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重度カードゲーマー女子、過労死転生した異世界でも恋愛をプレミして詰んだ件  作者: 酣睡


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また後攻スタートですが、死んでもこの勝負受けて立つ

夜の帳が、息が詰まるほど厳格な幾何学美を誇るグラフィエン公爵邸の外壁へと重々しく降りていた。


それは、ルネサンスの秩序を偏執的なまでに遵守した壮麗なる建築物であった。


寸分の狂いもなく等間隔で整列する大理石の円柱が冷ややかな対称性を描き、半円形の高いヴォールト天井が、冷たく白い月光の下で濃淡の際立った深い影を落としている。


邸宅の隅々に至るまで、最上流貴族の理性と体面、そして見下すような高潔な教養が誇示されていた。ただ一つ、今まさに最下層の側廊、その冷え切った石畳の上に転がっている肉塊を除いては。


それはまるで、清浄無垢な美術展示室の真ん中に無造作に投げ捨てられた、薄汚い雑巾のようであった。


――ルシア。それが彼女の名だ。


粗末な麻布を継ぎ接ぎして編まれた安物のワンピースを身に纏い、その擦り切れて白く毛羽立った襟元は、今や冷えゆく暗赤色の粘液を吸い上げたスポンジのようにじっとりと濡れそぼっている。


ただでさえ小柄で華奢な身体は、丸まって横たわると、まるで成長の止まった子供のように頼りない。だが、その肋骨の輪郭すら透けて見えそうな薄い胸のど真ん中には、突兀として茶利口ほどの悍ましい空洞が穿たれていた。


それは冷兵器による整った切り口などではない。極限まで圧縮された高圧の爆炎火球(エクスプロージョン)が、わずか半秒の間に生体組織を暴力的に気化させ、貫通した無惨な爪痕であった。


数千度にも達する熱波は、一瞬にして皮膚と肉の組織を蒸発させ尽くした。穿たれた空洞の周囲の肌は無残に捲れ返り、その縁は熱によってとうに黒く炭化した壊死組織へと成り果て、油が焼け焦げた臭いと蛋白質が炭化した鼻を突く悪臭を立ち上らせている。


へし折れた数本の肋骨が、白々とした断面を剥き出しにして宙に突き刺さっていた。まるで大型の鉄槌で叩き潰された櫛の歯のように不揃いで痛ましい。


胸腔の前後は完全に貫通しており、走廊の曲がり角にある通風口から夜風が吹き込むたび、遮るものなく彼女の胸の中へと吹き抜け、「ヒューヒュー」と気味の悪い空洞音を鳴らしていた。


衝撃があまりにも過酷であったため、最初の数秒間、破壊された神経は空白に陥っていた。しかし、その直後に襲いかかってきたのは、何万本もの灼熱の鉄針が一斉に脊髄神経に沿って弾け飛ぶような、狂気じみた凌遅(りょうち)の激痛であった。


瀕死の呼吸をひとつ重ねるごとに、それは最も酷烈な処刑へと変わる。


残された半截の肺葉が酸素を求めて蠢こうとするが、吸い込んだ冷気は決して酸素として血肉を巡ることはない。ただ巨大な黒い空洞から漏れ出すだけであり、気泡が破裂する音と血水が気管へ逆流する「ジュルジュル」という絶望的な音を伴うばかりだ。


喉の奥には、激しく咳き込もうとしても吐き出せない灼熱の血泡が詰まっていた。胸壁が痙攣するたびに、炭化した縁に残された敏感な痛覚神経が引き裂かれ、少女の小さな顔面は死灰のような蒼白に染まる。


