王都からの刺客
春の風が柔らかく吹き抜けるある午後。
薬草園は順調に稼働し、村の生活も平穏そのものに見えていた。
だが、その平和の裏側で、確かに“異物”が近づいていた。
王都エルステリア。
王太子レオナルドの執務室では、苛立ちの気配が満ちていた。
「エリスが帝国の王子と手を組んで、村を拠点に錬金術を広めているだと?」
報告を読み上げたカーネル伯爵は、無言で頷く。
王宮の情報網をかいくぐってまで届いたその報せは、レオナルドにとってあまりにも不愉快な内容だった。
「……まさか、あの女がここまで動くとはな」
ソフィアの療養は長引いており、王都での支持も以前ほどではない。
その隙間を縫うようにして、エリスの評判が静かに、だが確実に王族たちの耳にまで届き始めていた。
(エリスの動きを止めねばならぬ。だが、王太子の名で動けば“王国が帝国を敵視した”と受け取られる可能性がある)
ならば――影を使えばいい。
「カーネル。『灰の使い』を呼べ」
「……あの者を、ですか。殿下、しかし……」
「命じる。あれは“王都の名ではなく、ただの影”。痕跡を残さず、芽を摘めばそれでよい」
重苦しい沈黙の中、命令は下された。
数日後。
ミュリエ村の南、林道の先に現れたのは、灰色のローブを纏う旅人だった。
顔は深くフードで隠され、その動きは獣のように静かで鋭い。
村人に紛れるように姿を見せたその者は、名も告げぬままに村の調合所の様子を観察し、そして“標的”の所在を確認した。
エリス・フォン・ベルグランド。
確かに、彼女は今、村の中心にいた。民の信頼を得て、研究所を動かし、帝国とさえ手を結ぶ――まさに“目障りな芽”。
(消すだけなら、夜半。調合所に潜り、毒を混ぜるか。あるいは薬草園に火を……)
だが、その計画に一つだけ予想外の“障害”があった。
クラウス・フォン・アルヴィオン。
彼の存在が、想定を遥かに超える抑止力となっていた。
(皇子本人が滞在しているとは……この村で何か起これば、ただの“事故”では済まされん)
灰の使いは、わずかに計画を修正した。
(まずは“恐怖”を植えつける。混乱と不安を与え、信頼を崩す。それが――王都の影のやり方だ)
その夜。
エリスは倉庫で薬草の在庫を確認していた。
窓の外から、ふと気配を感じたのは、その時だった。
――カラン、と音がする。
「……誰かいるの?」
問いかけに応える者はいない。
だが次の瞬間、ガラス瓶がひとつ――唐突に“爆ぜた”。
「っ……!」
咄嗟に身を引いたエリスの腕に、わずかな切り傷が残った。
だが爆発は小規模で、幸い火は出ていなかった。
すぐにマリーとクラウスが駆けつける。
「エリス!」
「怪我は!?」
「大丈夫……でも、これは偶然じゃない」
エリスは破片を拾いながら、瓶の底に残された違和感のある“粉末”に気づいた。
それは、自然発火を誘発する魔素反応剤――熟練した錬金術師か、暗殺者が用いる“仕掛け”だった。
「狙われてる……王都が、動いたのね」
クラウスの目が冷たく光る。
「私の予想より、動きが早い。だが、これは“宣戦布告”に等しい」
エリスは静かに息を吐いた。そして、破片の上から薬草を包む布をかぶせる。
「クラウス。私、もう逃げたくない。誰かに奪われるのも、踏みにじられるのも、もう沢山」
「なら、私は戦おう。貴女の隣で、最後まで」
夜の中、ふたりの誓いは交わされた。
エリスが再び“脅し”ではなく、“未来”のために歩む決意をするために。
そして、“影”は去っていった。
仕事は完了していない――だが、“揺さぶり”という目的は果たした。
その報告が、王都へ届くのは、もう間もなくだ。




