選ばれた器
診療棟の一角。
まだ細い体に点滴と魔導安定装置を繋いだまま、ネイは窓の外を眺めていた。
夕陽に照らされた緑の丘――
それは、彼が初めて“自分の意思”で見る世界だった。
彼の脳に組み込まれていた《イリス・コード》の解析は、
リィナとクラウスの手で急速に進んでいた。
「……これは、単なる操作装置じゃない。
“選択を許す中核”と、“記憶を抑制する外殻”の二重構造になってる」
クラウスが図をホロに映しながら言う。
リィナが続ける。
「しかも、抑制外殻は“特定の声”や“思想表現”によって解凍が可能。
つまり……エリスさんの声明が、“解錠鍵”として機能した」
ミュリエの仲間たちは静かに息を呑んだ。
ネイは、世界のどこかで、“選ばれることも、名を持つこともなく”存在していた。
ただの兵器として、器として。
それが今、エリスの理想に“応答した”のだ。
一方、東方連邦から新たな通信が届く。
“ネイの保護に関する照会と引き渡し要求”。
送信元は“蒼光機関”上層部。
エリスはその文面を見つめ、低く呟いた。
「……予想通りね。彼の存在は、ミュリエにとって“希望”であると同時に、
――他国にとっては“制御不能な兵器”に見える」
フェルナーが問いかける。
「引き渡すのか?」
「いいえ」
エリスの答えは即断だった。
「彼は“誰かの手でつくられた器”だったかもしれない。
でも今は、“自分で選んで生きている”。それが――すべてよ」
その頃。
ネイ本人は診療棟でアリアと対話していた。
「名前って……あたたかいんだね」
ネイがつぶやくと、アリアは微笑んだ。
「名前はね、他人が君を“知りたい”と思った証。
誰かとつながるための最初の扉なんだよ」
ネイはうなずき、小さな声で言った。
「……なら、僕も。いつか誰かに“名前”をつけられるようになりたい。
ただの器じゃなくて、自分の言葉で、誰かを守れるように……」
その言葉に、アリアはそっと彼の頭に手を乗せた。
「きっと、なれるよ。
君は、“選ばれた器”だったかもしれないけど――
今は、“選び直す者”なんだから」
その夜。
ミュリエ本部の通信室に、非公開ルートで密かに届いたメッセージがあった。
差出人は――クロード・ヴェイル。
内容は短かった。
「“名前を持った器”。とても興味深い進化ですね。
ならば次は、その“名前”ごと、試させてもらいましょう――エリス様」
――これは、宣戦布告ではない。
もはや、《黒き輪》による“回収”ではない。
それは、“奪還と破壊”の予告だった。
理想が、ただの言葉かどうかが試される時が来る。
エリスたちは、ついに“守る側”として、戦う覚悟を決めなければならなくなっていた。