十本の指は身の下にある冷たい石畳の継ぎ目へと死に物狂いで食い込み、剥がれ割れた爪が、石板の上に幾筋もの乱雑で痛ましい血の軌跡を刻みつけていた。


極度の失血がもたらす冷気が、爪先や指先から容赦なく逆流してくる。まるで無数の冷酷な毒蛇が、血管を這い上がって彼女の損なわれた臓腑へと侵入してくるかのようだった。


――本当に、クソったれな人生だ。


ルシアの焦点を失った深緑の瞳は、見上げるドーム天井に精緻を極めて描かれた「神々の慈悲」のフレスコ画を虚ろに映し出していた。酸欠によって耳鳴りが木霊する脳裏には、乾ききった空虚な嘲弄だけが渦巻いていた。


二度の人生、どちらも寸分違わずクソの山だった。


前世――あの保存料まみれのコンビニ弁当の臭いと、狭苦しいワンルームの湿気に満ちた世界において、彼女の人生は誰にも顧みられない退屈な笑い話に過ぎなかった。


機能不全の家庭から容赦なく振り下ろされるベルトと平手打ちが少女の自尊心を粉々に打ち砕き、学校の廊下で頭から被せられたモップの泥水が、彼女に「永遠にうつむいて生きる」術を叩き込んだ。


三十一年間の孤独な生涯において、唯一の居場所と呼べるものは、高熱を吐き出す型落ちのデスクトップパソコンと、無数のプレイヤーから唾棄されていたあの硬派極まるカードゲームだけであった。


それは数値のバランスが完全に崩壊し、先攻の勝率が実に九十九パーセントに達する絶望的なゲーム。その狂った環境において、先攻を引いた一握りの天才と幸運児たちは、玉座にふんぞり返りながら脳死でカードを叩きつけ、それだけで後攻側の人間を泥の中へと完全に圧殺することができた。


だが、彼女はどうだったか?


まるで狂気の発作に取り憑かれたギャンブラーのように、その最も絶望的な賽の河原において、命を削りながら「不可能な打破」に挑み続けたのだ。


毎日のサービス残業を終えたあと、ボロボロのマイクに向かって配信をつけ、誰もいない深夜の部屋で掠れた声を張り上げながら「デッキとの絆を信じるんだ!」と叫び続けた。そして、緩慢なる死を意味する【後攻】のボタンを、自らの手で一戦また一戦と押し続けた。


汗に塗れた指先で裏紙の上に幾千ものカード利用率を狂ったように計算し、自傷と解体のシナジーを導き出し、主流プレイヤーたちの嘲笑を浴びながら、彼女はその絶望的なゲームにおいて、後攻勝率を奇跡とも呼べる十パーセントまで叩き上げたのだ。


それは、十回戦って九回負けるという「奇跡」であった。


界隈の者たちは彼女を「孤高の生ける伝説」と囃し立てた。だが現実は、雨漏りのする安アパートと、慢性的な関節炎、そして三十一歳を迎えたあの夜――二ヶ月連続で無休の十二時間勤務をこなし、帰宅後に八時間の配信を続けた過労の果てに、唐突に鳴り響いた心停止の不協和音をもたらしただけだった。


あの冷え切ったキーボードに突っ伏して息絶えた瞬間、彼女は、この世のすべての理不尽な屈辱を清算し終えたのだと錯覚していた。


だからこそ、この異世界の幼き器の中で再び瞳を開いたとき、彼女は惨めな少女のように、「運命がついに私に『リセット』の恩恵を施してくれたのだ」と無邪気に信じ込んでしまったのだ。


今度こそ、美しい初期手札(ハンド)が配られるはずだと。


異世界転生小説の主人公のように名を馳せ、堂々と誰かを愛し、そして世界中の誰からも深く愛されるような、そんな人生を歩めるのだと。


現代社会で育った彼女には性別の垣根などなかった。美男も美女も分け隔てなく愛せるほど貪欲に、ただこの新しい世界で、後先も顧みずに誰かの本物の温もりを抱きしめたかった。


