Chapter 34 『ヤミガタリ/孵化 ― MA-YU IS LAUGHING ―』
――音が、ない。
教室の窓が、まるで、世界の終末を告げる夕陽のように、赤く、赤く、光っていた。だが、風も、声も、誰かの息遣いさえも、なかった。
まるで、この世界の方が、呼吸を止めてしまったかのように、全ての時間が、全ての存在が、止まっている。
芽衣子は、倒れた机と椅子の、その瓦礫の海の中で、ゆっくりと、目を覚ました。
床に散らばっていたはずの、ヒトミのノートの断片が、今はもう、黒い灰に変わっている。
それは、イズナが、その身を賭して遺した、最後の“観測記録”。
かつて、レイナが書きつけ、イズナが観測した、無数の文字や数式が、その灰の中で、まだ、意味もなく、形を変え続けていた。
「……ここ、教室…か?」
視界の、隅で、何かが、動いた。
赤い、輪。
まるで、血で描かれた魔法陣のように、それは、ゆっくりと、しかし、確実に、回転している。
そして、その中心に――アヤネが、立っていた。
フードの袖は、無残に引き裂かれ、その白い肌の上を走る、無数の赤い線が、まるで、彼女の内なる神経回路のように、不気味な光を放っている。
その表情は、笑っているのか、泣いているのか、もはや、誰にも、分からない。
ただ、一つだけ確かなのは、そこに、もはや、“人間の、移ろいやすい時間”は、存在しないということだった。
「……赤髪?」
呼びかける声が、届かない。
この教室全体が、ゼリーのような、見えない膜に覆われ、声が、音が、その中に、ただ、吸い込まれていく。
アヤネの、深紅に染まった髪が、ゆっくりと、重力を無視して、浮かび上がる。
その動きに呼応するように、床に散らばっていたノートの灰が、一斉に、空中に舞い上がり、
破れたページの幻影が、「語りの欠片」のように、彼女の周りを、渦を巻いて、飛び始めた。
「“やめて”……」
「――その言葉、まだ、使えると思っているのか」
アヤネの声が、響いた。
彼女の口は、動いていない。
その声は、空気の振動ではなく、“意味”の、そのさらに奥深くから、直接、芽衣子の魂に、届いた。
芽衣子の、指先が、震える。
身体が、芯から、冷たい。
目の前にいる、この存在は、もう、友でも、敵でも、ましてや、アヤネでもない。
それは、自らの哲学の、絶対的な“奴隷”と化した、哀れで、美しい、怪物。
彼女は――ヤナール。
彼女の足元で、赤い環が、その領域を、広げていく。
地面が、まるで、聖典のページのように、音もなく、ひび割れていく。
壁に掲げられた「竜胆学園」という校名のプレートが、ゆっくりと、鏡文字に反転し、
この世界を縛っていた、最後の“語りの檻”が、壊れていく音が、した。
「……何を、したんだ、赤髪」
「何も。
ただ、お前たちの、矛盾だらけの“語り”が、終わっただけだ。
だから、今度は、私が、唯一の真実を、語る番」
その瞬間、割れた窓から吹き込んできた風が、黒い灰を、激しく巻き上げ、教室の空気が、巨大な、赤い渦を描く。
芽衣子は、思わず、両腕で顔を覆った。
だが、肌を焼くのは、熱ではない――純粋な、“恐怖”だった。
アヤネの周囲に浮かんだ、あの、不気味な“赤い輪”が、
まるで、何かの卵を、その中で温めるかのように、ゆっくりと、しかし力強く、鼓動を打っていた。
そして、彼女の背後に、赤い、血のような文字が、一つ、また一つと、浮かび上がった。
それは、インクではない。空気に、直接、焼き付けられた、“語りの、文法”。
「Fulfilling one's duties to the end――義理徹底」
その、言葉が、巨大な螺旋を描きながら、回転し、
そして、まるで聖痕のように、アヤネの、その震える腕へと、ゆっくりと、沈み込んでいった。
芽衣子は、膝をついたまま、必死に、息を整えた。
目の前で、不気味にゆらめく、赤い環。それが、まるで、この世界の新たな心臓であるかのように、彼女の呼吸に合わせて、ゆっくりと、しかし確実に、脈打っている。
息を吸えば吸うほど、その赤い輪郭は、より鮮明に、より強く、彼女を締めつけていくようだった。
「……もう一度、あの時みたいに…」
掌を、見つめる。
そこには、あの図書館での戦いの後、いつの間にかポケットに戻っていた、小さなライター。
緑色の、プラスチックの表面に刻まれた、あの日の戦いの焦げ跡。
ヒトミが、彼女に、託してくれたもの。
――あの時、確かに、炎はあった。
ヒトミの祈りが、私の怒りと混じり合い、あの、どうしようもない“現実”を、焼き払うほどの、緑の炎になった。
あの炎で、冥子は闇を照らし、ヤミガタリの“語り”を、一度は、焼いたはずなんだ。
「ヒトミ……! もう一度、私に、火を貸してくれッ!!!」
カチッ。
乾いた、虚しい音だけが、この、音のしない教室に、響き渡る。
火は、上がらない。
ヤスリが、空しく、空を切るだけ。
カチッ。カチッ。
