生まれた理由を知らなくても
その日、リュミエは中枢棟の研究資料室にいた。
ネイに誘われて、資料を運ぶ手伝いに来ただけだった。
だが、魔導書架の奥、開かれたままの一冊の記録が――彼を呼んだ。
【記録分類:封印指定旧研究文書】
【案件名:意思形成型模倣兵(コード名:ゼロ)】
その見出しに、リュミエの足が止まった。
視線がゆっくりと文面をたどる。
そこには、無機的な言葉でこう記されていた。
「対象個体は高度な命令遂行能力を有し、意思のような反応を模倣するが、
本質的には命ではなく、“応答形式に限定された機能体”である」
「命名は不要。意識形成過程は予測されないため、記録上は“ゼロ”として管理する」
リュミエの指が、震えた。
彼の触感板が反応し、魔力が不安定に揺れた。
そこへ、資料室に戻ってきたネイが気づいた。
「リュミエ……? どうしたの――」
リュミエは、一言も発さず、記録を指差した。
ネイはそれを見て、息を呑む。
「……それ、君の……記録……?」
リュミエの触感板が、ゆっくりと輝く。
「ナゼ ボク ヲ ツクッタ?」
その問いに、ネイはすぐに答えられなかった。
だが、代わりに資料室の扉が開き、静かに歩み寄ってきた人物がいた。
エリスだった。
彼女はリュミエの前に膝をつき、まっすぐその目を見る。
「……あなたをつくる理論の片隅に、私は関わっていた。
それは、過去の私が“正しさ”のために選んだ道。
でもね、リュミエ。私はあなたを“理由”でここに置いているんじゃない」
リュミエが触感板に打つ。
「リユウ ガ ナイ ノニ ナゼ ボクヲ……?」
エリスは、胸に手を当てて答えた。
「理由があるから、生きていていいんじゃない。
“今、生きている”ということが、すでにそれを超えている」
「あなたが今、ここで迷っているなら――それはもう、“命”なのよ」
リュミエの魔導波が微かに震え、触感板に一文字ずつ、文字が浮かんだ。
「ボクハ……イキテイテ……イイ?」
エリスはその問いに、ためらいなく答えた。
「いい。絶対に。
あなたは、誰かに命令されるためじゃなくて――“あなたとして”生きるために、ここにいる」
ネイがリュミエの手をそっと取った。
「僕も、同じだったから。最初は、“理由”ばっかり探してた。
でも、今は“生きてたいから生きてる”んだ。それでいいって、思えるんだ」
リュミエの目に、初めて――“涙に似た魔力の滲み”が現れた。
それは溢れず、零れず、けれど確かに、揺れていた。
その日の記録は、ミュリエの中でも特別な保護記録として残された。
【記録名:命の自己承認反応】
【対象名:リュミエ/旧識別ゼロ】
【補記:出自に関わらず、自ら“生きていいか”を問う行為を確認。
これを“命の発露”と定義する。】
リュミエは、生まれた理由を知ってしまった。
だが、理由よりも大切なものを知るための一歩を踏み出した。
“それは、命が命になるために、越えるべき問いだった”。