だが運命は、ただシャッフルするディーラーを取り替えただけで、彼女を再びカビ臭いゴミ箱の中へと放り込んだに過ぎなかった。


平民の生まれ、早逝した両親、そして一本の蝋燭の芯にすら火を灯せないほど微弱で下等な魔力総量。

魔力の多寡こそが絶対の身分を決定づけるこの世界で、彼女は二世にわたる底辺の執念を糧に、極限の領域に達する錬金術を編み出した。


だが、生まれながらに満ち溢れる魔力を有する貴族たちの眼に、錬金術とはどのように映るのか? それは単に、魔力なき下賎の者共が生計を立てるために弄ぶ、小細工と投機に満ちた卑しい技術に過ぎないのだ。


彼女は雀の涙ほどの俸給を握りしめ、グラフィエン公爵邸の門を潜った。白髪赤瞳の冷艶なる女主人――カリーナ公爵に雇われた家庭教師として。


その職務内容は、カリーナの甥に錬金術の基礎を教授すること。しかし、その甥であるルーカスは、錬金術を激しく蔑視する天賦の魔法の天才であった。


初めてカリーナを目にしたとき、霜雪のように凛冽なその佇まいに、ルシアの三十年間枯れ果てていたはずの心臓は、再び愚か者のように激しく跳ね上がってしまった。


見初められたかった。居場所が欲しかったのだ。


彼女は哀れに尾を振る野良犬のように、羊皮紙の教案を毎日寸分狂わず清書し、氷のように冷え切った空き教室で、傲慢なる若君ルーカスが施しのように現れるのをじっと待ち続けた。


乏しい給金から小銭を削って安物の黄銅や歯車を買い集め、油照の下で夜を明かして目を充血させながら、精緻なオルゴールや恒温のカイロを組み上げ、期待に震える手でカリーナの前へと差し出した。


権力や富を貪りたかったわけではない。


彼女はただ――今度こそ命を懸けて追いすがれば、いつか過去を振り返ったとき、「私は全力を尽くした」「二度と『逃避』や『臆病』を悔やむことはない」と、自分自身に誇れると信じたかったのだ。


だが、返ってきたものは何であったか。


「下賎の者が弄する浅ましい算段を、グラフィエンの庭園に持ち込むな」


カリーナは、懸命に時を刻む精巧な歯車たちに視線を落とすことすらなく、その豪奢な絹のドレスは風の一筋さえルシアのために揺らすことはなかった。


「その手を弁えろ。お前は雑工としての分内だけをこなしていればいい」


そして、あの高身長で筋骨逞しい若君ルーカスは、大理石の走廊で召使いたちが見ている前で、彼女の商売道具である工具箱を一蹴りのもとに粉砕し、小柄で無力な彼女を上から見下ろして冷酷に吐き捨てたのだ。


「汚らわしい錬金術師め。学院の試験に下品な薬品の調合比率が出題されでもしなければ、貴様などここの空気を吸う資格すらないわ」


まる三年。


彼女はカリーナが纏う白いレースの手袋の指先にすら、掠りもできなかった。


そして今夜、彼女の命の幕引きとして相応しい、大掛かりな陰謀劇すら用意されてはいなかったのだ。


ただの日常茶飯事である刺客の夜襲――その軌道を外れ、暗殺者が片手間に投げ捨てた高圧の火球が、あっけなく彼女の胸骨と内臓を吹き飛ばした。


刺客は彼女の生死を確認するために立ち止まることすらなく、石畳に撒き散らされた彼女の血を踏み躙りながら、豪奢なる主館を目指して疾走していった。


彼女のために剣を抜いてくれる護衛などいない。彼女のために悲鳴を上げてくれる侍女などいない。


まるで神殿の石段を這い蹲り、通りすがりの馬車の車輪に無造作に踏み潰された甲虫のように、内臓を石板に塗りたくられ、それを掃除することすら手間だと吐き捨てられる存在。


