第12-3話 月夜と高貴な仮面
一行が訪れたのは、山あいに位置する静かな宿場町であった。
この地域では古くから温泉が湧き、「足湯」の文化が根付いている。硫黄の香りと湯煙が漂う街並みは、長旅に疲れた人々の心と体をやさしく包み込んでいる。
石造りの足湯に浸かり、長旅で疲れた一行はゆったりと足を伸ばして疲れを癒やしていた。
「へぇ……人間はわざわざ湯に足を浸して喜んでいるのか。オイラは体が濡れるのだけは御免だねぇ」
コマは少し離れた岩から、白い湯気を不審そうに眺めていた。
「は〜……温かくて良い心地ですわね。旅の疲れが吹き飛ぶようですわ」
足湯に足を浸しながら楓がほっと吐息をつく。だが、その瞳の奥にはどこか疲れたような陰りが宿っていた。
当時、世間では浮世絵が大流行していた。類稀なる美貌を持つ楓はこの日、絵師を名乗る男に引き止められ、「あなたのような美しい女性を描きたい!」と執拗に付きまとわれていたのだ。
楓は冷たく一蹴して追い払ったものの、どこか様子が変だった。
「少し夜の町を散策してまいりますわ」
「あ、楓。一人じゃ危ないから、俺もついて行くよ」
渚や灯、圭たちは宿に戻り、錬は楓の後を追って竹林の方へと向かった。
◇ ◇ ◇
月明かりが青白く照らす、静寂に包まれた空間。
石畳の道を一人歩いていた楓は、追ってきた錬の足音に気づいてハッと振り返った。
「れ、錬……!? どうしてここへ……?」
「楓、やっぱりどこか辛そうだ。昼間の絵師の件から、ずっと様子が変だったから……心配で」
「な、なにをおっしゃいますの! 私に辛いことなど、あるはずが――」
いつものように扇子を広げ、平静を装う楓。しかし、錬が静かに近づき優しく顔を見つめると、彼女の言葉は途切れてしまった。
「何か、理由がありそうだな」
錬の温かな視線に触れた途端、楓は張っていた気がふっと緩み、飾らない胸の内を静かに語り出した。
「私、ずっと森のために生きてまいりましたの。森の守護者として気高く、弱みを見せず、完璧な存在であれと育てられて……」
飾らない彼女の言葉は、いつもの高貴な姿からは想像もつかないほど弱々しく可憐だった。
楓はうつむき、夜風にたなびく竹林を見つめながら言葉を紡ぐ。
「でもね……私にも苦手なものはありますの。虫とか……強引に近づいてくる男性とか……。昼間の絵師はね、私の表面上の強さだけではなく、瞳の奥にある『弱さ』までも描きたいと言ってきて……隠してきた心の中を勝手に覗き込まれるようで、すごく怖かったのですわ」
可憐な肩が、かすかに震える。
錬はそっと歩み寄ると、楓の頭を優しく撫でた。
「俺は楓の外見や肩書じゃなく、仲間思いな楓そのものが好きだよ。俺たちの前では、無理に完璧でいなくていいんだ。これからは遠慮なく弱音を吐いてくれ」
「錬……っ……」
自分が自分でいられる居場所を与えられた温もりに、楓は目を潤ませ、そっと頭を錬の肩へと預けた。
ふんわりとした甘い花の香りと可憐な体温が、錬の肩に伝わってくる。
(……男の人は苦手ですけれど……錬だけは、特別ですわ)
その時――!
竹林が不気味にざわめき、黒い妖気が立ち込めた。竹の幹や葉が絡み合った巨大な妖が姿を現す。胸元には、黒い紋章が脈打っていた。
「妖ですわ……!」
「大丈夫、二人の力を合わせよう、楓!」
「……足手まといにならないでくださいまし!」
今度の笑みは、強がりではなかった。己の弱さを受け入れ、仲間を信頼する真の誇りに満ちていた。
楓は一歩踏み出し、かざした手に木の魔力を纏わせた。
「我が声に応えよ、緑の木々!」
楓の凛とした声とともに、周囲の竹林から鮮やかな木の葉が紙吹雪のように舞い上がると、素早く絡まり合って妖の動きを封じ込める。
「今ですわ、錬!」
「おうっ!」
錬が胸元から取り出した黒石が、まぶしい金色の光を放つ。錬の黄金の光と、楓の手から解き放たれた瑞々しい木の魔力が重なり合い、竹の妖へ向かって一直線に突き進んだ!
ドオンッ――!
合体した光が一直線に妖の胸元を貫き、黒い紋章を粉々に砕き割る!
黒い邪気は一瞬で四散し、妖はただの折れた竹に戻った。荒れていた竹林には静寂と心地よい夜風が戻ってくる。
「やったね、楓! すごい威力だったよ!」
「ふふ……当たり前のことですわ」
晴れやかな笑顔を見せる楓。
二人は笑顔で見つめ合った。
そこへ、騒ぎを聞きつけた仲間たちとコマが駆け寄ってきた。
「妖をやっつけたのか?……って、あれ? 二人して良い雰囲気じゃないか」
「な、なにをおっしゃいますのコマ! 私はただ、竹林を見ていただけですわ!」
慌てていつもの調子を取り戻そうとする楓だったが、その頬は月光の下でぽっと朱に染まっていた。
「帰りましょう、錬」
「うん、帰ろう」
宿へ戻る道すがら、楓はそっと錬の着物の袖を摘み、嬉しそうに微笑んだ。
「また……二人で夜の散策に付き合ってくださいますわね?」
「もちろん。いつでも付き合うよ」
いつも強くあろうと纏ってきた仮面が剥がれ、その下から素顔が覗いた。
どんな自分であっても受け入れてくれる人がいる――その揺るぎない絆を胸に、一行の旅路はまた一歩、まっすぐに前へと進んでいくのだった。




