ冷酷に、神聖なる虚無の下肢を包み込んでいた。
翼を覆うのは柔らかな羽毛などではなく、緩慢に蠢き回る無数の黄金のルーン眼瞳であった。それがそこに滞空しているだけで、周囲の石礫や瓦礫は理を無視して自然発火し、純白の灰燼へと帰していく。
――熾天使。
宿体が物理法則によって完全に破壊された後、神殿の真なる核が露わにした、終極の神性形態。
ルシアは焦土と化した瓦礫の中に力なくへたり込み、両腕で上体を支える力すら失っていた。
真正面から叩きつけられる狂暴な神威に胸を押し潰され、喉の奥から再び鉄錆の生々しい熱さが込み上げてくる。
掌大の【刻刻】は、彼女の血塗れの指先の下で、冷たい死んだ鉄屑のように転がっていた。
切り札は尽きた。
魔力も尽きた。
立ち上がる気力すら、先ほどの術式によって魂ごと吸い尽くされていた。
天翔けるその優雅で、神聖で、先刻よりも数倍もの威圧感を放つ六翼の怪物を見上げ、ルシアの白紙のような顔に浮かんだのは、驚愕でも絶望の悲鳴でもなかった。
彼女はただ、裂けた唇の端を途方もなく億劫そうに引き攣らせ、力なく首を傾げた。充血し、深い眠気と倦怠に濁った瞳で空を仰ぎ、微かに掠れた自嘲の溜息を絞り出すように漏らしたのだ。
「は……このクソ神殿……まだ、第二形態なんて隠してやがったの……」
ルシアは熱を帯びた焦黒の瓦礫の上へと力なく倒れ伏した。
もはや膝を突く姿勢を保つことすらできず、その損壊した身体は打ち捨てられた朽ち木のように横倒しになっていた。
指先は粗い灰燼の中へ深く沈み込み、かすかに痙攣するたび、剥がれた爪の隙間からどす黒い血が滲み出る。
喉の深奥には鉄錆と内臓の焼け焦げた異臭が満ちていた。それは全身の魔力回路を限界まで酷使し、過負荷によって自壊を始めた証であった。
息を吸うたびに、胸の内側で錆びたやすりが砕けた骨を削り取るような痛みが走り、肺胞に溜まった鬱血を吐き出す力すら残されていない。
持ち札は、すべて出し尽くした。
相手に第二形態が存在することを知らぬまま、己の持ち得るすべての力、切り札、そして最後の狂気を総動員して突っ込んだ結果が、この完全な弾切れという結末であった。
何の言い訳も成り立たない、あまりに無様で無策な戦術的惨敗。
「帰りなさい、美しき我が友よ」
天幕に揺らめく純白の光焔――六翼の熾天使の声音は、変わることなく透き通り、破壊された廃墟に温かな泉のごとく染み渡っていった。
「挑むというのなら、いつでも再び来るがよい。ここで命を散らすことに、何の意味もないのだから」
嘲弄もなければ、勝者特有の見下すような傲慢さもない。
だが、一切の不純物を交えないその真摯な優しさと慈悲こそが、灼熱に焼かれた毒の鈍刀となって、ルシアの心臓を無残に貫き、抉り回したのだ。
命すらも……敵の手によって施されたものにすぎない。
それは肉体を肉片へと叩き潰されることよりも、一万倍も耐え難い屈辱であった。
血と汚れに貼りついた睫毛が細かく震え、心の奥底に封じ込めていたはずの記憶が、濁流となって脳裏に押し寄せてきた。
前世における、無様で、悔しさに満ち溢れていた日々の数々。
まだ「村雨」と名乗っていた頃の、理不尽な運命と生活に幾度となく泥濘の中へと顔を押し付けられた人生。
あるいは、カリーナの背中を惨めに追い続け、冷淡に無視され拒絶され続けたあの激痛……そのいずれの記憶においても、彼女は傷つき、血を流し、幾度となく敗北の辛酸を舐め尽くしてきた。
だが、あの時の彼女は、今ほど息が詰まるほどの悔恨を味わったことなどなかった。
なぜなら過去の自分は、たとえ敗れ去ろうとも、その敗北は堂々たるものであったからだ。
「村雨」として生に縋り付こうとしたあの狂気じみた意志の輝きを、誰一人として否定することはできなかった。
前世においてカリーナを追い求めた、あの狂おしいまでに純粋な真心を、誰も貶めることなどできなかったのだ。
負けはした。だが、その矜持と自尊心を踏み躙られたことなど、一度たりともなかった。
だが、今はどうだ。
魂を薪にして焼き尽くし、この身に許された最強の力、物理法則すら冒涜する天体の特異点を叩きつけたというのに――返ってきた現実は、敵が無傷でより崇高にして絶望的な姿を現し、路傍で息絶えかける野良猫に慈悲を与えるように、穏やかに告げる言葉だったのだ。
――帰りなさい、私はそなたを殺めない、と。
身も心も、この瞬間に完膚なきまでに叩き折られた。
血と埃に塗れたルシアの頬を、二筋の涙が無言のまま伝い落ちた。
声を上げて泣き叫ぶことも、嗚咽を漏らすことすらできない。ただ血の気を失った下唇を噛み締め、こぼれ落ちる涙が焦げた敷石へと一滴、また一滴と落ちては、小さな黒い染みを作っていくだけだった。
弱者。
無能。
そして、冷酷な現実に打ち据えられた底知れぬ絶望――七つの石板を集め、神殿を踏破する?
