第371話:葉巻とラム
「ラムを使った、当ホテルのシグネチャーカクテルです」
バーテンダーが、ステムがやたらと長いカクテルグラスを差し出してくる。
カリブの海風と、遠くの焚き火の煙と混じったような香りが、鼻孔をくすぐる。
20歳になったばかりで、大学の新歓での安いお酒しか知らなかったけど、”ラム酒博物館”で飲んだ一杯は思いのほか美味しかった。
わたしは、その濃厚な甘さを楽しみながら、スマホをスワイプし始める。
すると、一時停止されたヘリコプターの画像が、目に入ってきた。
――あ、そういえば、サラに勧められた『地獄の黙示録』、見途中だったんだ。
大音量の「ワルキューレの騎行」とともに、米軍ヘリがベトナムの村を空爆するシーンだ。
冒頭から漂う不穏な空気と、その時代感に戸惑いつつも、どうしても目が離せない映画だった。
わたしは、イヤフォンをして、映画を再生する。
一瞬でわたしの意識は、1969年のベトナムへと飛ばされていった。
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映画のエンドロールが流れ始めたころ、夜は完全に更けていた。
あまりに没頭しすぎて、自分がどこにいるのかも分からなかったくらいだ。
「観終わったか?」
背後のテーブルより、不意に声を掛けられて、わたしはびくっと身を震わす。
振り向くと、ジャックの姿があった。
彼のテーブルの前には、琥珀色のウィスキーグラスと、その丸い飲み口を真一文字に分かつように葉巻が置かれている。
「ジャックさんも、飲みに来たんですか?」
わたしの問いに、ジャックは軽く笑って首を振る。
「まさか。いつ何時、フライト指令が飛んでくるか分からないローゼンバーク家のお抱えパイロットに、そんな余裕はないさ」
確かに、酒飲みのパイロットの飛行機には絶対乗りたくない。
「でもそれ……」とわたしが手元のグラスを指すと、ジャックは思い出したように言う。
「これは、義兄への餞さ。ずっと夢見てたからな。いつか本場のキューバ産の葉巻とラムをやりたいとな」
そう言えば飛行機の中で、チェ・ゲバラに憧れる義理の兄がいると言っていた気がする。
ジャックが、葉巻に火をつける。
煙を深く吸い込むと、再びグラスの上に置いた。
「今、お義兄さんはどこにいるんですか?」
「消えたよ。ベトナム戦争の最末期にな」
空に上る葉巻の紫煙が、失われた者に手向ける煙のように見えた。




