第2話 蜘蛛の糸あるいは罠
入管と公安が動いたことで、埼玉県内にある教団の拠点は一つ壊滅した。
しかし、電脳空間の海を回遊するイザナミの目は誤魔化せない。警官隊が突入する直前、教団のメインサーバーから、どこか別の秘匿サーバーへと不自然な大容量データが転送されていたのを彼女は見逃していなかった。
「……トカゲの尻尾切り、か。末端の不法滞在者を差し違えにして、本尊は逃げるつもりね」
暗い部屋の中、イザナミは椅子の座面に両膝を立て、抱え込むような姿勢でディスプレイを見つめていた。
パーカーの裾から伸びる、白く滑らかな生足。膝を抱えたことで、ショートパンツの裾から太ももの付け根の柔らかい肌が覗き、彼女が身じろぎするたびに秘めやかな境界線が揺れる。だが、その視線は凍りつくほど冷たい。
「この国の警察じゃ、泳がされたコアデータまで辿り着けない。やっぱり、私が直接根こそぎにしてあげないと」
彼女の十指が再びキーボードの上で躍動する。
先ほど奪取した教団の通信ログを解析し、データの転送先を追う。それは一見、海外の善良なクラウドサービスを経由しているように見せかけていたが、暗号化の癖が完全に一致していた。
行き着いたのは、東京・大久保の雑居ビルに登録されている「外国人支援NGO法人」のサーバー。
「弱者救済、人道支援……。耳障りのいい言葉の裏で、不法滞在の犯罪者を匿い、日本の内側から社会構造を食い破る。反吐が出るわ」
イザナミは傲然と鼻で笑った。
彼女にとって、この国に生きる資格があるのは、天皇陛下を畏れ敬う純血の臣民だけだ。人権や多様性という甘言で日本の治安を汚す不法滞在者など、一人残らず排除すべき「害獣」に過ぎない。
NGOのサーバーへの侵入は容易だった。セキュリティは一般的レベル。
だが、イザナミが最深部のデータベースにタッチした瞬間――画面のインジケーターが異常な挙動を示した。
「……!?」
ハニートラップ。
侵入を察知されたのではない。最初から、イザナミのような凄腕のハッカーが嗅ぎつけてくることを見越して、偽のデータフォルダに「逆探知ウイルス」が仕込まれていたのだ。
『Welcome, Little Mouse(ようこそ、子鼠ちゃん)』
画面の中央に、挑発的なテキストポップアップが浮かび上がる。
同時に、イザナミのPCのCPU使用率が100%に跳ね上がり、冷却ファンが悲鳴を上げ始めた。強力なマルウェアが、彼女のローカルIPを特定しようと猛烈な勢いでコードを書き換えていく。
「くっ……!」
イザナミの額に、じわりと汗がにじむ。
急激な緊張感で体温が上がり、肌が粟立つ。息が荒くなり、キャミソールの胸元が激しく上下した。
相手の構築した罠は、ただの素人のものではない。国家レベルのサイバー部隊が使うような、高度に構造化された追跡プログラムだ。
「舐めないで……っ!」
イザナミはすぐにか細い指先を動かし、物理的なネットワーク回線を遮断するコマンドを叩き込みつつ、自身のPC内に「仮想の隔離空間」を瞬時に構築した。
迫り来るウイルスをその空間に閉じ込め、ダミーのシステム情報を食わせて爆発させる。
激しいタイピングの応酬。
キーボードを叩く指先が熱を持ち、部屋には彼女の小さく、色っぽい喘ぎのような吐息だけが響く。
――カツン。
最後の一打。画面の赤い警告が消え、静寂が戻った。
間一髪、逆探知を完全に無効化し、逆に罠を仕掛けてきた発信元のシグナルを捕らえることに成功した。
「はぁ……はぁ……」
イザナミは椅子の背もたれに深く身体を沈めた。
全身がじっとりと汗ばみ、黒髪のひと房が頬に張り付いている。キャミソールの肩紐が片方、白い肩から滑り落ちていたが、それを直す気力もないほど消耗していた。
しかし、その瞳には極上の歓喜が宿っていた。
捕らえた発信元のログ。そこには、NGOのトップであり、不法滞在者たちを裏で操る宗教組織の「教祖」のデジタル署名が残されていた。
「見つけた。あなたの喉元に、いつでも刃を突き立てられる」
イザナミは乱れた衣服を整えもせず、冷酷に、そして妖しく微笑んだ。