そんなものは、身の程知らずの道化が描いた滑稽な絵空事にすぎなかったのだ。
目の前の神造物がその温容をもって接してくれなければ、ブラックホールが事象の地平を閉じたその瞬間、自分はとうに塵へと還っていたはずなのだから。
底知れぬ屈辱とやり切れなさが冷たい泥水のように意識を呑み込み、視界の縁が急速に闇へと沈んでいく。
目尻から最後の涙がこぼれ落ちると同時に、ルシアの頭は敷石の上へと力なく落ち、完全に意識を途絶えさせた。
「ルシア――ッ!!」
狂乱したクレアが転がるように駆け寄り、敷石の破片で膝を擦り剥くのも構わず滑り込んだ。震える両腕で、血塗れとなって息も絶え絶えな少女をそっと抱き起こし、その蒼白な頬へ大粒の熱い涙を次々と零落させていく。
傍らに立ち尽くすヴァレリーの身体は、まるで石像のように強張っていた。
同じく地球から転移してきた異邦人として、ヴァレリーの指節は白く軋み、その掌には全戦闘を記録し終えた魔導留影水晶が握り締められていた。
いま目前で何が起きたのか、彼女ほどその異常性を理解している者はいなかった。
あれは魔法の応酬などではない。ルシアが己のすべてを代償に引きずり出した【天刻崩星・虚偽なる凶眼】――微小ブラックホールを意のままに現出させる、不可名状の化身であったはずだ。
ブラックホールなのだ。
人間が築き上げた物理学の常識において、光すら脱出を許されず、銀河系すら貪り尽くす宇宙の絶対的終焉。この世界に、ブラックホールの潮汐力をもってしても屠れぬ怪物など存在するはずがあるのか。
だが、現実はあまりに残酷な平手打ちを彼女の横顔に見舞った。目の前の熾天使は生き延びたばかりか、堕天使の枷を脱ぎ捨て、より純粋で崇高なる六翼の神姿をもって彼女たちを見下ろしている。
神殿――これほどの絶対領域を、本当に人間が攻略することなど可能なのか?
手の中で熱を帯びる魔導器を見つめ、ヴァレリーの胸中は激しく波打っていた。
もしこの記録を公表すれば、大陸中の強者たちはブラックホールすら凌駕する六翼の怪異を目の当たりにし、神殿へ足を踏み入れる気力を根底からへし折られ、時代そのものが絶望に包まれるだろう。
だが公表せねば、これは無数の挑戦者たちが命を賭しても決して持ち帰れぬ、唯一無二の生存情報なのだ。
ヴァレリーが激しい葛藤に身を苛まれる中、虚空の熾天使は身じろぎもせず、水平に広げた中翼を静かに一度だけ羽ばたかせた。
――フォン。
彼女たちの目前で空間が溶けた白銀のように揺らぎ、神聖な燐光を放つ光のアーチが音もなく構築されていく。
門の向こうには、神殿の地下を抜けた先にある、あの荒涼として明るい修道院の廃墟が揺らめいていた。
「連れて帰りなさい」
熾天使の声には歓喜も怒りもなく、ただ旧友を見送るかのような微かな哀惜だけが漂っていた。
「無意味な戦いに、終止符を打つのだ」
その姿形は確かに歪な火光と無数の瞳で編まれ、魂を凍りつかせる人外の恐怖そのものであった。だが、その振る舞いは身の毛がよだつほどに慈悲深い。
最初から最後まで、彼がルシアに対して殺意を抱いたことなど一度たりともなかったのだ。あの【刻刻】に対しても、放たれた攻撃は関節と魔力経路のみを穿ち、「機能停止」だけを狙ったものにすぎなかった。
彼が、あまりにも絶対的な強者であったから。
凡人の解き放ったブラックホールを前にしてなお、その残酷なまでの寛容と温もりを崩さずにいられるほどに、超越した存在であったからだ。
ヴァレリーは奥歯が砕けそうなほど強く噛み締め、湧き上がるすべての屈辱と戦慄を無理やりに飲み下した。
彼女は背を向け、泣きじゃくるクレアの手を借りてルシアを抱き起こすと、二度と振り返ることなく光のアーチを潜り抜けた。
初の神殿攻略は、完膚なきまでの、骨の髄まで叩き折られるような惨敗に終わった。
隊から三名が脱落した。もっとも、この人喰い神殿に足を踏み入れる前から、全員が暗黙の了解として織り込み済みだった――
あの三人は元より索敵と罠の解除、そして都合の悪い障害を片付けさせ、いざとなれば冷酷に「見殺しにする」ために連れてきた捨て駒にすぎなかったのだから。
この苛烈な世界において、足手まといを切り捨てることなど生き残るための当然の掟であったはずだ。
だが今となっては、散っていった三つの命も、自分たちの巡らせたあらゆる権謀術数も、神殿の最奥に鎮座する六翼の怪物を前にしては、小賢しい道化の茶番劇にしか見えなかった。
