第2話 白い妖と幕府の影
爽やかな朝空の下、宿の軒先で荷物を整理していた錬は、首をかしげた。
「……あれ?」
「どうしました、錬さん?」
隣で準備をしていた渚が顔を上げる。
先日の妖の一件以来、行くあてのない錬は、水を守る一族である渚と共に旅を続けていた。
彼女は各地で増えている妖を調査する目的があり、二人は境遇こそ違えど、不思議とすんなり気が合ったのだった。
「昨日の夜、宿に置いておいた干し芋が、一つだけ無くなっていてさ……」
「昨日のうちに食べてしまったとか?……」
「いやいや、まさか!」
その時、頭上の木の枝から澄んだ声が降ってきた。
見上げると、一匹の小さな生き物がちょんと座っている。
大きな耳に、真っ白な毛並み。ふさふさの尻尾の小さな狐の妖だった。
「お前は……?」
「ふん! オイラは気高き妖のコマだ!」
威張るコマだったが、口のまわりにはしっかり干し芋の欠片がついている。
「かわいい!コマさん、口のまわりに証拠がついていますよ」
渚が優しく微笑むと、コマは慌てて前足で口元を隠した。
「なっ、なにを……! これは毒味だ! お前たちの代わりに確かめてやったんだから感謝するべきなのだ!」
ぷんぷんと怒る姿に、錬は苦笑しながら鞄から残りの干し芋を取り出した。
「はいはい、そんなに怒るなよ。ほら、もう一つやるよ」
「なっ……! べ、欲しかったわけじゃな……むぐむぐ……んっ、美味しいなこれ! ……でも騙されないぞ!……うまい!」
「かわいい……」
否定しながらも美味しそうに頬張るコマの愛らしい姿を見て、錬たちの緊張はすっかり和らいだ。
その時、コマの耳が鋭く跳ねた。
「……っ! 来るぞ、いやな気配だ!」
周囲の空気が一変し、冷たい風が吹き抜ける。
脇に生えていた古い木が歪み、土塊と混ざって四本足の猛獣のような妖へと変貌した。その中心には、あの黒い紋章が刻まれている。
「あの黒い紋章を壊すんだ!」
コマが素早く空中で身をかわしながら叫ぶ。
コマが妖の気を引きつけている間、錬は引き寄せられるように妖の足元へ踏み込んだ。
それはまるで、自分が失った何かを無意識のうちに取り戻そうとするかのような感覚だった。
錬が迷わず手を伸ばし、素手で妖の黒い紋章を掴むと同時に、その手のひらから眩い黄金の光が放たれた。
不気味な黒い脈動が手のひらに噛みつくような激痛が走るが、錬は歯をくいしばって力を込める。
「渚、今だ!」
錬が叫ぶ。
「はいっ!」
その光を受けた渚の指先から、青銀の濁流が解き放たれる。水流はコマの誘導に従うように、妖の黒い紋章を正確に打ち砕いた。
「やったな、人間ども!」
コマは軽やかに着地し、紋章が粉砕されたただの木の破片と土の塊を見つめて、小さく耳を伏せた。
「……やっぱりだ。誰かが無理やり、ドス黒い気を吹き込んで操ってたんだ。
この木だって、本当はただ風に揺られていたかっただけなのに……」
コマの言葉に、錬と渚は静かに顔を見合わせた。
「ひどいことをする奴がいるんだね……」
錬はコマの頭を優しく撫でた。
「教えてくれてありがとう、コマ」
「なっ、頭を撫でるな! オイラは気高き妖だぞ!……ま、まあ、もう少し撫でてくれてもいいけどさ!」
コマは顔を背けたが、ふさふさの尻尾は嬉しそうに揺れていた。
錬はその愛らしい姿にフフフと微笑んだ。
渚は錬の微笑みにふと目を奪われ、控えめに頬を染めた。
こうして、白い妖・コマも旅の仲間となった。
◇ ◇ ◇
――それから数日後。
宿場町にたどり着いた一同は、広場で足を止めた。
多くの人々が一人の人物に頭を下げている。
年は二十代後半くらい。高貴な羽織を纏い、威厳と品性を漂わせた男。
幕府の重臣・月形景時だった。
穏やかな物腰の裏側に、鋭い光を湛えた瞳――。
「皆、顔を上げなさい。怪異の調査も復興も、幕府が責任を持って進めます」
景時は一人ひとりに優しい視線を向け、穏やかに語りかけていた。
景時の側近である者が周囲を見渡し、ふと錬たちに目を留めた。
その者はすたすたと景時のもとへ歩み寄り、低い声で耳打ちする。
「――月形様。あちらにいる者たち……先日、街道で厄介な怪異を退治したという若者たちです」
そしてふと、景時の視線が錬たちへと向けられた。
景時は自ら錬に歩み寄り、穏やかに微笑んだ。
「噂は聞いているよ。最近の街道で、厄介な怪異を鎮めてくれた若者たちだそうだな」
「あ……はい。俺は錬っていいます」
錬が答えると、景時は深く頷いた。
「術を持たぬ身でありながら人々を守る……素晴らしい勇気だ、錬君。
そして水の乙女よ、君の力にも敬意を表する」
「あ、ありがとうございます……!」
景時は懐から絹の包みを取り出し、錬の手に乗せた。
「これは旅の路銀と、安全に通れる幕府の特別手形だ。何かあればいつでも私を頼りなさい」
そう告げると、傍らにいた小さな白い妖――コマへと視線を落とした。
「……ほう、珍しい妖だな。まっ白な毛並みにその小さな体……」
(…久しぶりだな…コマ…)
コマはわずかに耳をピクリと動かし、どこか警戒するように首を傾げた。
景時は含みのある、意味深な笑みを浮かべて去っていった。
「…すごい人だったね……」
錬は手の中の手形をしみじみと見つめた。渚も深く頷く。
「ええ。幕府の重臣があんなにもお優しい方なんて……」
「……ふん。どうだろうな……」
コマは聞こえない程の小さな声で、不機嫌そうに尻尾をピクピクと揺らした。
一同は再び歩き出した。
自分たちに差し伸べられたその温かい手が、いつの日か牙を剥くことになるなど、今はまだ誰も知る由もなかった。
第二話をお読みいただきありがとうございます。
引き続き、どうぞよろしくお願い致します。