「ケホッ……カハッ……」


ルシアの喉元から、壊れた鞴(ふいご)のような嗚咽が漏れた。焦げた肉片の混じった黒ずんだ血塊が口端から大量に溢れ出し、細く青白い顎のラインを伝って、泥濘んだ襟元へと流れ落ちていく。


二筋の濁った涙が、炭塵と血糊に塗れた頬をゆっくりと滑り落ち、冷たい黒髪の中に吸い込まれて消えた。


彼女は叫ばなかった。その瞳には、もはや怒りの色すらない。


そこにあるのは、二世にわたって堆積し、完全に底まで腐り果てた絶望と、果てしない疲弊だけであった。


――ああ、そうだよな……。


元いた世界ですら何ひとつ成し遂げられず、誰からも踏み躙られていたゴミクズが、世界を変えたからといって、なぜ自分が劇的に生まれ変わり、人々に愛される主人公になれるなどと思い上がれたのだろうか。


あの甘美な夢も、身を焦がすような求愛も、信じた絆とやらも……そのすべては、骨の髄まで敗北者である自分が、現実という冷徹な鏡から目を背けるために繕った、醜悪な目隠しに過ぎなかったのだ。


【敗北】。


その二文字は、真っ赤に熱された錆びた鉄の杭のように、彼女の魂の核へと深々と打ち込まれていた。


どれほど緻密に計算を重ねようと、どれほど命を削って前借りをしようと、この世界の残酷な盤上において、彼女は常に最悪の手札を握らされ、最悪の劣勢である後攻の席に座らされ、そして高みに座す者たちの気まぐれな一手によって、たったの一撃で粉々に粉砕されるのだ。


胸に空いた風通しのいい大穴は、ついに痛覚の一切を喪失した。絶対の冷気が感覚のすべてを呑み込み、全身が底なしの氷河の底へと沈み込んでいく。


周囲の雑音が遠のき、視界は重く淀んだ血の赤に塗り潰されていく。


散大しかけたその深緑の瞳の端に、ただ自らの黒ずみ、細かく痙攣する指先だけが映っていた。


死の淵において、少女の青白い唇が極めて微かに蠢いた。


そして、深淵よりも冷たく、自嘲の極みに達した小さな笑みを、その口元に浮かべたのだ。


――このゲーム……どうやら私は、また投了(サレンダー)を押すしかないらしい。


ルシアには、もはや瞼を閉じる力すら残されていなかった。


神経の伝達信号は、千切れた凧の糸のようにぷつぷつと肉体の中で途絶えていく。瞳孔は完全に開ききり、深緑の瞳の光は混沌とした灰色へと退行した。


睫毛をかすかに震わせるという反射行動すら、到底手の届かない絶望的な望みとなっていた。


いわゆる「死んでも死にきれない」とは、まさにこのような無様な姿を指すのだろう。


だがそれこそが、いかにもルシアらしい末路と言えた。前世において青白い光を放つモニターの前で息絶えたときも、そして今、凍てつく石畳の上に横たわっているときも、彼女の死に様はいつだって酷く見苦しい――見開かれた虚ろな両目、半開きになった口、そして血泡を吐き出しながらの最期の一息。


品格などない。遺言すらない。ただ炎天下に干からびて死んだ泥鰌(どじょう)のようであった。


だが、まさにその意識の残滓が深淵の奈落へと滑り落ちようとした、その刹那――

身を包んでいた冷たく硬い感覚が、唐突に変容した。


何者かが、彼女を抱き上げたのだ。


激しく震えるその腕は、細心の注意を払いながら、狂気じみた恐慌に駆られたように、今にも二つに折れそうなその華奢な躰を血溜まりの中から掬い上げた。粗末な麻布越しに、残された半截の胸腔へと、柔らかく激しく波打つ誰かの鼓動が押し当てられる。


