第338語:脳内プロジェクター
――古代ギリシャ語で、アレクサンダー大王が死んだ時のことを話している?
モニターの向こうで行われている、およそ現代とは思えないやりとりに、わたしの頭がバグってくる。
そもそも、何でそんな会話になっているのかさえ分からない。
ようやく会話が終わったのは、それから20分ほど経ったのことだった。
白髪の病院長が、主治医、久我教授とカタリーナを共に控室に入ってくる。
椅子に座ると、開口一番、病院長はこう言った。
「脳内チップの除去手術は、認めることはできない」
――え?
反論しようとするソジュンを制して、十萌さんが尋ねる。
「先ほどの問診の結果だと思われますが……。ご事情を聞かせてくれますか?」
「主人格の少女のためじゃよ」
白髪と肌の感じから、60歳を超えているはずの病院長は、背筋がピンと伸び、しっかりとした意思を感じさせる。
主治医が口をそろえる。
「病院長は、脳内チップを除去した場合の、主人格への影響が大きすぎる――とおっしゃっているんだ」
「は?なんで、そんなこと分かるの?」
案の定ソジュンが、主治医に喰ってかかる。
「さっきまで、アレクサンダー大王がどうこうっていう、訳分かんない歴史の話をしていただけじゃん。大学の授業じゃないんだし、もっとまともに診断をしてくれよ!」
「ほう。あの古代ギリシャ語の会話が聞きとれていたのか?」
病院長は感心したように言う。
――ま、まあ、本当はAIに訳してもらっていたんだけど……。
ということは言わないでおく。
「それなら、感じ取れたのではないか? あの第二人格―ケルベロスとやらが、ことさら虚偽を述べているわけではないことに」
ソジュンが、目を逸らしながら吐き捨てる。
「一人の人間が、ギリシャ時代から生きているなんて、あり得るわけないじゃん!古代ギリシャの神々じゃあるまいし……」
そう言いながらも、ソジュンの目はどこか不安で自信なさげに見える。
――そう。
その不安はわたしも抱いていた。
単に 第二人格が、流暢な古代ギリシャ語を喋っていたから――というわけではない。彼からは、嘘を自覚している人特有の、迷いや後ろめたさの気配が全く感じられない。
韓国を語るときも、古代ギリシャについて話すときも、全くブレない。「アレクサンダー大王の死」でさえも、あたかも見てきたことのように語っていた。
彼の脳内では、時間も空間も完全に隔たれているはずの二国が、地続きであるかのようだ。
「あの脳波チップは、単にユンの脳波を制御し、強化するためだけのものではなかったのかもしれない」
久我教授は言う。
「恐らくあれは、人類の綿々とした歴史を頭の中で流し続ける、いわば”脳内プロジェクター”のような役割なのだろう」




