第375話:弱者
「え!? あのゲバラが、『核ミサイルを打つべきだった』って言ったんですか?」
「ええ。『社会主義解放の勝利のためなら、数百万人の原子力犠牲者も価値がある』――そうインタビューで語っています」
わたしは、強いショックを受けた。
教科書や、Tシャツやグッズにプリントされたアイコンとして、チェ・ゲバラの存在は、わたしでさえ知っていた。
そして、そのイメージは、決して悪いものではなかった。
むしろ、アメリカという帝国主義国に立ち向かった、不屈の英雄。そんな印象だった。
ただ、いくら社会主義という理念のためとはいえ、数百万人もの命を捨ててもいいと公言するなんで……。
「僕も、それを聞いたときはショックでした。それまで、ゲバラを心酔していただけに、なおさら」
今まで明るかったハルトの表情が、初めて暗く陰る。
「僕に、日本人の血が入っているせいかもしれませんが‥‥‥。それを差し置いても、あの発言だけは耐え難いと感じています」
小さいながらも、巨大な相手に立ち向かう、不屈の者たち。
そういう姿に、人は憧れる。
ましては自分の国を護る戦いであれば、なおさら共感を覚えやすい。
けれど、弱者が常に正しいとは限らない。
仮に理想が正しくても、その手段が大きく間違っていたら、味方までも不幸にしてしまうことすらある。
わたしは、自分の中の、善悪の基準が揺らぎ始めているのを感じた。
『13DAYS』を観たときは、アメリカ目線からソ連やキューバに反発を覚え、メイン号の冤罪事件の話を聞くや、アメリカの狡さに憤りを感じ始める。
よく考えれば、ゲバラに対してもそうだ。
勝手に英雄像を作り上げておいて、いざその残虐性に触れると、とたんに嫌悪感が芽生えていく。
ふと、わたしは、昨夜のジャックの話を思い出す。
『ゲバラになる』と書き残して、ベトナムの地に消えた彼の義兄が、もし今も生きていたとしたら――。
いまだに、ゲバラが掲げた理想を抱き続けているのだろうか。
それとも、どこかで資本主義という現実と折り合いをつけて、普通に暮らしているのだろうか。
気が付けばわたしは、ベトナムという国に強い興味を持ち始めた。
アメリカの歴史上、唯一敗北を喫した国。
日本よりも国土が小さく、人口も少ないにもかかわらず、あの超大国相手に、なぜ最後まで戦い抜けたのだろうか。