支払った代償はあまりに重く、得られた戦果は爪の垢ほどの情報にすぎない。
いまヴァレリーの手元にあるのは、神殿を徘徊する狂暴な守護獣たちの討伐法と、破壊神殿の地下へと続く隠された螺旋階段の見つけ方だけ。
だが、それが一体何の役に立つというのか。最深部で天体ブラックホールの潮汐力すら無傷で跨ぎ越す六翼の熾天使を前にして、彼女の思考は真っ白に焼き切れ、勝機の一欠片すら手繰り寄せることができずにいた。
何をもって勝てというのか。凡人の刃か、それとも底知れぬ絶望の深淵を肉の壁で埋め尽くせとでもいうのか。
暗く冷え切った地下通路を抜け出た瞬間、修道院廃墟の外に広がる眩い陽光が、ヴァレリーの網膜を容赦なく射抜いた。
光はあまりに暖かく、あまりに明るい。だが、骨の髄から這い上がる刺すような悪寒を拭い去ることはできなかった。
鉛を流し込まれたように足取りは重く、彼女の意識は無意識のうちに、遥か彼方の異世界――消毒液の匂いと重苦しい喘息が満ちる、あの病室へと引き戻されていた。
そこには不治の病に臥せる母親が横たわり、生体モニターの微弱な電子音が、一秒刻みで彼女の帰還を急かし続けている。
彼女には、どうしても戻らねばならない理由があった。
手に入れた知識の数々から、七つの石板をすべて揃えることこそが唯一の帰還の道であると、明確に確信していたのだ。
目標はこれ以上なく明瞭で、帰路への数式はとうに揃っていた。しかし、その解の行き着く先には、宇宙の物理法則すら打ち破れぬ絶対の巨壁が立ちはだかっていた。
悔恨、憤怒、そして押し寄せる無力感が、毒の蔦となってヴァレリーの心臓を締め上げる。
彼女はただ頭を垂れ、機械のように両脚を前へ繰り出し、涙で顔を濡らしながらルシアを抱き締めるクレアの背を追って、この「破壊神殿」を後にするしかなかった。
廃墟の外、荒れ果てた枯草の繁みの傍らに、豪奢さを抑えつつも重厚な威容を保った公爵家の馬車が一台、静かに佇んでいた。
御者台には、フェリンが背筋を正して静謐に腰掛けていた。その足元にはパンパンに膨れ上がった大きな革製の大背嚢が置かれており、幾重にも締められた留め具から、彼女が前もって潤沢な真水と糧食、そして応急の包帯を周到に用意していたことが窺える。
彼女はただ一人、神殿の外でじっとその時を待っていたのだ。余計な動揺も見せず、主の帰りを待つ忠実な影のように。
だが、廃墟の出口から現れた一行の姿を捉えた瞬間、フェリンの握る手綱が微かに、しかし強烈に強張った――クレアの腕の中には血と泥に塗れ、まるで骸のように脱力したルシアが抱かれ、その後ろを歩くヴァレリーとジュリアの双眸には、生還を喜ぶ気配など微塵もなく、ただ死人のような灰色の翳りだけが張り付いていたからだ。
ヴァレリーは、フェリンが浮かべた驚愕の眼差しを見返すことができなかった。
死線を潜り抜けた安堵などよりも、いま彼女の胸の内を激しく蝕んでいたのは、根底から瓦解してしまった己の「信念」であった。
彼女は自らの判断を、ルシアの隠し持つ底力を、そして現代の地球人が培ってきた英知の数々を盲信していた。
それらがあれば、この異世界の過酷な困難など必ずや乗り越えられるのだと。
だが、現実はどうだ。ルシアが己の命運のすべてを賭し、現代物理学において禁忌とされる天体ブラックホールすら解き放った果てに手に入れたものは、神殿の守護者から施された、哀れな捨て猫を撫でるような「見逃し」にすぎなかったではないか。
ヴァレリーは足を止め、クレアの腕の中でピクリとも動かないその姿を、穴の開くほど凝視した。
ルシアの唇の端には、万霊薬の放つ黄金の光沢と、赤黒く凝固した血の塊が痛々しく残されていた。
普段ならば減らず口を叩き、怠惰を貪り、「疲れた、帰りたい」と零しながらも決して屈しなかったあの少女が、いまや触れれば指先から砕け散ってしまいそうなほどに脆く横たわっている。
息が詰まるほどの苦い激情が喉元を這い上がり、息を吸い込むことすら激痛を伴った。
ヴァレリーは人生で初めて、足元の崩れ去るような自己疑念の深淵へと突き落とされていた。
家に帰るため、自分はこの状況をここまで押し進めてしまった。
希望を繋ぐため、仲間が死にゆくのを冷ややかに見過ごし、ルシアを命の限界まで追い詰めさせてしまった……。
自分が頑なに信じ、歩んできたこの道は――最初から、本当に正しかったのだろうか?




