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火と氷の未来で、君と世界を救うということ  作者: 星見航
第22章:チェコ共和国・変わり身と城【2030年2月5日】
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第334話:眩暈

挿絵(By みてみん)


「あれが、フランツ・カフカ美術館だ」

 白鳥が飛び泳ぐヴルタヴァ河沿いに立つ、レンガ造りの瀟洒な建物が目に入ってきた。


「……なんか、思ったより普通なんですね」

 あの不気味で不条理な作品世界から、なんとなく奇妙な建物を想像していた。


「入ってみれば分かるさ。()()()()()()()()()()()()()()かがな」

 シモン刑事は微かに笑い、わたし達を入口へと誘う。


 わたしと、ソジュンが美術館の扉の前に立った時。

 シモン刑事は、こう言った。


「ここからは、一人で観た方がいい。この中が感じたことが、おそらくあの少(ユン)女を理解する助けになるだろうから」


 ――え!?

 それって、どういう意味?


 わたしとソジュンが口を開く前に、シモン刑事は、十萌さんを連れて、スタスタと庭の方へと歩いて行ってしまった。


 残されたわたしはソジュンは、顔を見合わせる。


 でも結局は、シモン刑事のアドバイスに従い、別々に行動することにした。

 ()()()()()()()()()、ユンの気持ちを少しでも理解できるとしたら、やらない理由などない気がしたからだ。


 わたしは、美術館の重い扉を押した。


 薄暗いエントランス。

 壁に投影される文字が、ゆっくりと溶けるように動いている。


 カフカの代表作「変身」の一節が、私の足音に合わせて伸びたり縮んだりする。


「朝、目覚めると、自分が巨大な毒虫になっていた」


 最初の部屋に入ると、鏡が並んでいた。

 いや、鏡ではない。鏡のふりをして、私を映さない何か。


 そこに映るのは、わたしの顔のはずなのに、輪郭が少しずつぼやけていく。

 目が二つあるはずのところが、ただの空白のように見える瞬間がある。


 私は指で自分の頰を触ってみた。

 冷たい。


 でも、触れた感触が、自分のものかどうかわからない。階段を降りる。


 下へ、下へ――。


 カフカの声が録音で流れてくる。


「私は自分自身を理解していない。自分自身を理解しようとするたびに、別の私が現れる」


 その言葉が、私の胸の奥に直接落ちてくる。

 まるで鉛の玉のように、重く、冷たく。


 出口の前に、ただ一枚の扉。

 扉には鍵穴がない。


 代わりに、小さな文字が刻まれている。

「ここを通る者は、自分を失う」


 わたしは眩暈を覚えた。


 ――ダメだ。

 この思考の迷宮から抜け出さなければいけない。


 わたしは声を出そうとした。

 ひゅっと空気を吐く音だけがした。


 そのとき。

 手に、仄かに温かな感触が伝った。


 ソジュンの手だった。

 その手は微かに震えている。

 

 顔を見ると、彼の顔もまた青ざめて見えた。

 

 たぶん、わたしも彼も同じことを考えていた。


 わたしたちは、今ここで、疑似体験をしたのだ。

 二つの人格を持つユンが常に晒されている、「自分が自分でなくなるという恐怖」を。


挿絵(By みてみん)

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