黒幕
六月二日 朝八時
本能寺の周辺は騒がしくいや、京全体が騒がしくなっている。
俺の計画は、明智光秀の行動ですべて狂った。
明智軍は、いなかった。俺は本能寺を出る時、確かに確認したのに、それなのに、なぜ明智軍がいる?
何が起きた。 どこで狂った。
父の生死が判明しないまま、
このまま俺が生き残れば再度問われる。
なぜ京都にいたのか。
なぜ兵を集めていたのか。
何か企てていたのではないか。
俺は生まれた時から、枕詞に信長の、がつく人間でしか無かった。
1人の人間として、1度も見て貰えなかった。
成功しても失敗しても信長の、信長様の、俺は織田信長の付属品じゃないのに。
「俺は俺なのに」
そう呟く俺の横で、鎌田が黙したまま刀の柄に手を添えるのを見た。
「父を殺して、どうなるか?簡単な答えだ。皆ができないことをしたんだ。いいや、織田信長にも出来ない事だ。だから必要だったんだ」
俺は血の滲んだ唇を指で拭い、その指先を見ながら笑い、そして短刀の柄は赤く染まる。
「ふははは、俺は……いや俺も父を敬っていたんだぞ。正しい息子だったんだよ。ずっとな。
でも、正しい息子は生まれた時から誰にも認められず、家督がなんだ?嫡男だからなんだ?
いつもいつも……信長信長信長様ってどいつもこいつも、ふははは、なぁ、俺は誰だ?」
『家臣に手の内を読まれるようでは、大将の器ではない』父の言葉が木霊する。
父を超えたかった、皆がいや父が出来ない事を成し遂げようとした。
だから織田信長を殺そうと決めた……なのに、
父を超えようとして、父にも届かなかった男として笑われ、
そこでも『信長の息子は失敗した』と、やはり信長様は凄いと、ずっとこの先誰からも見て貰えないのか――
「あははははは、なら、生きなきゃいい!」
腹に短刀が走り、ヌルッと熱いものが流れだした。グラリと身体が揺れる。
カチッと鯉口を切る音を俺の耳は拾うが、
「鎌田、まだだ。最後まで……付き合え。
なぁ鎌田よ、皆は『信忠が父・信長を殺す計画をなぜ立てる?そんなはずはない』と言ってくれるだろうよ。何せ俺は正しい息子だからな!
なぁ、鎌田……ゴホッ」
「……」
静かに空気が揺れる。
「明智いぃぃ!お前が謀反人だっ!あははは、誰にも、だ、だれにも……読ませやしない。
明智お前が異物だったが、使わせてもらうぞ!
俺は父を敬った正しい息子だ、ずっとこれからも。
父上、読めるもんなら読んでみろ!
俺は織田信忠だ!」
一閃
部屋は、静寂に包まれた。
***
燃え始めている室内。
信忠様は、首も遺体も残さない、他の証拠も一切残さないように、
徹底的に灰にしろと、二条御所の四方に火を放てと命じられた。
俺は、あの方のなにを見ていたのだろうか。
泣きながら笑っているあの方の首を抱きしめながら、
そばにいたのに、あの方の苦しみを本当に分かち合い、
助けてあげる事は出来なかったのだろうか。
我ら家臣の誰が理解していたのだろうか。
全て焼けと最後の命を受け、このまま何もかも火の中に消えて行くのであろう。
首を正面に置き、この状況下で咄嗟に明智光秀殿を謀反人に仕立てた貴方様の決断は、
正しい織田信長の息子としてですか?
護衛として来た明智軍に攻撃を仕掛け、
親王様や織田長益様を脱出させ、見事に乱戦に持ち込む事に成功までしています。
御館様の生存確認すら出来ないこの状況で、
信忠様は悲劇の武将として語られるのか、それとも結局今後は愚かな武将として語られるのか。
貴方様の最後の独白を聞いていたが、今の俺では当然正解か間違いかわからない。
あの方は小さい棘を抜けずにいや、ずっと織田信長という太陽に縛られていた。
「少し疲れたな」――そう呟いて刃を立て、追腹を決めたその瞬間、信忠様と目が合った。
仄暗く光のない濁った眼で、泣きながら苦悶に歪み、それでもどこか笑っているような信忠様を見ていると、最後の言葉が蘇ってくる。
読めるものなら読んでみろ、と。
俺はふと手を止めた。
そうか……今からでも遅くないのか。
ならば、この鎌田がもう少しだけ、貴方様の最後の策を見届けようと、
短刀を仕舞い、信忠様の目をそっと閉じ、念入りに信忠様の遺体や首に油をまいた。
それで世間から何と言われようとも構わない。
腰抜けと笑われようと、不忠義者と罵られようと、それでも今は死ぬわけにはいかない。
信忠様、少しだけ……お傍に行くのをお待ちください。
貴方様が最後に何を残そうとしたのか、それが世にどう伝わっていくのか、
しばらくの間だけ見届けてから、そちらへご報告に参ります。
皆の者はそれまで、信忠様とそちらで待っててくれ。
***
「こうして二条御所は燃え落ちる。
俺たちが知っている単語は、明智軍・燃えた二条・死んだ信忠。
そして400年間の疑問の一つ、なぜ信忠は、あれほど早く自害したのか」
「……」
「それでな後輩、後世で織田側が信忠の事を悪く書く必要はないだろ?
