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混沌戦士サソリちゃん -説教されるの大嫌い-  作者: ハレルヤ/TOKYO SICKS


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38/43

Chapter 34 『ヤミガタリ/孵化 ― MA-YU IS LAUGHING ―』







挿絵(By みてみん)





















――音が、ない。










教室の窓が、まるで、世界の終末を告げる夕陽のように、赤く、赤く、光っていた。だが、風も、声も、誰かの息遣いさえも、なかった。

まるで、この世界の方が、呼吸を止めてしまったかのように、全ての時間が、全ての存在が、止まっている。









芽衣子は、倒れた机と椅子の、その瓦礫の海の中で、ゆっくりと、目を覚ました。

床に散らばっていたはずの、ヒトミのノートの断片が、今はもう、黒い灰に変わっている。











挿絵(By みてみん)










それは、イズナが、その身を賭して遺した、最後の“観測記録”。



かつて、レイナが書きつけ、イズナが観測した、無数の文字や数式が、その灰の中で、まだ、意味もなく、形を変え続けていた。













「……ここ、教室…か?」













視界の、隅で、何かが、動いた。

赤い、輪。








まるで、血で描かれた魔法陣のように、それは、ゆっくりと、しかし、確実に、回転している。

そして、その中心に――アヤネが、立っていた。






フードの袖は、無残に引き裂かれ、その白い肌の上を走る、無数の赤い線が、まるで、彼女の内なる神経回路のように、不気味な光を放っている。









その表情は、笑っているのか、泣いているのか、もはや、誰にも、分からない。

ただ、一つだけ確かなのは、そこに、もはや、“人間の、移ろいやすい時間”は、存在しないということだった。











「……赤髪?」





呼びかける声が、届かない。




この教室全体が、ゼリーのような、見えない膜に覆われ、声が、音が、その中に、ただ、吸い込まれていく。




アヤネの、深紅に染まった髪が、ゆっくりと、重力を無視して、浮かび上がる。

その動きに呼応するように、床に散らばっていたノートの灰が、一斉に、空中に舞い上がり、

破れたページの幻影が、「語りの欠片」のように、彼女の周りを、渦を巻いて、飛び始めた。








「“やめて”……」











「――その言葉、まだ、使えると思っているのか」










アヤネの声が、響いた。






彼女の口は、動いていない。

その声は、空気の振動ではなく、“意味”の、そのさらに奥深くから、直接、芽衣子の魂に、届いた。





芽衣子の、指先が、震える。

身体が、芯から、冷たい。

目の前にいる、この存在は、もう、友でも、敵でも、ましてや、アヤネでもない。

それは、自らの哲学の、絶対的な“奴隷”と化した、哀れで、美しい、怪物。







彼女は――ヤナール。











挿絵(By みてみん)











彼女の足元で、赤い環が、その領域を、広げていく。






地面が、まるで、聖典のページのように、音もなく、ひび割れていく。

壁に掲げられた「竜胆学園」という校名のプレートが、ゆっくりと、鏡文字に反転し、

この世界を縛っていた、最後の“語りの檻”が、壊れていく音が、した。














「……何を、したんだ、赤髪」













「何も。

ただ、お前たちの、矛盾だらけの“語り”が、終わっただけだ。

だから、今度は、私が、唯一の真実を、語る番」











その瞬間、割れた窓から吹き込んできた風が、黒い灰を、激しく巻き上げ、教室の空気が、巨大な、赤い渦を描く。










芽衣子は、思わず、両腕で顔を覆った。

だが、肌を焼くのは、熱ではない――純粋な、“恐怖”だった。











アヤネの周囲に浮かんだ、あの、不気味な“赤い輪”が、

まるで、何かの卵を、その中で温めるかのように、ゆっくりと、しかし力強く、鼓動を打っていた。











そして、彼女の背後に、赤い、血のような文字が、一つ、また一つと、浮かび上がった。

それは、インクではない。空気に、直接、焼き付けられた、“語りの、文法”。





「Fulfilling one's duties to the end――義理徹底」





その、言葉が、巨大な螺旋を描きながら、回転し、

そして、まるで聖痕スティグマのように、アヤネの、その震える腕へと、ゆっくりと、沈み込んでいった。








挿絵(By みてみん)