両目はとうに視界を失い、鼓膜にはキーンという甲高い耳鳴りだけが響いていたが、凍てつきかけたルシアの知覚は、それでも極めて微かな温もりを捉えていた。


何者かの温かい、熱い雫が――


冷たく汚れ果てた彼女の小さな顔の上に、ぽたぽた、と滴り落ちていたのだ。

それは煤塗れの口元を伝い、微かな塩気を含んだ苦い味を残していった。


切れかけた理性の最後の細い糸を手繰り寄せ、彼女は茫漠と理解した。

誰かが、自分を救おうとしているのだと。


胸に風穴の空いたこの肉塊を抱き締め、無駄だと知りながら治癒魔法を注ぎ込み――あまつさえ、自分の死を悼んで、声を殺して泣いているのだ。


――まったく、おかしな話だ。


停止しかけたルシアの脳髄が緩慢に回転し、荒唐無稽な苦笑を浮かべようとする。


門番から若君に至るまで、自分を雑工か家の恥としか見ていなかったこのグラフィエン公爵邸において、一体誰が、自分の死などに涙を流すというのか?


自分に視線ひとつ施さなかった、あのカリーナ公爵か?


それとも、自分の消失を誰よりも願っていたルーカスか?


あるいは、厨房でいつも黒パンをくすねていた料理番の老婆だろうか?


思い当たる者は、誰ひとりとしていない。


だが――その答えが誰であれ、もはや何の意味も持たなかった。


胸の内に残された最後の微熱はとうに消え失せ、抱き締めてくれるその腕がどれほど温かかろうと、火球で臓腑ごと焼き尽くされた骸を蘇らせることなど叶いはしないのだから。


最後の最後、ルシアは持ち堪えることができなかった。


暗闇が粘り気のある巨大な網のように、容赦なく彼女の全存在を永遠の無重力の中へと引きずり込んでいった。


落ちてゆく虚無の中で、彼女は第三者のような冷めた眼差しで、自らの二世にわたる生涯を振り返っていた。


異世界は楽しかったか?


もし今、誰かが目の前にマイクを突きつけてインタビューしてきたなら、ルシアは間違いなく血反吐を吐き捨てて、無表情のままこう答えるだろう。


――クソゲーすぎて反吐が出る、と。


やりたい奴がいるなら、勝手にやり直せばいい。数値はインフレ、身分制度は固定化、ルールは野蛮で、天井(セーフティ)の救済すら存在しない底辺のゴミゲー。


もう二度と付き合ってやるものか。私は完全に負けを認めた、ギブアップだ。投了ボタンの連打である。


もし私の魂が、これほど不幸にも三度目の世界へと投げ込まれる運命にあるのだとしたら――その時は誓って、一切の尊厳を捨て去り、完璧に自堕落で、徹底的にサボり倒すスローライフ(笑)を貪ってやろう。


努力もせず、誰にも媚びず、毎日安いパン屑だけを齧り、日陰の路地に転がって野垂れ死ぬのを待つのだ。そうすれば、いつか通りすがりの刺客に火球で吹き飛ばされたとしても、今のように、胸を押し潰すような無念と怨嗟を抱かずに済むだろう。


ルシアの二度目の人生は、享年二十三歳。刺客による辻斬りじみた暗殺によって幕を閉じた。


笑える話だ。前世で三十一年、今世で二十三年。二つの人生を足し合わせれば、彼女の精神年齢はとっくに五十歳を超えているというのに。


半世紀以上も生きた魂を抱えておきながら、結果としてこれほどまでに無様で、惨めで、何ひとつ成し遂げられない人生を歩んでしまった。


けれど――それこそが、人間の本質というものなのかもしれない。


何百歳も生きたからといって知謀湧くが如く、すべてを掌の上で転がすような転生小説の主人公など、所詮は都合のいい作り話だ。


過去に積み重ねてきた人生こそが、冷え固まった鉄のようにその人間の輪郭を決定づけてしまう。それは何度転生しようと、どれほどの失意に塗れようと、決して骨の髄から洗い流すことのできない刻印なのだ。


