第370話:私は白いバラを育てる
「キューバ独立の父・ホセ・マルティの慰霊塔です。彼こそが、現代キューバの礎を作ったのです」
誇らしげにハルトが言う。
こんなに巨大な慰霊塔が建てられている以上、キューバでは絶対に有名人に違いない。
でもぶっちゃけ、自分の人生で一度も聞いた覚えがない。
――高校時代、もっと、真剣に世界史を学んでおけばよかった。
当時のわたしにとって、世界の歴史は距離的にも時間的にも遠すぎた。
だから、テストさえ乗り切れれば、それでよかった。
けど、こうして、世界中が危機に陥っている今、むしろそれこそが、一番重要な教科だったんじゃないかとさえ思う。
だって、相手を形作っている歴史を知らなければ、本当の意味で相手を理解することは難しいから。
「ご、ごめんなさい。実際、ホセ・マルティ―って、何をした人なんですか?」
――お気になさらず……と前置きをしてハルトが答える。
「彼は、1853年にハバナの貧しいスペイン移民の家庭に生まれた詩人です。第一次キューバ戦争に賛同して逮捕され、国外追放されますが、亡命先の各国で教育を受け、ニューヨークで革命党を立ち上げたんです」
「政治家とかじゃなくて、詩人……なんですか?」
「ええ。彼は、詩集『イスマエリージョ』で自由や尊厳を次世代に託す大切さを、『Nuestra América』を通して、ラテンアメリカ諸国の団結を訴えました」
2030年の今、詩人と呼ばれる人々は、いるにはいる。
けれど、詩人が政治を動かしたなんて話は、ついぞ聞かない。
もしかして昔は、媒体が少なかった分、言葉がより重かったのだろうか。
「ホセ・マルティ―は、言葉だけでなく、実際に行動していますからね。キューバ独立のための資金集めや組織化に奔走した後、第二次キューバ独立戦争では自ら前線に立っています」
「じゃ、その独立戦争で勝って、キューバを建国したってことですか?」
「いえ、彼自身は、その戦争で銃弾を浴びて戦死しています。その5年後、彼の意思を継いだフィデル・カストロがキューバを建国するのです」
「そう、なんだ……」
わたしは口を噤む。
悲願の建国を前にして、道半ばで斃れた無念はいかほどのものだっただろう。
わたしは再び、その真っ白な慰霊塔の足元の彫像を見る。
「『私は白いバラを育てる』という詩の中で、マルティ―はこう歌っています」
そういうと、ハルトが日本語で滔々と詩を詠唱し始める。
私は白いバラを育てる
七月も一月も同じように
真心の友のために
彼は私に率直な手を差し伸べてくれる
そして、私の生きる心を引き裂く残酷な者に対しても
いばらも毒草も育てはしない
私は白いバラを育てる
どこから取り出したのか、ハルトは、一輪の白いバラを、彫像に捧げる。
「戦争という最悪の時代においても、彼は、敵意に敵意で応じず、善意と人間性を保ち続けようと訴えました。その気高い精神こそが、キューバ建国の支えとなったのです」