信忠を美化しすぎることもしないが、貶す必要もないんだ」
「悲しい……」
「そして知っているやつは、全員死んで信忠本人の遺体すらない。
それこそ火が全部消した。
なのになぜか介錯人をした鎌田は追腹の理由を明かさず、そのあとずっと生きてるんだぜ?
『死なない』という選択が、あの戦国時代の価値観では相当な覚悟が必要なんだぞ。
しかもそのあとは歴史上では、どんどん腰抜け扱い。歴史家のアホどもが」
「あっ、先輩暴走ダメ」
「ガチで言いたい。鎌田おまえ日記とか、誰かに言えよ!なんでそこで語らぬ武士の美学持ち出した?!
持ち出してなく晩年誰かに言ったなら、聞いたヤツ、お前は書け!太田牛一みたくセリフ仕立てでいいから!しかも大量に書けよ」
「せ、先輩?さっきと言ってること違ってません?!」
「違ってねぇよ、出典元が確かならウェルカムだよ。
本能寺のセリフは出処不明だからカリオンと同じで気持ち悪いがそれでも重要な史料には変わらん」
「でも、相当太田さんに不満でしたよね?」
「不満は不満だよ。それと山岡も2年半後に死んでるし、こいつもこの後なんも語らない。
生きてるのに重要人物二人が語らない、辛い」
「先輩落ち着いて、途中で消えたかもですよ?」
「都合よすぎるだろ。燃えてる本能寺の最中は、ミュージカル並の明智謀反のセリフ付きで残ってるのに。
しかも『信長公記』の「信長と御一手に御なり候はんとおぼしめされ』も、
書いた本人が聞いた言葉じゃないし、太田牛一はどの道、織田側だ。明智悪者で書いてもおかしくない。
悔しいよなぁ、明智側の史料が無いの」
「そうですね~でも先輩、色々悲しすぎます。ハッピーエンドが無い!」
「悲しいと言われても、あの日有力な武将と怪しいのは信忠しかいないんだよ」
「先輩、他の黒幕さんは考えられないんですか?そして、信忠が父親を殺す理由としては、やはり小さすぎません?」
「はっ?」
「いや、だって織田家の為とか、天下の為とかもっと大きな理由が……」
「明智謀反の動機には、散々ちっさい理由を並べるのに?」
「しぇんぱい怖いです……すいません」
「天下取りがどうとか、面目がどうとか、朝廷がどうとか、四国政策がどうとか」
「いや……そのダメではないんですが……僕は教科書で明智謀反と習いまして、信忠は嫡男ですし」
「後輩、さっきも言ったけど家督を譲られているからと言うなら、じゃあ斎藤道三・義龍は?
家督を譲ったら親父との関係まで自動的に終了するのか?」
「ウグ……ウーそうですよね。確かに……26年間、ずっと織田信長と比べられていたら、そりゃ歪みますよね……すいません」
「いや、まぁIFだからな。わりぃ言いすぎた。
ただ何となくでも綺麗につながる部分が多いから、お前も言葉詰まってるんだろ?
それか、もしかしたら殺す気はなく、見せたかっただけかもな」
「そんな、ドッキリのような扱いしないでくださいよ。
そうだなぁ、なんか僕わかるかも。信忠の気持ち。
僕も先輩と比べられて、先輩ならもっと早いとか軽いプログラム組むとか、
この件は先輩じゃないと駄目だから、先輩連れて来いとか言われると落ち込みますから」
「はっ?誰だよそんなくだらねー。
チッ、まぁ、いいんだよ、お前はお前で。
お前は俺には考えられないもんを組めてるんだから」
(えっ?今、先輩が褒めた?!貴重!)
「まぁ、それでだ。俺だってこんな気持ち悪いシステムエラーが、
400年も放置されてると思ってなかったからな結構驚いてるよ」
先輩はタブレットとPCを片付けながら、
椅子から立ち上がり、僕の肩をポンポンと叩いた。
「な? 最初から言ったろ。本能寺の変ってのは、綺麗にまとめられた歴史教科書を離れて、
『現場のログ』を追えば、俺には冤罪にしか見えねぇんだよ。
いいだろ?俺一人ぐらい天動説(謀反)に喧嘩売る地動説(冤罪)でも」
僕も慌てて、帰り支度をしながら、
「先輩〜、僕今日の夜……明智と信長親子の夢見そうです……」
「おぅ、見てやれ見てやれ、そして明智に聞いてくれよ。謀反人にされて『無念ですか?』って。それと信忠には、四〇〇年誰にも読まれてねぇぞ。成功だなって」
「きゃーー先輩、お風呂一緒に入ってーー(笑)」
「ははは、泣いた後に忙しいなーお前は。残りの仕事は明日だ明日。ほら電気消せよー帰るぞー」
【本能寺の変】
誰が敵なのか、何が起きてるのか、スマホも無線もない時代に起きた事件。
誰かに指示を仰ぐなら、走って伝えるしかなく、しかも伝令が到着する頃には、もう状況が変わっている。
信忠が居た
明智が居た。
信長が居た。
本能寺が燃えた。
二条が燃えた。
最後は全部火の中で生き残った当事者は少数であり、その筆頭である山岡・鎌田は黙し何も語らず死亡。
≪史料≫『当代記』二次資料として:国書刊行会『史籍雑纂 第二』に収録より鎌田に関して、
「此鎌田追腹可切旨甲ヶルカ何トカシタリケン終ニ不切」
訳:鎌田は追腹を切るべきだと思っていたようだが、どうしたことか、結局切らなかった。
鎌田はその後生きます。しかし理由を一切明かさず。




