軍装
「やっぱり、きっしょ!剥がせば剥がすほど気持ち悪い話だな」
「んー?先輩?いきなりなんですかー?」
「いや、本能寺の変の話だよ」
「僕も知ってますけど、気持ち悪くないですよ?」
「あのなぁ、これ、理由を一枚一枚剥がしていくと、矛盾と不合理な世界しか残らないんだ」
「……まあ、歴史ってそういうもんじゃないですか?」
「そうなんだけどな。ちなみに最後まで剥がしていったら、何が残ると思う?」
「う~ん、なんですか?」
「俺のIFだよ」
「なんでですか」
「原文と解釈を混ぜ込み、史実として四百年も積み上げてきた話だからだよ」
「先輩、急に歴史家全員に喧嘩売るのやめてもらえます?」
「特に本能寺は、気持ち悪さMAXなんだよ」
「はいはい、とりあえず歴史家に失礼ですよ。謝ってください」
「うっせえ。考証の歴史家が馬鹿なんだよ」
「もっとダメなやつじゃないですか」
◇◇◇
天正十年六月一日午前八時
亀山城。
朝の光が障子越しに差し込む城内の一室で、鏡に映る己の姿を眺めていた。
白い陣羽織を整え、袖を直すと、金糸が朝の光を受けて細やかに輝き、その下の具足も、白と金を基調にした新調の白糸威。
隠し刺繍の入った帯には、御館様と同じ模様を使った自慢の帯。
一歩、鏡から離れて身体を横へ向ける。
背に大きく入れた己の家紋が、白地の上で金色にきらりと輝いた。
「……ふふっ」
角度を変えるたび、家紋が光を拾う。
しばらく眺めてから、満足げに襟元を直した。
満足している俺の傍から呆れ声で、
「はいはい、見事でございますよ」
「だろ、利三。よし、今日の俺、かなりかっこいい!この軍装を御館様に見せたい!」
「はいはい。二十一時に出立ですので、汚さないようにして下さい。いえ、お脱ぎください」
「なぁ、御館様、本能寺にいるよな?」
「そうですね。本日は茶会ですので居られるかと」
「ここから近くないか?」
「まぁ、確かに二十キロぐらいですから、近いと言えば、近いですが、これから羽柴秀吉公の援軍として出立です。本能寺は反対方向です」
「そうだよなぁ、反対方向だよな」
(二十キロか……片道四時間、往復八時間か……今から出たらギリギリ間に合うよな)
「なら、俺だけ行くわ」
「はい?」
「俺だけ本能寺へ行って、軍装を見せて帰ってくる」
(利三は反対するのは知っている)
「……殿」
「なんだ?」
「それ、十分に支障がございます」
「大丈夫だって、俺だから」
「理由になっておりません」
(やっぱり反対するよな。でも、案外押したらいけそうだよな……)
「御館様、きっと言ってくれるぞ。
『おお、なかなかよい軍装ではないか』とか」
「いいえ、『早く秀吉の援軍へ行け』とおっしゃいます」
「……」
「御館様は、非効率、非合理なことをお嫌いになりますから」
「俺は、行くぞ!」
「いえ、そうではなく、はぁ」
「そうため息をつくな、利三よ。老けるぞ」
「殿が妙なことを言い出すからでしょう」
「なあ、利三」
「はい」
「御館様に、この軍装を見せたらどう思うと思う?」
「だから、先ほど申し上げたとおり――」
「違うぞ~俺が聞きたいのは、御館様が俺を見て、どう思うかだ」
「それでしたら、なおさら秀吉殿の援軍へ向かうべきでしょう」
「なんでだよ!」
「御館様が最も喜ばれるのは、殿が命じられた仕事をきちんと果たしたときです」
「それは……そうだが……なぁ、秀満、せっかく、こんなにいい軍装なのに見せに行ってもいいよな?」
「殿、軍装が泣きますので、おやめください」
「利三には聞いてない。なぁ、秀満」
「あの、義父……確かに素晴らしいです!では、我らも後を追いますので先に行くと言うならどうでしょうか?」
「後を追うとは?」
「はい。我らも御館様から出立のお言葉をいただければ兵たちの士気はうなぎ登りです」
「馬鹿者が!」
「えっ」
「それこそ御館様に怒鳴られるわ!
『秀吉の援軍に向かうはずの軍勢を、わざわざ反対方向へ動かして、何をしておるか!』
絶対言われる。怖い怖い……」
「殿、想像して怖がるくらいなら、やめましょう」
「いいか、2人とも。俺一人ならすぐ戻ればいい。
だが、流石に一万の軍勢まで反対方向へ動かしたら、本気で怒られるんだ!だから俺一人なんだ」
「……」
「なるほど、さすが父上」
「秀満殿、納得しないでもらいたい」
「でも父上だけいいですね……自分だけずるくないですか?」
「なんか言ったか?秀満」
「いいえ……ずるいって言っただけです」
「言ってるじゃねえか!」
利三も秀満も他の家臣も皆笑顔なのを見回すと
「よし、分かった。見せに行った際に、聞くだけ聞いてやる」
「え?本当ですか?」
「ただし、それで俺が御館様に怒られたら、お前は俺を慰めろよ」
「はい」
「俺がどれだけ怒られたか、最後まで聞けよ」
「はい!」
「そして、『殿は悪くありません』とか、『軍装は立派でした』とか言えよ」
「殿は悪くありません」
「まだ怒られておらんわ!」
笑いが絶えない朝だった。
誰も、その笑いが今日で最後だとは思っていなかった。
大軍は、羽柴秀吉の援軍へ向かう準備を進めている。
その一方で、光秀は明智秀満とわずかな供回りを従え、別の道へ向かおうとしていた。
馬上から、自分の袖、具足まで見ると軽く頷く。
「うん、いい。御館様、驚くかな」
「殿、どちらへ」
「御館様の所に軍装を見せに行く」
その一言の後、馬首が本来向かうべき道とは違う方向へ向いた。
その先にあるのは、本能寺。
この時、光秀が何を考えていたのか。
軍装を見せるためだったのか。
それとも――。
後世の人間には、確かめる術がない。
ただ一つ確かなのは、この朝、明智光秀は、本能寺に向け亀山を出たということだった。
ここで、運命の歯車の歯が一つ欠けた。
【史実と伝承について】
光秀が「出陣の軍装を信長に見てもらう」と軍勢に伝えたという話は、福知山市公式「福知山光秀ミュージアム」でも紹介されている。
それが謀反を隠すための言葉だったのか。
本当に軍装を信長に見せるつもりだったのか。
あるいは、そのどちらでもなかったのか。
ここから先は、史実として確認できる事実と、歴史の空白に想像を重ねた物語である。