芽衣子は、膝をついたまま、必死に、息を整えた。









目の前で、不気味にゆらめく、赤い環。それが、まるで、この世界の新たな心臓であるかのように、彼女の呼吸に合わせて、ゆっくりと、しかし確実に、脈打っている。


息を吸えば吸うほど、その赤い輪郭は、より鮮明に、より強く、彼女を締めつけていくようだった。









「……もう一度、あの時みたいに…」


掌を、見つめる。









挿絵(By みてみん)










そこには、あの図書館での戦いの後、いつの間にかポケットに戻っていた、小さなライター。

緑色の、プラスチックの表面に刻まれた、あの日の戦いの焦げ跡。

ヒトミが、彼女に、託してくれたもの。











――あの時、確かに、炎はあった。


ヒトミの祈りが、私の怒りと混じり合い、あの、どうしようもない“現実”を、焼き払うほどの、緑の炎になった。











あの炎で、冥子は闇を照らし、ヤミガタリの“語り”を、一度は、焼いたはずなんだ。








「ヒトミ……! もう一度、私に、火を貸してくれッ!!!」

















カチッ。













乾いた、虚しい音だけが、この、音のしない教室に、響き渡る。

火は、上がらない。








ヤスリが、空しく、空を切るだけ。








カチッ。カチッ。

何度やっても、同じ。ただ、絶望のクリック音だけが、無慈悲に繰り返された。








「おいおいおいおい、嘘だろ…! ここ一番で、気まぐれかよッ!!!」









涙が、灰の上に、ぽつり、と落ちた。





赤い環の中で、その涙に濡れた灰が、静かに、ジュウ、と泡立ち、音を立てて、沈んでいく。

その、あまりにも無力で、あまりにも哀れな様を見て、ヤナールが、静かに、笑った。










「まだ、火などという、原始的なものに、鼓舞を求めているのか」











「だって、それが――」













「それは、もはや、語りの“燃えカス”にすぎない」








アヤネの、反転した目が、赤い、レーザーのような光を帯びた。

彼女の足元から伸びる、無数の赤い螺旋が、芽衣子の影を、まるで獲物を捕らえる蛇のように、飲み込んでいく。






「火など、もういらない。

“語り”は、私自身の、この内側で、すでに、燃えているのだから」






その言葉と同時に、芽衣子の手の中にあったライターが、音もなく、内側から、ゆっくりと、砕けていった。







中から、溶けたオイルが、黒い涙のように零れ落ち、床の灰と混ざり合い、そして――

まるで、誰かの、悪意に満ちた筆跡のように、一つの“文字”を、床に描いた。











〈止〉








芽衣子の瞳が、その、絶対的な宣告を前に、震えた。

まるで、この世界の神が、あるいは、悪魔が、“お前の物語は、ここで終わりだ”と、告げているようだった。









「……違う。終わらない…」









「終わりは、もはや、お前が決めることではない。“語り”が、決めるのだ」







赤い環が、一際、強く輝く。








教室の黒板が、メキメキと音を立てて崩れ、チョークの粉が、血の色の風に舞う。





天井から吊るされた時計の針が、狂ったように逆回転を始め、

この部屋にあった、全ての時間が、ヤナールの、その独善的な“語り”の中に、吸い込まれていく。










芽衣子は、

その、全てが崩壊していく光の中心で、

もはや、自分の中にいない、あの、混沌の化身の名を、もう一度だけ、呼ぼうとした。












「――冥…」










その、か細い言葉が、終わる前に、

世界が、

完全に、

裏返った。










アヤネが、ゆっくりと、歩み寄ってくる。



その歩幅は、常に一定。

まるで、定められた運命の上を、ただ、なぞるかのような、儀式的な歩み。






芽衣子は、灰の中で、必死に、立ち上がろうとした。

だが、脚が、動かない。空気が、鉛のように、重い。

それでも、彼女は、最後の力を振り絞り、その震える声に、ありったけの怒号を乗せて、叫んだ。














「てめえ…ッ! それが、お前の言ってた“義理”かよ、コラァ!!」







その、魂の叫びに、初めて、ヤナールの口角が、ゆっくりと、吊り上がった。










笑っている。なのに、その笑い声は、聞こえない。

代わりに、教室の窓が、一斉に、ビィン、と鳴り、黒板に残っていた、最後のチョークが、パァン、と弾け飛んだ。











