第345話:獲得性共感覚
「かくとくせい……きょうかんかく?」
久我教授が発した言葉を、そのままなぞってみる。
「わたしが、『気らしきもの』が見えるようになったのが、そのせいってことですか?」
「ああ。獲得性共感覚というのは、脳損傷後に、生まれつきではない『ある感覚』が出現する症例のことなんだ」
――正直、全くイメージが湧かない。
「脳が損傷した後、触覚や痛みが見えるようになったり、音楽を聴くと”楽譜”が視覚的に浮かんできたりするようになった―――という実例がある」
「つまり、ヴィクラムが銀の針でわたしの脳を刺したことで、その共感覚とやらが生まれて、気が見えるようになった――ってことですか?」
久我教授が頷く。
「ああ、だが極めて稀な症例だし、現在の最新の脳医学をもってしても、再現することは至難だ。ましてや、それを3本の針だけで行うなんて、まさに神業だよ」
わたしは、インドの仏塔の中で出会った紅い瞳の男――ヴィクラム――の事を思い出す。
現代最高の脳外科医の久我教授をしてそう言わしめる以上、殆ど奇跡のような腕前だったのだろう。
「流石は、医学界の伝説というべきか。できることなら、亡くなる前に会ってみたかったが……」
そう言って、ヒルデが持ってきてくれたコーヒーを口に含む。
そこに、十萌さんが口を挟んだ。
「けど、それだけでは説明がつかないこともあるわ。リンちゃんのおじい様もまた、似たような共感覚を身に着けていたんだから」
「でも、おじいちゃんも、幼い頃熊に襲われて頭を怪我したって言ってたから、同じようなことなんじゃ……」
「だとしても、ここまで稀な症例が、偶然同じ家系に現われるなんて殆ど天文学的確率よ。むしろ、遺伝的な原因があると考えた方がよっぽど説明しやすいんだけど……」
――確かに、「気が見えやすくなる遺伝体質」なんて、聞いたこともがない。
それに、わたし達とは血縁なんてこれっぽっちもない少林寺の朱飛たちまた「気」が見えていたはずだ。であれば、遺伝説はやっぱりあり得ない気がする。
沈思黙考の末、久我教授はこう呟いた。
「あるいは、進化論的な何かが因子として組み込まれているのかもしれない―――」
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エクアドルの首都・キトに向かう、ローゼンバーク家のプライベートジェット機の中で、わたしは一冊の本を読み耽っていた。
チャールズ・ダーウィン著の『進化論』。
人類の歴史に、最も大きな影響を与えた本。
そして、このタイミングで、カイがわたし達をガラパゴス島に招待してきたのも、きっと何らかの意図があるのだろうから。
半ばまで読み進めた時、気が付くと、既に深夜を回っていた。
わたしは読書灯を消し、ベッドに入る。
そして、とりとめもなく”進化”と”遺伝”について考え始めていた。




