11.陣の将来
すっかり外は暗くなった。
頼子は陣と弁当を買って、アパートに戻って来た。
翔馬が先に待っている。
「お帰り。こんな時間まで誰もいないから、心配したよ」
「ごめんごめん、陣とすみだ水族館に行って来たんだ。だから今日の夜はホカ弁」
「ああ、そう。何弁当買って来た?」
弁当はみっつとものり弁だった。
三人は、水蒸気でより頑丈になった海苔と格闘した。
「久々に食べたら、美味いな」
なぜか感心した調子で翔馬は言った。
「ところで、原稿はもう終わったの?明日締切って聞いたけど」
頼子は苦手なたくあんを勝手に夫の弁当に乗せながら答える。
「目途はついてる。トーン終わらせたから、あとは微調整と最終チェックだけ」
「お疲れ。そうだ、今日風呂上がったらマッサージする?」
「わーい、するするぅ」
何を隠そう、頼子と翔馬のなれそめは、客と按摩の関係から始まっているのだ。頼子が持ち込みをしていた出版社の入っているビルにマッサージ店があり、そこに足繫く通っていたらいつの間にか翔馬と意気投合していた。人生なんて、そんなものだ。
陣はぺろりとのり弁を平らげると、父親に言った。
「俺にもやってよ。鮫の見過ぎで肩凝った」
「お?何だそれ」
「鮫、上にいたから。俺、ずっと上向いてたから」
「陣は本当に鮫が好きだな。将来は鮫博士か?」
すると陣は笑う。
「いいね、鮫博士!どうやったらなれるの?」
「そうだな……大学に行かなきゃだめだな」
頼子が横から言った。
「となると、海洋学部かしらね?水族館勤務って手もあるけど」
陣が困ったように言う。
「えー、大学?学校行かなきゃ鮫博士になれないの?」
「基本的にはそうだな。だから、頑張って学校には行った方がいいぞ」
「そうは言うけど、俺、起きらんねーんだもん」
頼子が割って入った。
「私も中学生までには治ったから、陣もきっと治るよ」
「ママ。中学校もリモート登校じゃだめ?」
翔馬が言った。
「うーん、中学校は内申点の問題があるから、なるべくなら通って欲しいなぁ」
頼子はふと、自分の通っていた学校のことを思い出した。
「あ、そっか。うちの学校は内申点がなかったんだ……」
「頼子はそれで助かったんじゃない?私立に通ってたから」
最近悩み始めていた頼子の頭に、ひらめきが冴えた。
「そうだ。内申点ありきの公立中学へ行く予定だったから不登校に悩んでたけど、私立中学に通うならそこまで登校日数に悩むことないんじゃない?」
翔馬が、見えない場所で妙に増えた無限たくあんを頬張りながら頷いた。
「なるほど。確かに中高一貫なら受験でつまずく心配はないな」
「でしょう?」
頼子は厳格な両親に育てられたが小学校は不登校だったため、勉強で遅れを取らないよう、半ば強制的に塾へ入れられたのだ。その塾での成績が存外良かったため、中学受験をさせられたという経緯がある。
陣が言った。
「俺、朝起きらんなくて将来不安だから、その不安がなくなるなら、それやりたい」
頼子と翔馬は顔を見合わせた。
「そっか……陣は陣なりに、不安を抱えてるんだ」
「そうだよね。怠惰でこうなってるわけじゃないんだもん」
頼子はタンスに眠る預金通帳と心を通わせた。
「まあ、行けないこともない……か。私の、独身時代の貯金を突っ込めば」
「でも、それだと大学費用がすっからかんにならないか?俺、頼子の貯金を頼りにしてたんだけど」
「大学は奨学金で行ってもらう、って手もあるわよ」
「それなら高校行かずに高卒認定だけ取って、大学受験の方がコスパよくない?」
「その手もあるけど……でも陣に学校生活での青春を、病気で諦めて欲しくないなぁ」
大人は子ども時代の経験者なので、子ども時代の楽しさも、子ども時代の辛さもよく分かっている。
頼子は言った。
「公立中学だけじゃなくて、私立も視野に入れようか。私、ちょっと調べてみるよ」
翔馬はため息をついた。
「はー、つくづく子育てって金がかかるよなぁ」
「仕方ないよ。私も頑張るからさ、翔馬も頑張って──そうだ!編集者にちょっとコミカライズの仕事がないかどうか聞いてみるよ」
「おっ、そうしてくれると助かる」
すると、夫婦の間に陣が割って入った。
「俺も頑張る!」
頼子は笑って、陣の頭をくしゃっと撫でた。