「忘れてなど、いないさ、芽衣子」






ヤナールの声が響くたびに、芽衣子の足元に、赤いひびが走る。



「義理ってのはな、通すために、命を燃やすもんなんだよ。

でもな、命が、まだ残っているうちは、その義理は、まだ“中途半端”なんだ」





床の木目が、完全に反転し、この教室全体が、まるでメビウスの輪のように、表と裏が、ひっくり返っていく。





「あたしは、全部燃やした。

友情も、思い出も、痛みも、そして、“アヤネ”という、あの弱かった自分の名前も。

それこそが、“義理を、通しきる”ってことなんだよ」




ヤナールが、そっと、手を伸ばした。



その、白く、美しい指先から、赤黒い光の糸が、まるでレーザーのように走り、芽衣子の頬を、浅く、しかし確実に、切り裂いた。

熱くは、ない。







挿絵(By みてみん)








ただ、“言葉”そのものが、彼女の皮膚を、焼いていた。









「あんたの、その中途半半端な義理は、優しすぎる。

それは、ただの“約束”だ。

でも、あたしのは、違う。

――これは、“死刑執行”だよ」








その瞬間、ヤナールの、赤く染まった髪が、ぶわりと、宙に舞う。






その、一本一本が、まるで意思を持ったかのように、無数の赤い糸となって広がり、あっという間に、芽衣子の全身を、繭のように、取り囲んだ。

光が、爆ぜる。






挿絵(By みてみん)





教室にあったはずの、机や椅子が、一瞬で、その存在を、崩壊させる。

赤いノイズが、空間の全てを支配し、この世界から、全ての音を、奪い去っていく。





「義理のためなら、かつての仲間ともだちだって、殺せる。

――それが、あたしたちの、世界のルールだったはずだろ?」






その声は、なぜか、涙を流すかのように、あまりにも、美しく響いた。

芽衣子の瞳が、その、狂った純粋さに、揺れた。






そして、そのまま、ヤナールの掌が、そっと、芽衣子の胸に、触れた。

音もなく、ただ、黒い灰が、舞い上がる。










「……ごめんな。

でも、筋は、通さなきゃいけないんだ」










芽衣子の身体が、内側から、赤い光に包まれていく。

その光が、ゆっくりと、彼女の魂に、溶けていく。

彼女の中で、何かが、静かに消え、そして、全く別の何かが、芽吹いていく。








――冥子の、あの、絶対的だったはずの残響は、まだ、消えてはいなかった。

赤い環の、そのさらに奥で、微かな声が、蠢いた。

それは、祈りでも、呪いでもない。

ただ、踏みにじられた、“義理”の、最後の震えだった。







「……義理ってのは、怖いな」






ヤナールが、まるで他人事のように、独りごちる。

教室の時計が、完全に、止まった。

チョークの粉が、雪のように、ゆっくりと、降ってくる。








「でも、それが、一番、綺麗だと、思う」








衝撃の、後。

芽衣子は、床に、崩れていた。

呼吸をしようとしたが、空気が、肺に入ってこない。

体の、奥の奥から、ざらついた、嫌な音が、した。











――細胞が、震えている。


ヤナールが、ゆっくりと、近づいてくる。

その、美しい指先で、芽衣子の頬を、そっと、撫でる。

その触れ方は、まるで、これから始まる、恐ろしい手術の前の、麻酔のように、どこまでも、優しかった。






「なあ、芽衣子。

筋肉と、血管の、その境目って、どこにあるか、知ってるか?」





彼女は、そう言うと、その掌を、再び、芽衣子の胸の中心に、ぴたりと、当てた。

キィン、という、金属が鳴るような、医療器具の、冷たい響き。

芽衣子の、皮膚の下で、何かが、強制的に“開いた”。

細胞膜が、一つ、また一つと、異常に膨張し、赤い光を吸い込みながら、激しく、震えている。






血流が、逆転した。

体温が、急激に、上がっていく。

心臓が、自分のものではない、全く知らない、無機質なリズムを、刻み始める。






「INCHARONって、元は、医療用語なんだ。

感染制御型再生因子。

Infection Neutralizing CHApter of Regenerative Organic Node。

でも、私は、それを、“語り”に、適用した」






芽衣子の身体が、大きく、跳ねる。

筋肉の線が、皮膚の上に、くっきりと浮かび上がり、その下を、無数の光の筋が、走った。

それは、血管ではない。それは、ヤナールの“義理”という名の、文章だった。










「今、あんたの中にあった、あの、中途半端な“語り”を、私の“語り”で、再構築してやってる。

痛いだろ?

