誰かのためにもう一歩
村の外れにある水車小屋――
ミュリエの農耕班が、水路の整備を進めるため、朝から作業を行っていた。
その中には、先日診療棟にいた少年、レオンの姿もあった。
まだ足を庇いながらの作業だったが、本人の希望で参加が許されていた。
リュミエは、ネイと一緒に見回りに来ていた。
水流の音と、草を踏む足音のなか、リュミエは静かに風景を眺めていた。
自分とは違うリズムで働く人々の姿。
笑い声。小さな喧嘩。そして、ふいに交わされる「ありがとう」という言葉。
それは、機械的なやりとりではなかった。
生きている者たちの、揺れる律動だった。
だが、その和やかさが――次の瞬間、破られる。
水車小屋の背後、木材の運搬に使われていた台車が、積みすぎた荷の重みで軋みを上げ、突然――崩れた。
悲鳴。
崩れた角材が、斜面を転がり、まっすぐ作業者たちの列へと向かっていた。
その軌道の先に、レオンがいた。
逃げ場がない。
声を上げる間もなく、木材の影が覆いかけた――その瞬間。
「――リュミエ!」
ネイの叫びと同時に、空気が振るえた。
リュミエの身体が走った。
頭ではない。計算でもない。
ただ、“守りたい”という衝動だった。
斜面を飛び越え、レオンの前に立ち塞がる。
腕を広げ、魔力を展開。
――炸裂音。
魔導障壁がきしむような音と共に、木材が衝突し、砕けた破片が辺りに散った。
土煙のなか、レオンは尻餅をついていた。
その前に立つ影――リュミエ。
その衣は傷つき、腕の魔導器にはひびが入っていた。
けれど、その背中は、確かに誰かを庇っていた。
「リュミエ……!」
レオンが震える声で名前を呼ぶ。
その音が、リュミエの胸の奥に静かに届いていた。
ネイが駆け寄る。
「大丈夫!? 怪我は――!」
リュミエはゆっくりと振り向いた。
そして、触感板に一言だけ、震えるように記した。
「マモレタ?」
ネイは、すぐに頷いた。
「うん。ちゃんと、守れたよ。
……君が、自分の意思で、“誰かのために動いた”んだ」
リュミエの目が、かすかに揺れる。
そして、もう一度だけ、板に記した。
「ヨカッタ」
その瞬間、魔導観測装置が反応を記録していた。
リュミエの魔力波形が、これまでにない“感情の波”を帯びていた。
――それは、自己保全でも、生存本能でもない。
他者への感応。共感。保護衝動。
“命”は、ついに他者へと届いた。
その夜、リュミエは静かに自室の窓を開け、空を見上げていた。
星のない夜。だが、風は穏やかだった。
彼の触感板が、ひとり浮かべた言葉。
「マモル ノ ハジマリ」
それは、誰にも見られない、
けれど確かに刻まれた“新しい灯”だった。




