14.塾、どこにする?
一方その頃。
美樹は学童に悠斗を迎えに行くついでに、学童のチラシコーナーから塾のパンフレットをゲットしていた。
夜道を歩きながら、美樹は息子に語りかける。
「塾に通えば、悠斗はもっと頭よくなっちゃうわよ~」
悠斗は黙っている。
「もっといい中学行きたくない?大学付属中学なら、大学まで入試無しで行けるらしいわよ!」
悠斗は黙っている。
「ちょっと塾の見学に行ってみようか。バスで送迎してくれるんですってよ!」
すると、ようやく悠斗が口を開いた。
「嫌だ」
途端に美樹は口をへの字に曲げる。
「何で?塾に行ってくれなきゃ困るわよ~」
悠斗ははっきりとこう言った。
「僕は困らない。困るのは、パパとママでしょ」
美樹は呆れたようにため息をついた。
「はあ~。そうよ、困るから塾に行ってちょうだい。悠斗、分かるでしょ?」
「……何が」
「パパとママの仕事のことよ!預け先がないんだから、仕方ないのよ」
「……」
「あっ、そうか。中学受験が嫌なのね?それならとにかく、塾に通ってくれさえすればいいわ。頭も良くなるし、いいことづくめじゃない」
すると悠斗はこう吐き捨てる。
「僕には、何もいいことがない!」
美樹は笑い飛ばした。
「何言ってるの。悠斗が東京で不自由なく幸せな暮らしが出来るのはね、パパとママが働いているからなの。もしどちらかが働けなくなったら、途端にこんな生活は立ち行かなくなるわよ?」
「……」
「それにね、悠斗の将来も、親の収入で決まってしまうのよ。貧乏なら借金して進学しなくちゃならなくて、返済にとーっても時間がかかるの!おじさんになっても借金を払い続ける生活になっちゃうわよ」
「……」
「悠斗、これが賢いやり方なの。分かってくれるでしょ?」
すると悠斗は減らず口を叩いた。
「いいよ。借金する。だから塾には行きたくない」
美樹はそこでようやくうろたえ始めた。悠斗は赤ちゃんの頃から非常に聞き分けがよく、全く手のかからない子どもで、親に口ごたえなどしたことがなかったのだ。
なぜ今まで言うことを聞いていたのに、塾にだけは行きたがらないのだろうか?
(……どうしよっかな)
美樹は疲れた頭を働かせた。
「そうだ。お友達と一緒に行けばいいんじゃない?」
美樹もかつて、親に言われた習い事を拒否したことがあった。結局その後、友達が行っている教室へ一緒に通うようになったのだ。
再び悠斗は黙ってしまった。美樹はそれを〝折れた〟と解釈し、更に畳みかける。
「お友達と一緒なら、きっと楽しくなって来るはずよ。そうね、きっとそうよ」
悠斗は黙っている。
美樹はその沈黙を〝同意〟とみなした。
悠斗が寝静まってから、美樹は武尊と通塾について話し合う。
「……っていうわけなのよ。なんだかすごく嫌がるもんだから、お友達と一緒に行ったら?って提案したの」
「ふーん、そしたら悠斗は何て?」
「黙っちゃった。でも、行って貰わないとこっちが困るんだから」
「ま、そうだよな……」
親としては背に腹は代えられない。悠斗に我慢してもらうしかない。
「一人っ子でもこんなに大変なんだから、そりゃ少子化は解決しないよな」
「中学受験させたがる親が増えるのも無理はないわ、親が教育している暇がないもの。私立なら情操教育がしっかりしているだろうから、放り込んどけばOKってなところがあるわよね」
「手間を省かなきゃ、人生やってらんないよ……」
美樹はビール缶を開けながら、ふと考える。
お金に余裕が生まれれば生まれるほど、なぜか暇が無くなって行くのだ。そして暇が増えればあっという間に生活が困窮してしまう。
なのに子育てには圧倒的に時間がかかる。だから育児世帯が困窮するのも無理はないのだ。のんびりしたいらしい息子には悪いが、両親ががむしゃらに働かないとその先にあるのは一家離散、そして死だ。
と、そこまで考えて気づいた。
(あら……?私ったら、ずいぶん思考が短絡的になってるわねぇ)
美樹はアルコールで不安を誤魔化しながら、その不安の正体を自分なりに言語化した。
(私、疲れてるのね)
それっきり、美樹は考えるのをやめる。くよくよ悩むのは、自分らしくない。
「さーて。話もまとまったし、早速塾に申し込むわよ!」
「行ってくれるといいな」
「行って貰わないと困るのよ。私たちの生活がかかってるんだから!」
美樹の手に思わず力が入り、ビール缶は軽くひしゃげた。




