第9話 黒石と華麗なる魔法使い
蔵の中の空気が一瞬で凍りつき、ピリピリとした重い圧力が全員の肌を刺す。
「危ないっ……!」
反射的に、錬がその黒い石を素手でしっかりと掴み取った。
すると――。
先ほどまで暴れ狂うように強まっていた黒い光が、錬の掌に触れた途端、まるで嘘のように消えた。石はただの重みのある黒い鉱石に戻り、静まり返る。
「……嘘。あんなに暴れてたのに、錬ちゃんが触ったら大人しくなったの……?」
圭が信じられないといった様子で目を見張る。
清之介も、冷や汗を拭いながら信じられないものを見る目で錬を見つめた。
「あのような禍々しい異質の石が、あなたの手に触れた途端に鎮まるとは……。一体、あなたは何者なんですか……」
錬自身も、自分の手に残る奇妙な温もりと、石から伝わってきた波長に戸惑いを隠せなかった。
だが、その静寂は長くは続かない――。
突如として、港町に不穏な影が落ちた。
ゴゴゴゴ……ッと、港の方向から地響きのような不気味な水音が轟きわたる。
「なんだ、今の音は……!?」
清之介が驚愕に目を見開く中、蔵の窓から海を眺めた渚が叫んだ。
「見てください! 海の様子が変です!」
静かだったはずの波が荒れ狂い、白波を立てながら水柱が次々と天を衝く。
そして、荒波を割るようにして、海中からおぞましい巨大な影が這い上がってきた。
それは、どす黒く濁った海水が集まって形を成した、巨大な半魚人の姿をした妖だった。
水飛沫を散らしながら前進する妖の胸元には、錬の手にあるものと酷似した、黒い紋章が刻まれていた。
「あの胸の紋章……! あれ、その黒い石と同じだ!」
コマが尻毛を逆立てる。
「ああ! この石はいったい何なんだ!」
錬は慌てて石を懐にしまった。
妖は怒涛の勢いで港の市場へと水撃の槍を連射してきた。
「ひっ……! 妖だ! 海から妖が出たぞーっ!」
「誰か助けてくれ! このまじゃ町が流されてしまう!」
避難しようと逃げ惑う町民たちの悲鳴が、潮騒にかき消されていく。
濁流が容赦なく町を呑み込もうとする光景を目の当たりにし、錬は歯をくいしばった。
「このままじゃ、町の人たちが危ない……!
みんな、行くぞ!」
「「「うん、任せて!」」」
錬、そして渚、灯、圭、楓、コマの五人と一匹は、一歩も引くことなく海へと続く大通りへと飛び出した。
灯が燃え盛る炎の両手を構え、渚が瞬く間に周囲の水気を操って足場を固める。
圭は大地を穿つ重厚な気を纏い、楓は周囲の木々や資材を蔦で補強して防壁を作り上げた。
「私たちの目の前で、勝手な真似はさせませんことよ!」
楓の鋭い一声を合図に、四人の少女たちが一斉にそれぞれの属性を纏った最強の魔法を解き放つ。
水、火、土、木――四色の眩い光の奔流が、一糸乱れぬ連携で妖へと真っ直ぐに叩き込まれた。
強烈な一撃を浴びた妖がたじろぐが、胸元の黒い紋章が不気味に脈動し、またすぐに復活した。
「くっ、やはり、あの紋章が防御の核になってやがるのか……!」
焦るコマの言葉を聞き、錬は自分の胸元にある石を握りしめた。
不思議なことに、妖の胸元にある紋章と共鳴するように、錬が持つ石からも眩い黄金色の光が激しく溢れ出し始める。
その光を浴びるように、錬の両方の手のひらから眩い黄金の光があふれ出し、周囲をまばゆく染め上げる。
錬がその光を前へと突き出した瞬間、四人の少女たちが放った四色の魔力が、あふれる黄金の光に吸い寄せられるように一つへと融合した。
そして、巨大な五色の光の閃光が、轟音とともに妖めがけて直撃した。
その閃光は、妖の頑強な防御を貫き、胸元に刻まれていた黒い紋章を粉砕した。
核を失った妖は、凄まじい光の中で崩れ去り、ドサリと大量の海水となって元の穏やかな海へと還っていった。
「やった……! やったね、錬ちゃん!」
圭が歓声をあげ、渚や灯、楓も息を弾ませながらその場に膝をつき、ホッと胸をなで下ろした。
激しい戦いの最中、豪華な着物と洗練された魔法で華麗に立ち回っていた錬と四人の少女たちの姿は、町民たちの目に、あまりにも神々しく映っていた。
「す、すげえ……あんな華麗に妖を倒しちまった……」
「まるで、この世に舞い降りた牛若丸と天女様だ……!」
「あんな美男美女の冒険者たちがこの町に現れるなんて……!」
あちこちから賞賛の声が漏れ聞こえてくる。
――しかし、
(勝手に錬を見るんじゃないわよ……!)
自分たちに向けられる黄色い声援をよそに、渚、灯、圭、楓の四人は少し不機嫌そうに頬を膨らませて錬のまわりにピタリと寄り添った……。
そんな周囲の喧騒から少し離れ、錬自身は、自分の手に残る温もりと、先ほどの不思議な感覚に戸惑いながらも、静かに息を整えていた。
(このままこの石を放置するのは危険な気がする……)
錬は静かに息を吐き、その黒い石を見つめた。
この謎の紋章が刻まれた黒石は何なのか。そして、この港町を襲った妖の背後にあるものとは――。
不穏な謎を残したまま、波の音だけが穏やかに、再び海岸線を満たしていくのだった。
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