王子と共にに歩む道
王宮の使者を断った翌日、ミュリエ村は一転して静けさを取り戻していた。
だがその空気の奥には、確かに緊張の余韻が残っていた。
エリスは薬草園の整備を続けながら、ふと立ち止まって空を見上げた。
風が春の香りを運び、木々がさざめく。
「……まだ揺れてる。でも、揺れるたびに私は強くなる。そうでしょう?」
その問いかけに応えるように、後ろから静かな足音が近づいた。
「――貴女の選択、拝見しました」
振り返れば、クラウス・フォン・アルヴィオンの姿があった。
深い藍色の軍装に身を包み、変わらぬ落ち着きと静かな威圧感を携えて、彼は歩み寄ってくる。
「王都からの使者、戻っていきましたね。断るのは……勇気がいったでしょう」
「ええ。でも、今の私には、“帰る場所”より、“立っていたい場所”の方が大切だから」
エリスの声に、揺るぎはなかった。
クラウスは彼女の隣に立ち、並んで薬草園を眺める。
「私は、こうして貴女と肩を並べて歩けることを、誇りに思う」
「……お上手ね。帝国の皇子ともなると、口説き文句まで洗練されているのかしら?」
冗談めかして言ったエリスに、クラウスは静かに笑った。
「これは口説きではありません。“敬意”です。そして、もしも許されるならば――“信頼”の申し出でもあります」
エリスはその言葉に、僅かに目を見開いた。
「……クラウス殿下」
「私は、貴女に対して個人的な興味以上のものを抱いています。それは、能力でも、立場でもない。貴女という人の“生き方”にです」
風が、薬草の香りを揺らして通り抜ける。
エリスの胸の奥が、なぜかゆっくりと温まっていく。
「私が信じたいのは、強い者ではなく、“諦めなかった者”だ。そして貴女は、どんな時でも、自分の力で立ち上がってきた」
沈黙。
けれどその沈黙は、不快でも困惑でもなかった。
初めて誰かに、自分の全て――過去も、傷も、誇りも――を認められたような、優しい静けさだった。
「……ありがとう。殿下がそう言ってくれて、嬉しいです。私は、貴方と歩む道を、もう少し信じてみようと思います」
「その言葉、しかと受け取りました」
クラウスが差し出した手に、エリスは迷わず指を絡めた。
それは貴族の形式でも、取引の握手でもなかった。ただ、ひとりの人間としての信頼と絆を示すものだった。
その日の夕方、クラウスは村の広場にて、村人たちに正式に挨拶をした。
帝国の王子でありながら、彼は敬語と礼儀を尽くし、威圧的な態度は一切見せなかった。
「私はアルヴィオン帝国第三王子、クラウス・フォン・アルヴィオンと申します。本日より、エリス嬢の研究に協力し、この村の生活と発展にも尽力する所存です」
村人たちは最初こそ緊張していたが、クラウスの言葉と態度に次第に打ち解け、最後には笑顔と拍手が広がった。
――その光景を、エリスは少し離れた場所で見つめていた。
自分ひとりで始めたこの地に、仲間が増え、信頼が育ち、今は隣国の皇子までが肩を並べている。
すべては、自分の意思で選んだ道の先にある。
「この道が、どこまで続いていくのか……」
ふと、そんな言葉がこぼれたとき。隣にいたマリーがくすりと笑った。
「どこまででも行きましょう、エリス様。私たち、まだ始まったばかりですよ」
「……そうね。まだ、始まったばかり」
その夜。
エリスは研究日誌の最後に、そっと一行だけ書き加えた。
《私は、私の道を歩く。そして今、誰かと“共に”歩いている》




