希望が真に変わる時――
亀山から本能寺 時刻十四時頃
門前で馬を止め、衣服の乱れを整えながらも、
後ろからは、供の者たちが馬を降りる音が聞こえた。
「明智光秀である。御屋形様にお目通りを願いたい」
「はっ。少々お待ちください」
(緊張してきたな、何気に勢いで出てきたけど大丈夫だよな?しかも今日は茶会の日か、失敗したか?)
「御屋形様がお通しせよとのことです」
「うむ、お前たちはここで待っていろ」
「はっ」
刀を秀満に預け案内に従い庭へ進むと、
白を基調とした細かな石と新緑の青さが目に飛び込むと同時に縁側が見えた。
――御館様
ドクン
御館様が静かに茶を飲んでおられる。
ドクン ドクン
さっきまで、あれほど楽しみにしていたのに……
ジャリ
「御館様、お久しぶりでございます」
「光秀か」
「はっ」
「何用だ」
「羽柴殿の援軍へ向かう途中、御屋形様のお側へ参りました」
「そうか」
頭を下げたままで、
(うん、もう帰ろ……挨拶済んだし)
「随分と凝った軍装だな」
「お気づきになりましたか!実はこれ、御屋形様の軍装を少し参考にいたしました」
「分かる」
「はい!」
(思わず顔を上げてしまったが、嬉しい。やはり、この軍装にしてよかった)
「光秀、茶でも飲んでいけ」
「え?よろしいのですか?」
「構わん、わしも一息入れてる所だ」
「では……お言葉に甘えます」
礼をして、御館様の少し離れたところへ腰を下ろす。こうして改めて座ると、先ほどまで張っていた気も少し抜ける。
ふと顔を上げると、御館様がこちらを見ていた。
わざわざ見ていただけるのだ。そう思えば、つい説明にも熱が入った。
「御館様、この軍装のこの辺は――」
御館様は口を挟むことなく、軍装を眺めては茶を飲んでいる。その様子を見ながら、茶も美味いし、一通り軍装の説明もできた。
これ以上は茶会の邪魔にもなるよな。
それに、御館様も先ほど休憩したいと言っていたではないか。
そろそろ帰るかと思った、その時だった。
「羽柴の援軍に関しては問題ないか?」
「はっ、万事抜かりはございません」
「そうか、ならよい」
「毛利ごときに手こずっておる猿を助けろ」
「はっ!」
俺に任せておけばいい、ということか。
思わず口元が緩む。
羽柴殿、待っておれ。ひとつ助けてやるぞ。
ふと秀満の『兵たちへお言葉を。士気が上がります』という声が脳裏をよぎった
「御館様……」
「何だ」
「出立の前に……兵たちへ、お言葉をいただくことをお願いできませんか?兵の指揮が上がりますゆえ……」
言ってから、しまったと思ったところへ、森蘭丸がちらりとこちらを見たのが目に入り、途端に心臓がやけに大きく聞こえてくる。
……余計なことを言ったか?
「よい」
「……!」
「明朝までに兵をこちらへ寄越せ」
「ありがとうございます!」
「ただし、秀吉への援軍に遅れが出たなら、その責はおぬしが負え」
「はっ!決して遅らせませぬ」
「ならばよい」
「では、準備をいたします」
「うむ」
門前へ戻ると、待っていた供の者たちが立ち上がる。
「どうでした?」
「いやぁ、怒られるかと思った」
「でしょうね。よかったです。ご無事で」
「怒られるどころか……許しが出たぞ」
「……許しですか?許しとは?」
「明朝までに兵をこちらへ寄越せ、御屋形様がお声をかけてくださる!」
「……え?殿?……まさか許可が出たのですか?」
「ああ!!」
「……真にでございますか?」
「本当だ」
「……」
皆が驚くのも無理ない。驚くよな、わし自身でさえ最悪は叱責されると思ったのに、
軍を動かしても良いと許可まで貰えたのだ。
「言ってみるもんだな」
「えっ?いや、明朝までにですか?では、亀山に早馬を?」
「ああ。亀山へ伝令を飛ばせ、何せ秀吉殿への援軍到着を遅らせる事は出来ぬからな」
「えっ?はっ!承知いたしました!」
皆焦っておるの、片道二十キロ、往復四十キロか……どこで詰めるか、詰められる場所はどこだ?
秀満が早馬の準備をさせているのが、視界の端で見えつつも考え込んでいた所に、
「明智殿、遅れたら、明智殿の責任ですよ?」
「森蘭丸か」
(『羽柴への援軍に遅れが出たなら、その責はおぬしが負え』御館様の声が思い返される)
「わかっておる。心配するな」
「伝令馬がでるぞおぉぉ」
「道を開けろおぉぉ」
声と早馬の蹄の音がどんどん遠くなったころ、
ジャリ
石が擦れる音が聞こえ、平坦な声で、
「明智殿、御屋形様より軍が到着するまで、
こちらでお待ちいただくようにと、仰せつかっております。
明智秀満殿、ならびに御家臣の方々もどうぞこちらの別室へ」
「かたじけない」
通された別室には、新しい畳の香りが漂っていた。
腰を下ろすと、秀満が周囲を気にしながら、声を潜めて囁いた。
「義父……利三様は報せを聞いて腰を抜かしますかね?」
「ふふっ、間違いなくな。……だが、わしも本当に通るとは思っておらんかったのだ」
笑いを抑えながらも、利三の慌てふためく顔を想像すると、どうしても笑いが止まらん。
横に控えていた家臣からは、
「私は、殿が本当にお聞きになるとは思っておりませんでしたよ」
出立前に城で交わした利三と同じような、諦めに似た声が聞こえた。
「言ってみるものだなぁ」
「……はぁ。しかし義父、本当に利三様ひとりにお任せして大丈夫でしょうか。今からでも、私が追いかけましょうか?」
「秀満、大丈夫だ。あやつなら上手くやる。
一からではない。
準備はほぼ済んでおる。しかも明朝までだ。
早馬が着き、なんだかんだとわしへの恨み言を言いながら、二一時頃には京へ流し始めるだろう」
こうして、亀山城で利三が右往左往する未来など露ほども知らず、
一万の軍勢の到着を待つ優雅で誇らしい時間が始まった。
この瞬間、二つ目の歯車の歯が欠けた。
この時代、一万三千もの軍勢を動かすには、大きな労力と時間を要する。
また史実では、亀山の1万3千の軍勢は羽柴秀吉の援軍として集められている。




