夜明け前の砦
空気が変わった。
ミュリエ村の空に、見えない“圧”が満ちていた。
《黒き輪》からの最後通告――
「ネイの身柄を、三日以内に引き渡せ。
さもなくば、連盟の“秩序ごと”破壊する」
その脅しは、ただの言葉ではなかった。
各国の通信網には未確認の魔導暗号が出現し、
衛星型観測魔導塔には“黒き輪の構成式”が埋め込まれていた。
つまり――攻撃は、すでに始まっている。
ミュリエ本部では、緊急の全体会議が開かれていた。
エリスは、あくまで冷静に言い放つ。
「ネイを引き渡すつもりは、一切ありません。
でもその選択は、ミュリエ全体を巻き込むことになる。
だからこそ、ここにいる全員に“選び直す”権利があります」
重たい沈黙が落ちた。
やがて、クラウスが小さく咳払いをして立ち上がる。
「俺は行く。守る。
理想が壊されるってわかってて、傍観なんてできない」
アリアが続く。
「私も。……命令じゃない。これは私の“意志”よ。
だって、ネイは“救われるべきだった子供”だから」
リィナが一瞬目を伏せたのち、静かに言った。
「……私は昔、“器として生きる”ことを強いられた。
でも今は、自分の選択でここにいる。
ネイもそうであってほしい。だから、私も残る」
マリーや若い研究生たちも、ひとりまたひとりと手を挙げた。
エリスは小さく笑った。
「ありがとう。でも、これは“戦争”じゃない。
私たちが掲げているのは、“守るための砦”よ。
誰かを救うための、最初で最後の“壁”であるべきなの」
こうして、ミュリエ村は自主的防衛体制の構築に入った。
まず、研究棟の外周にある設備はすべて機能を一時停止し、
最低限のライフラインと戦闘用魔導障壁を新設。
リィナとクラウスを中心に、古代構造式を応用した「迎撃型干渉結界」を構築。
それは、敵の魔導信号を“書き換え”て撹乱する特殊防御網だった。
アリアとフェルナーは、近郊の村々と連携し、民間人の避難誘導を開始。
マリーは医療班とともに診療棟を「戦闘下での治療対応施設」に再構成。
エリスは――ただ静かに、ネイのいる病室の前に立っていた。
「……怖くない?」
彼女が問うと、ネイは小さく首を振った。
「怖いよ。でも、選べたことが嬉しい。
“逃げるんじゃなくて、誰かに守られてる”って、思えたから」
エリスはそっと微笑み、彼の頭を撫でた。
「……なら、約束する。
あなたを守る。それが“選んだ責任”だから」
そして、夜が更ける。
研究棟の屋上に立つエリスの背中に、アリアがそっと寄り添う。
「明日、来ると思う?」
「来る。必ず」
「怖くない?」
「……うん、怖い。でも、それ以上に――信じたい」
信じることに、何の保証もない。
それでも彼女は、それを自分の意思で選んだ。
――そして夜明け。
北の空に、黒い影が浮かび始める。
鳥の群れのような、偵察式魔導ドローンの編隊。
その中央に浮かぶのは、黒の仮面をつけた男。
《黒き輪》・“三番”。
ミュリエを力で“黙らせる”ために派遣された、実行部隊の指揮官だった。
そして、その背には、兵器と呼ばれるにはあまりに異質な、
――**歪んだ意思の集合体**が、姿を現す。
戦いが、始まる。
これは、ただの理想の戦いではない。
“生きていい”と願った者たちが、“そう言ってくれた者たち”を信じて立つための戦いだった。