でも、安心しろよ。

私の痛みは、いつだって、正しい方向にしか、走らないから」






彼女の声が、もはや、耳からではなく、身体の、内部から、直接、響いてくる。

痛みが、「熱」ではなく、純粋な「音」として、脳に、伝わる。

芽衣子の瞳が、大きく、見開かれた。

自分の、脈拍が――全く、知らない、別の言語で、鳴っている。





芽衣子の網膜の裏側に、血のような赤い文字列が、強制的に焼き付けられていく。















[!!!] INFECTION SEQUENCE START...

CELLULAR VIBRATION DETECTED...

REWRITING MEMORY...

【 義理 】 >>> OVERRIDE >>> 【 this_is_my_INCHARON 】











ヤナールは、静かに、微笑んだ。

まるで、完璧な手術を終えた、天才外科医のように、ゆっくりと、その手を、離した。





芽衣子の、身体から、ふわりと、赤い煙が、立ち上る。

それは、血ではなかった。

彼女の中にあったはずの、あの、不器用で、しかし、確かに存在した“語り”そのものが、蒸発していく、音だった。






ヤナールが、倒れた芽衣子の肩を、静かに、踏みつけた。

その力は、重くはなかった。

ただ、この、新しく書き換えられた“現実”そのものの、絶対的な重さが、そこに乗っていた。






「なあ、芽衣子。

お前が、あの『リコリスサーキット』で、見てきたものは、一体、何だったんだ?」








その声は、氷のように冷たいのに、

言葉の奥で、わずかに揺らめく何かが、まるで炎のように、芽衣子の皮膚を、這い上がってくる。







「ああ? あそこには、お前の信じる“死”があったか? “正義”があったか?

