正義の亡霊たち
王都での暴走事件から三日後。
結晶核の再構成データを分析していたクラウスは、ある不審なコードパターンを発見した。
「この流路構造……古すぎる。通常の技術者では絶対に扱わない。
“誰かの意志”が反映されたとしか思えない、極端な“理念制御型コード”だ」
エリスが覗き込むと、そこには見覚えのある暗号構造が刻まれていた。
「……これ、“プロジェクト・イリス”の初期実験で使われていたものよ」
「まさか。あのプロジェクトは十年以上前に凍結されてる。
中心メンバーも、全員行方不明か、死亡とされていたはずだ」
「いいえ……“全員”じゃない」
エリスは書庫の鍵を開き、古びた報告書を取り出す。
そこには、一つの名が残されていた。
――シグムント・アーシェル
かつてエリスが王都時代、最初に魔導倫理を教わった師。
そして、同時に“理想に殉じた男”として、公式記録から消された人物。
その日、エリスは一人で王都の旧研究街へと足を運んだ。
人々に忘れられた廃棄区域。瓦礫と蔦に覆われた施設の一角に、
かつて“正義のため”に集った若者たちの実験棟があった。
埃を払うようにドアを開けると、中は驚くほど整っていた。
いや――整っていたのではない。**“維持されていた”**のだ。
その奥に、エリスはひとりの人影を見つける。
長身の男。白髪まじりの黒髪。背筋はまっすぐで、手には今なお古い帳簿を持っていた。
「……やはり、君だったか。エリス・フォン・ベルグランド」
「シグムント先生……」
「生きていたとも、死んでいたとも思わなくていい。
私はただ、あの日からずっと、ここにいた。
“理想とは、いずれ裏切られる”と信じながらな」
シグムントは、あの爆心素研究の初期開発者の一人だった。
だが、研究の暴走と、王国による事実の隠蔽を目の当たりにし、すべてを断ち、姿を消した。
「君が語った“命のための技術”……あれは、美しかった。だが、危うかった」
「わかっています。でも私は、それでも――」
「だからこそ問おう。君の連盟は、本当に“誰も傷つけない未来”を作るのか?」
エリスは静かに目を伏せ、答えた。
「……いいえ。そんな未来は、幻想です。
私たちの選択で誰かが不利益を被ることもある。
でも、それでも――選び続けることはできます。誰かを生かすために」
沈黙が落ちる。
そして、シグムントはわずかに微笑んだ。
「なら、私の記録を渡そう。
これには“過去に正義を信じた者たち”のすべてが残っている。
理想を掲げ、敗れ、そして消えていった者たちの痕跡だ」
数冊の古びた手帳。中には、かつての若き研究者たちの手記が綴られていた。
誰かを救いたい。
世界を変えたい。
けれど、叶わなかった。
その最後のページに、こう書かれていた。
「誰かが続きをやってくれるのなら、それでいい」
エリスはゆっくりと手帳を閉じ、深く一礼した。
「……先生。私は、過ちを犯すかもしれません。
でも、あなたたちが信じたものを、ただの“失敗”にしたくないんです」
「それでいい。君がそのまま歩むのなら――私は、“亡霊”のままでいる」
こうして、かつての“正義の亡霊”たちは静かに幕を下ろした。
そして、その意志は、次の手に――“今を生きる者”へと継がれた。