彼女は前世において、四畳半の安アパートに引きこもり、十戦して九戦負ける泥沼のデッキを握りしめながら息を潜めていた負け犬だった。


ならば今世において、たとえ五十年の人生経験を上乗せされたところで、運命という名の盤面が覆されたその瞬間、彼女が落とすべき勝負は、何一つ疑う余地もなく無様に完敗するのだ。


すべては論理的であり、


すべては、至極当然の帰結であった。


彼女は瞳を閉じた――否、彼女の意識は、そのあまりに妥当な敗北の帳の中で、ついに真の平穏と安息を迎えたはずだったのだ。


しかし。

そんな彼女を嘲笑うかのように、この茶番劇は終わってなどいなかった。


朝の光が、窓枠の向こうにある葉を落とした楡(にれ)の枝を透かし、グラフィエン公爵邸の地下にある使用人部屋へと、細く、出し惜しみするように差し込んでいた。


――寒い。


その肉体が最初に知覚したのは、灼けつく激痛ではなく、骨の髄まで染み渡るような乾いた冷気であった。


爆炎によって肉が気化した焦臭さもない。肋骨が肺を貫いたときの、あの風通しのいい空洞音もない。それどころか、急速に熱を失っていったあの生温かい血の海すら、どこにも存在しなかった。


「っ……!?」


ルシアは激しく息を呑み込み、硬い藁屑の敷かれた狭い木製ベッドの上から弾かれたように跳ね起きた。


両手を見る。華奢で、青白く、十本の指先には長年水銀や器具を扱ってきた証である薄いタコが張り付いている。骨折などしていない。石畳を掻きむしったときに剥がれ落ちたはずの爪も、泥や血に汚れることなく元の位置に収まっていた。


無意識に胸へと手を当てる――擦り切れて硬くなった麻布のワンピースには穴ひとつ空いておらず、掌の奥からは、微弱ながらも規則正しく刻まれる、確かな拍動が伝わってきた。


それは、紛れもない生者の脈動であった。


「……は?」


少女の小さく青白い顔に、荒唐無稽と茫然自失の入り混じった純白の空白が広がった。


死んでも死にきれなかったあの息苦しさと、舌の根に残っていたはずの鉄錆の味が、まだ生々しく残っているというのに。ほんの数秒前まで、自分は虚無の闇の中で「サレンダーだ」と自嘲していたはずなのに。


それなのに世界は、彼女をリザルト画面からログイン画面へと、強引に蹴り戻したのだ。


――リセット。


三度目の人生。


地球の三十一年、異世界の三年。加算して半世紀を超える精神年齢が、今まさに、二十歳を迎えたばかりの栄養失調気味な華奢な肉体へと、そのまま押し込められていた。


彼女は靴を履くことすら忘れ、凍てつく石板の冷たさに素足のまま床を踏みしめ、部屋の隅にあるペンキの剥げ落ちた粗末な鏡台へと駆け寄った。


机の上には、寒々しい数点の私物だけが並んでいる。端の擦り切れた錬金術のノート、コルク栓のされた数本の安価な水銀瓶、そして広げられた帝国標準の羊皮紙カレンダー。


インクで記されたその日付は、紛れもなく――彼女が公爵邸に初出勤した「あの日」を示していた。


「……嘘でしょ、おい。どんな配牌ミスだよ……」


見覚えのある数字を凝視しながら、ルシアの口元が引き攣るように痙攣し、あまりの脱力感に乾いた笑いが漏れた。


リスポーン地点の設定が、悪趣味極まるにも程がある。


せめてあと三日、いや四十八時間だけでも巻き戻してくれていたなら、「急病の発症」であれ「実家の墓が燃えたので帰省する」であれ、あの呪わしい契約書を破棄して夜逃げする手段などいくらでもあったはずだ。