それとも、ただの、“お前の都合のいい、自己満足の義理”か?」






芽衣子は、答えられない。

息を吸うたびに、この世界の灰が、肺の中に入り込み、内側から、世界が、ゆっくりと、縮んでいくようだった。






「“語り”は、循環する。

あのサーキットで回っていたのは、血じゃない。ただの、誰かの記憶データだ。

だから、お前は、あの閉じた世界の中で、何度も死に、何度も生き返った。

でも、結局、何も、変わらなかった。

なぜだか、分かるか?」






ヤナールは、ゆっくりと、その場にしゃがみ込み、芽衣子の耳元で、囁いた。

その声は、どこまでも静かで、まるで、優秀な医者が、末期患者に、その診断を告げるかのような、完璧な抑揚だった。





「――“義理”は、循環しない。

一度、破ったら、それで、終わりなんだよ」





芽衣子の、瞳孔が、わずかに、開いた。

ヤナールの言葉が、体の奥で、音となって、残響する。

それは、もはや理屈ではない。否定のしようのない、呪文のような、絶対的な“確信”だった。







「お前が、あのリコリスサーキットで、最後に拾ったのは、甘っちょろい“赦し”だ。

でも、私が、あの地獄の底で、ずっと求めていたのは、“回収”なんだよ」







ヤナールは、静かに立ち上がり、灰と化した、この教室を見下ろす。






「どちらも、愛だよ。

でも、片方は、この、クソみたいな世界を、焼き尽くすための、愛だ」





芽衣子は、かろうじて、拳を握った。

爪が、掌に、深く、深く、食い込む。でも、もう、痛みさえ感じない。

何も、出てこない。

緑の火も、ジザニオンの光も。



「……火は、もうつかねえし、毒麦の槍も、もう出ねえ」




声が、掠れる。

その言葉が、空気に混ざる前に、床の灰が、まるで飢えた獣のように、それを飲み込んでいく。






「……私の筋も、語りも、どうやら、どっかで、完全に折れちまってたんだな。

お前の言う、通りだよ。

“義理”ってやつは、一度折れたら、もう、二度と、元には戻らねえ」







その、完全な敗北宣言を聞いて、ヤナールが、ほんの少しだけ、首を傾げた。

その仕草は、奇妙なほどに、優しかった。







「でもな、アヤネ」




芽衣子は、初めて、彼女の、その古い名前を、呼んだ。


「――折れたもんが、完全に、死ぬわけじゃ、ねえんだぜ」






芽衣子の、滲んだ視界の中で、世界が、揺れる。

呼吸のたびに、胸が、焼けるように痛い。

それでも、その声は、震えながらも、確かに、続いた。







芽衣子は、口の中に溜まった、自分の血と、世界の冷たい灰を、一緒にガリッと噛み砕いた。



「火がつかねえなら、その煙を吸え。

毒麦が、もう咲かねえなら、その灰を、食え。

それが――“人間の、義理”ってもんだ」






ヤナールの、反転した目が、その言葉に、わずかに、揺れた。






「お前は、もう、神様の義理を語ってる。完璧で、間違いのない、絶対の義理をな。

でも、私は違う。私は、この“地べた”の、どうしようもなく、不完全な義理で、生きてんだよ」







その言葉には、もう、何の力も、残ってはいない。

けれど、ヤナールの足元で、黒い灰が、音もなく、さざ波のように、波打った。





それは、風ではない。

それは、芽衣子の中に存在してる冥子の、最後の残響――いや、“語りの、名残”だった。





ヤナールが、ふう、と、息を吐く。





「……それが、お前の、最後のセリフか」






芽衣子は、笑った。

その笑みは、血で汚れて、どうしようもなく、美しかった。






「ああ。筋は、通しただろ」






そう言って、

彼女は、ゆっくりと、灰の中へと、倒れ込んでいった。





世界が、完全に、止まった。





挿絵(By みてみん)










そして、その、絶対的な静寂の後、最初に鳴ったのは――音だった。







ピアノの、重い、低音。

まるで、壊れた心臓が、それでも、なお、鍵盤の上で、最後の拍を刻んでいるかのようだ。

それに、遅れて、弦が、鳴る。

伸びきった、ヴァイオリンの弓が、この、灰の海の中を、滑っていく。










誰が、弾いているのかは、分からない。

教室の壁が、楽器のように震え、

割れた窓ガラスが、不気味なリズムを、取り始めた。

ヤナールは、その、あまりにも場違いで、あまりにも美しい音楽に、目を閉じる。







「……いい、音だ」

彼女の、黒く染まった髪が、揺れ、灰の粒が、その音に共鳴して、光を散らす。






「これは、死の、前奏曲プレリュードだよ、芽衣子」






音は、増えていく。

ピアノ、弦、管、そして、打楽器。

どれも、完璧なまでに、正確なリズムを刻んでいるのに、その全てが、狂った、不協和音。

美しさと、狂気が、五線譜の上で、激しく、絡み合っている。






芽衣子の、意識を失った身体の、その奥で、何かが、まだ、小さく、震えていた。

それは、もはや、彼女自身の“語り”ではない。

ただの、残響。





そして、世界が、その、狂った音楽で、完全に満たされた、その時。

会場(この世界)全体が、まるで、たった一人の、新たな“スター”の登場を、待っているかのような、異様な熱気に、包まれた。


「リポストの音が、もうすぐ、聞こえる」


――A.Y.N/孵化、完了。











『この世界って、ずっと「かくれんぼ」の途中なんだよ』










更に別の方向から、どこからか、甘ったるくて、ひどく退屈そうな声がした。











『でもね、神様が隠れるのが上手すぎて、

 みんな、自分が鬼だってことすら忘れちゃったの。バカだよね』










カラコロと、骨でできたサイコロが、虚空を転がる音がする。








『だから私、見つけるのやーめた。

 代わりに、隠れる場所がなくなるまで、この遊び場ぜんぶ、火をつけて回ることにしたんだ』





ふふっ、と。

星を舐めるような、残酷で無邪気な笑い声が、黒い空間の奥から漏れた。











『――あ、ほら。あそこで今、芽衣子ちゃんとアヤネちゃんが、よく燃えてる』





(to be continued…)








挿絵(By みてみん)

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