第五話
――西暦2149年。
人類は地球を飛び出し、火星、エウロパ、タイタンに都市を築いた。
恒星間航行は現実となり、病の多くは克服され、平均寿命は百五十年を超えた。
それでもなお、人類はたった一つだけ説明できない現象を抱え続けていた。
宇宙で生まれた男性の一部にのみ現れる未知の器官。
医学データベースに登録された正式名称は、P-Flower。
だが研究者たちはこう呼んでいた。
俗称――
「前立腺に咲く花」
CT画像には、前立腺の内部で静かに花開くものが映っていた。
花弁のような輪郭。
血管とも、神経とも違う。
誰が見ても、それは人体の一部には思えなかった。
植物ではなく、腫瘍でもない。
いや、人間の細胞ですらない。
DNAは検出されず、RNAも存在しない。
構成物質は既知の元素で説明できるにもかかわらず、その原子配列だけが理論上ありえない構造を示していた。
常圧では不安定。
切除した瞬間、存在そのものが崩壊する。
焼いても灰は残らない。
凍らせても変質しない。
ただ一つ、完全な真空中にのみその形を保った。
真空チャンバーへ移されたそれは、まるで息を吹き返したように淡く光を放った。
研究者たちは、何十年も答えを探し続けた。
生物学者は生命だと言い、物理学者は物質だと、情報工学者は構造体だと言った。
だが、誰一人として証明できなかった。
ある老いた研究者は、真空チャンバーの中で淡く光るそれを見つめ、ぽつりと呟いた。
「……これは、生物なのか?」
誰も答えられなかった。
その答えが、人類にもたらされるのは百年後。
それは、花ではなかった。
それは──『アンテナ』だった。
二百七光年彼方。
死んだ恒星を周回する、一つの人工惑星があった。
そこには誰もいない。生きているものは何も。
ただ一つ、最後の使命だけが残されていた。
のちの解析によれば――
「とある時代」。彼らは銀河へ無数の「種」を放ったのだという。
その種は侵略しない。
寄生もしない。
文明が芽吹くのを、ただ静かに待ち続ける。
そして、十分に成熟したとき。
一度だけ、親文明へ向けて信号を送る。
通信内容は、たった一文。
『こちらで、新しい知性が開花した』
最初の受信は、西暦2149年6月12日。
地球を周回していたすべての通信衛星が同時に沈黙した。
わずか〇・八秒。
世界は音を失う。
その〇・八秒の間だけ、世界中のP-Flower保有者が一斉に意識を失った。
彼らは全員、同じ夢を見た。
暗黒宇宙に一輪の花が咲いている。
花弁は恒星ほども大きく、無数の根は銀河を貫き、光の帯のように宇宙を結んでいた。
そして、その花の中心には――誰かが立っていた。
その顔はどうしても思い出せない。
ただ、微笑み、こう言ったことだけは全員が覚えていた。
『ようこそ』と。
夢から覚めた男たちは、ほとんど同時に身を起こした。
誰かに命じられたわけではない。
それでも全員が何かを書かなければならないと知っていた。
紙を探す者。
壁へ爪を立てる者。
机に指で文字をなぞる者。
言語は違う。文字も違う。
それでも、書かれた意味は完全に一致していた。
『ヒラカレタ』
誰一人としてその言葉の意味は分からなかった。
それなのに、その文章を書き終えた瞬間、胸の奥に奇妙な安堵を覚えていた。
各国政府は事態を隠蔽した。
報道は規制され、観測データは封印される。
P-Flowerに関する論文は、すべて機密指定となった。
だが、異変は止まらなかった。
ある男が火星である送信機を設計する。
同時に、その受信機を地球の男が作っていた。
月で思い浮かんだ数式を、タイタンの研究者が書き上げる。
お互いに面識はない。
互いの思考は静かに流れ込み始めていた。
地球と火星。
月とタイタン。
距離は関係ない。
光速という宇宙の法則さえ、そこには存在しなかった。
彼らは少しずつ、一つの意識になろうとしていた。
「これは感染ではない」
沈黙の続く会議室で、一人の研究者が口を開く。
「人類は今――」
彼はモニターに映る脳活動の同期波形を見つめる。
「次の進化段階へ移行しようとしているのかもしれない」
◇
私は宇宙生物学者として、その現象の調査に加わっていた。
P-Flowerは、宇宙で生まれた男性にしか発現しない。
今までの記録に例外はない。
私は女性だ。
だから、自分だけは無関係だと思っていた。
少なくとも……私はそう信じていた。
ところが、ある朝。
検査用ナノスキャナーが異常を示した。
「そんな……」
私は画面を見つめたまま、息をのむ。
そこに映っていたのは、存在するはずのない器官だった。
骨盤の奥。
何もないはずの空間が静かに歪んでいる。
まるで、その部分だけ空間が折り畳まれ、別の次元へ続いているかのように。
歪みの中心から、小さな光が漏れる。
花弁が一枚。
二枚。
三枚。
ゆっくりと増えていく。
「……違う」
思わず声が漏れた。
その瞬間、理解してしまう。
P-Flower保有者となった今なら分かる。
花弁は増えているのではない。
未来に完成した花が。
時間という川を逆流し。
まだ咲いていない現在へ、一枚ずつ姿を現しているだけなのだ。
その瞬間。
研究所の窓の外で、夜空いっぱいの星々が一斉に明滅した。
ひとつ。
また、ひとつ。
まるで誰かが宇宙そのものへ息を吹きかけたように。
私は反射的に窓へ駆け寄る。
「……何?」
星の瞬きにしては規則的すぎる。
いや……違う。
あれは、星ではない。
暗黒宇宙の彼方で、何千、何万、何億という巨大な『花』が一斉に花弁を開いていた。
その光景を目にした直後、頭の中に数兆もの声が響いた。
銀河の果てから。
時間の彼方から。
数えきれない知性の声がひとつの言葉を静かに重ねる。
「ようやく、最後の一輪が咲いた」
それは、長い長い旅路の終わりを確かめるような穏やかな声。
その言葉を聞き、私はすべてを理解した。
遥かな未来。
すでに咲き誇った文明たちは、過去へ向かって根を伸ばしていた。
P-Flowerは、その根の先端。
宇宙とは、未来から過去へ伸び続ける巨大な花園だった。
「とある時代」――そう記録されていたことの意味を私はようやく理解する。
それは過去のことではなかった。
まだ来ぬ、遠い未来の話だったのだ。
原因(完成された生命体、あるいは現象)が未来にあって、それが逆流して結果となる。ってのを表現しようとしました。ガチSFはむずいですね。