よりによって、今日。


今朝は、平民の孤児としての粗末な荷物を背負い、グラフィエン公爵邸の重厚な門を正式に跨いでしまった初日なのだ。


昨日の夕刻には外郭の執事長によって書類に刻印が押され、彼女は形式上、この強大な貴族邸の雇われ家庭教師となってしまっている。


無断で逃亡すれば、契約違反の逃亡奴隷として指名手配される。


かといって、このまま留まれば……。


その先のシナリオなら、吐き気を催すほど熟知していた。


これからの丸三年間、彼女は情けなく尾を振る野良犬のように、氷のように冷え切った空き教室で、傲慢なる白髪の若君ルーカスが侮辱しにやって来るのを毎日待ち続けることになる。


乏しい給料をすべて歯車に変えてカリーナ公爵への贈り物を作り、最後は「雑工の分際を弁えろ」の一言で切り捨てられる。そしてある夜、通りすがりの刺客に火球で胸を撃ち抜かれ、害虫のように通路の隅で死ぬのだ。


「このルートは、確定のバッドエンドよ」


ルシアは軋む木の椅子を引き、机の前に静かに腰を下ろした。


吹き込む朝風は肌を刺すように冷たい。だが、その深緑の瞳の奥に淀んでいた混濁と瀕死の恐怖は、冷気の中で急速に、完璧なまでに消え去っていった。


手持ちの札がどれほど破綻しているかなど、嫌というほど理解している。


マッチ棒一本にすら点火できない下等な魔力、皆無に等しい家柄。血統と高位魔法が絶対の理であるこの世界において、彼女の手元にあるリソースは、道端で初歩の火球を弄んでいる見習い魔術師にすら遠く及ばない。


正面からぶつかれば即死。公爵邸に留まり続けても、三年後には道端のゴミとして処理される運命だ。


一度死んだのだ。


「努力して貴族に認められれば逆転できる」などという下らないお花見気分の妄想は、胸に穿たれたあの焦げた風穴とともに、疾の昔に灰燼へと帰した。


この公爵邸には、一日たりとも長居するつもりはない。


契約が交わされてしまったというのなら、堂々と正規の手続きを踏んで終わらせるまでだ。


辞表を書き、教材の引き継ぎを行い、たとえ半日分であっても微々たる手付金を清算し、そして一番早い乗合馬車に飛び乗って、この死臭漂う要塞からオサラバする。


ルシアは深く息を吸い込むと、細く冷たい両手を持ち上げ、自らの白く柔らかな頬を容赦なく両側から張り飛ばした!


――パァンッ! パァンッ!


乾いた破裂音が、狭く静まり返った使用人部屋の中に鋭く反響した。


血の気の引いていた青白い頬の上に、くっきりと二つの赤い掌の痕が浮かび上がり、神経の末端から奔るピリピリとした痺れと痛みが、転生の余韻に残る微睡みを完全に吹き飛ばす。


彼女は華奢な背筋をピンと伸ばし、机の上に置かれていた鋭く削られた古い木炭ペンを引っ掴むと、真っ新な便箋を机の中央へと叩きつけた。


その底なしの深緑の瞳の中に、静謐にして挑発的な、小さな焔が再び点火される。


それは前世において、幾千もの夜をモニターの前で明かし、じゃんけんに敗北したその瞬間に、ヘッドセットのマイクへ向けて彼女が浮かべた――あの歯を食いしばり、骨の髄まで屈服を拒絶した、狂気じみた勝負師の眼差しそのものであった。


「また先行完全制圧された、絶望の後攻ターンってわけね?」


ルシアは唇の端を吊り上げ、紙面へと最初の一筆を、乾いた鋭い摩擦音とともに走らせた。


「後攻捲り(まくり)専門のカードゲーマーを舐めんじゃないわよ。この理不尽なマッチ――死んでも受けて立ってやる!」

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