選べぬ命、選ぶ手で
それは、ミュリエ村に突如届けられた一本の暗号化通信から始まった。
差出人不明。
だが解析班が調査した結果、その経路には一部《黒き輪》の偽装痕跡があった。
通信は音声のみ。
再生ボタンを押すと、すぐにくぐもった声が流れる。
「貴女に、選んでもらおう。
一人は、貴女の“理想”を守る者。
一人は、貴女の“理想”を試す者。
どちらかしか救えない――としたら、貴女はどちらを選ぶ?」
続いて、映像が二つ、同時に再生された。
ひとつ。
王国の南方・ルーン医療区。ミュリエ連盟の遠隔診療に協力してくれていた医師、ベリア・カルミスが何者かに拘束されている。
彼女は、連盟の医療システム拡張に尽力し、エリスの“仲間”であり、“理想の証人”でもあった。
もうひとつ。
帝国の旧都市シェール遺構。そこに、実験対象として拘束されている少年が映る。
名前は不明。年齢は十代前半。
彼の脳には古代魔導の“制御式”が埋め込まれており、治療にはミュリエの技術しか対応できないという。
通信は続く。
「どちらかを選び、座標を送れば救出を許可する。
どちらも選ばなければ――両者の命は失われる」
エリスは、言葉を失った。
会議室に集められた幹部たちは、即座に動こうとするが――
「これは……完全な心理戦だ。こっちの“理想”を試してくる」
クラウスの声が硬い。
「リソース的にも、同時救出は不可能。
この情報自体が罠かもしれないが……可能性は極めて高い」
リィナが呟く。
「……これは、“選ばせて壊す”手口。
黒き輪は、エリスさんが“誰かを見捨てた”という事実を、世界中にばらまくつもりです」
アリアが、エリスの手を握る。
「……答えは、あなたしか出せない。でも、私は――あなたがどちらを選んでも、否定しない」
皆が沈黙したまま、エリスの返答を待っていた。
彼女の中で、理想が、覚悟が、心が――軋んでいた。
ベリアは、同志だった。
理想を広げる力になってくれた、信じるべき“現実”の象徴。
だが、少年は、理想が“届くべき相手”だった。
名前も知らぬ彼を救うことこそ、“誰でも選ばれるべき”という信念の証明。
エリスは唇を噛んだ。
頭の中で、幾度も問う。
「私は、何を守りたくてここに立ったのか?」
そして――
「……両方、助ける方法を探す。
でも、もし本当に、一人しか救えないのなら――私は、“選ばれたことのない側”を選ぶ」
その言葉に、誰も異を唱えなかった。
救出班が編成され、帝国側の少年の位置へ向けて最速で動く。
一方で、クラウスとマリーはベリア医師の座標に“陽動用の救出作戦”を指示。
同時展開。片方は実行、片方は通信傍受の撹乱。
あくまで「両方救う」可能性を切り捨てずに賭けた、最善にして最後の賭け。
――そして数時間後。
通信が入り、クラウスの報告が届く。
「少年、確保。生きてる。意識は混濁してるが……手遅れじゃない。
いける、エリス。あんたの理想、繋がった」
その言葉に、エリスは声を漏らすことなく、そっと目を閉じた。
だが同時に、ベリアの拘束現場には爆破痕が残されていた。
“標的の影”を消すための偽装――間一髪の撤収だったことが判明した。
ベリアも、生きていた。
理想は、ぎりぎりのところで、信じるに足る“奇跡”をつないだ。
けれど、クロードの声が、遠くで響くように思えた。
「よかったですね、エリス様。
でも――次は、本当に“選べない”命が来ますよ」
それは、次なる“痛み”の予告だった。




