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揺らぎの先に

 ミュリエ村の朝。

 空気にほんのり湿気が混じり、前日降った雨の匂いがまだ石畳に残っていた。


 


 リュミエは、その匂いに気づいていた。


 “雨”――かつての自分には、意味のなかった感覚。

 けれど今は、胸の奥に静かに残る“何か”を引き出す刺激になっていた。


 


 ネイと一緒に、今日は診療棟の見回りに同行していた。


 薬草棚を補充する手伝い。器具の洗浄。

 そして、なにより――“人と触れる”こと。


 


 診療棟の裏手、小さな寝台で休んでいたのは、足を怪我した少年だった。


 彼は魔導農耕班の子で、リュミエを見ると、一瞬だけ身体を硬くした。


 


 「……この人、“ゼロ”って呼ばれてた人だよね?」


 


 ネイが困ったように笑う。


 


 「今はリュミエ。名前をもらって、“ちゃんと人としてここにいる”んだよ」


 


 少年は不安げな目をしていた。


 


 リュミエはその視線を、まっすぐ受け止めた。

 それから、自分の触感板をゆっくりと前に出す。


 


 文字が浮かぶ。


 


 「コワイ?」


 


 少年は驚いたような顔をして、小さくうなずいた。


 


 リュミエは、ほんの少しだけ考えるように視線を伏せ、

 再び触感板を動かした。


 


 「ボクモ ジブン コワイ」


 


 そして、ゆっくりと自分の胸に手を当てて――もう一言。


 


 「ダカラ イマ マナボウ イッショニ」


 


 その言葉に、少年の目が見開かれた。


 


 そして――静かに、手を伸ばした。


 


 リュミエの指と、少年の指が、ほんの一瞬だけ触れ合う。


 


 それは、何の魔法でもない。

 けれど、**「人と人がつながる」**という、最も確かな魔導だった。


 


 そのやり取りを廊下から見ていたアリアは、そっと目を細めた。


 


 「……あの子、もう“与えられる存在”じゃないんだね」


 


 リィナがうなずく。


 


 「自分から“差し出した”の。揺らぎながらも、ちゃんと前に進んでる」


 


 その夜、リュミエは診療棟の裏で、ネイと並んで腰を下ろしていた。


 風は柔らかく、星が少しずつ姿を現していた。


 


 ネイが言う。


 


 「ねえ、今日の君、すごかったよ。

  “誰かのために、怖さごと伝える”って、すごく勇気がいることなんだよ」


 


 リュミエの触感板が、ゆっくりと魔力を受けて輝く。


 


 「ユウキ イミ ワカラナイ」


 


 ネイは笑って答えた。


 


 「大丈夫。僕もよくわかんない。

  でも、君が今日したことが“それ”なんだって、僕にはわかったんだ」


 


 リュミエはしばらく黙っていた。


 そして、板にこう記した。


 


 「キミノ ヒカリ ボクニ トドイタ」


 


 ネイの瞳が揺れた。


 その言葉を、彼はずっと欲しかったのかもしれない。


 


 “届いている”ということ。

 “伝わっている”ということ。


 


 それは、命の証。

 そして――命が誰かとつながる、希望そのものだった。




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