何度やっても、同じ。ただ、絶望のクリック音だけが、無慈悲に繰り返された。
「おいおいおいおい、嘘だろ…! ここ一番で、気まぐれかよッ!!!」
涙が、灰の上に、ぽつり、と落ちた。
赤い環の中で、その涙に濡れた灰が、静かに、ジュウ、と泡立ち、音を立てて、沈んでいく。
その、あまりにも無力で、あまりにも哀れな様を見て、ヤナールが、静かに、笑った。
「まだ、火などという、原始的なものに、鼓舞を求めているのか」
「だって、それが――」
「それは、もはや、語りの“燃えカス”にすぎない」
アヤネの、反転した目が、赤い、レーザーのような光を帯びた。
彼女の足元から伸びる、無数の赤い螺旋が、芽衣子の影を、まるで獲物を捕らえる蛇のように、飲み込んでいく。
「火など、もういらない。
“語り”は、私自身の、この内側で、すでに、燃えているのだから」
その言葉と同時に、芽衣子の手の中にあったライターが、音もなく、内側から、ゆっくりと、砕けていった。
中から、溶けたオイルが、黒い涙のように零れ落ち、床の灰と混ざり合い、そして――
まるで、誰かの、悪意に満ちた筆跡のように、一つの“文字”を、床に描いた。
〈止〉
芽衣子の瞳が、その、絶対的な宣告を前に、震えた。
まるで、この世界の神が、あるいは、悪魔が、“お前の物語は、ここで終わりだ”と、告げているようだった。
「……違う。終わらない…」
「終わりは、もはや、お前が決めることではない。“語り”が、決めるのだ」
赤い環が、一際、強く輝く。
教室の黒板が、メキメキと音を立てて崩れ、チョークの粉が、血の色の風に舞う。
天井から吊るされた時計の針が、狂ったように逆回転を始め、
この部屋にあった、全ての時間が、ヤナールの、その独善的な“語り”の中に、吸い込まれていく。
芽衣子は、
その、全てが崩壊していく光の中心で、
もはや、自分の中にいない、あの、混沌の化身の名を、もう一度だけ、呼ぼうとした。
「――冥…」
その、か細い言葉が、終わる前に、
世界が、
完全に、
裏返った。
アヤネが、ゆっくりと、歩み寄ってくる。
その歩幅は、常に一定。
まるで、定められた運命の上を、ただ、なぞるかのような、儀式的な歩み。
芽衣子は、灰の中で、必死に、立ち上がろうとした。
だが、脚が、動かない。空気が、鉛のように、重い。
それでも、彼女は、最後の力を振り絞り、その震える声に、ありったけの怒号を乗せて、叫んだ。
「てめえ…ッ! それが、お前の言ってた“義理”かよ、コラァ!!」
その、魂の叫びに、初めて、ヤナールの口角が、ゆっくりと、吊り上がった。
笑っている。なのに、その笑い声は、聞こえない。
代わりに、教室の窓が、一斉に、ビィン、と鳴り、黒板に残っていた、最後のチョークが、パァン、と弾け飛んだ。
「忘れてなど、いないさ、芽衣子」
ヤナールの声が響くたびに、芽衣子の足元に、赤いひびが走る。
「義理ってのはな、通すために、命を燃やすもんなんだよ。
でもな、命が、まだ残っているうちは、その義理は、まだ“中途半端”なんだ」
床の木目が、完全に反転し、この教室全体が、まるでメビウスの輪のように、表と裏が、ひっくり返っていく。
「あたしは、全部燃やした。
友情も、思い出も、痛みも、そして、“アヤネ”という、あの弱かった自分の名前も。
それこそが、“義理を、通しきる”ってことなんだよ」
ヤナールが、そっと、手を伸ばした。
その、白く、美しい指先から、赤黒い光の糸が、まるでレーザーのように走り、芽衣子の頬を、浅く、しかし確実に、切り裂いた。
熱くは、ない。
ただ、“言葉”そのものが、彼女の皮膚を、焼いていた。
「あんたの、その中途半半端な義理は、優しすぎる。
それは、ただの“約束”だ。
でも、あたしのは、違う。
――これは、“死刑執行”だよ」
その瞬間、ヤナールの、赤く染まった髪が、ぶわりと、宙に舞う。
その、一本一本が、まるで意思を持ったかのように、無数の赤い糸となって広がり、あっという間に、芽衣子の全身を、繭のように、取り囲んだ。
光が、爆ぜる。
教室にあったはずの、机や椅子が、一瞬で、その存在を、崩壊させる。
赤いノイズが、空間の全てを支配し、この世界から、全ての音を、奪い去っていく。
「義理のためなら、かつての仲間だって、殺せる。
――それが、あたしたちの、世界のルールだったはずだろ?」
その声は、なぜか、涙を流すかのように、あまりにも、美しく響いた。
芽衣子の瞳が、その、狂った純粋さに、揺れた。
そして、そのまま、ヤナールの掌が、そっと、芽衣子の胸に、触れた。
音もなく、ただ、黒い灰が、舞い上がる。
「……ごめんな。
でも、筋は、通さなきゃいけないんだ」
芽衣子の身体が、内側から、赤い光に包まれていく。
その光が、ゆっくりと、彼女の魂に、溶けていく。
彼女の中で、何かが、静かに消え、そして、全く別の何かが、芽吹いていく。
――冥子の、あの、絶対的だったはずの残響は、まだ、消えてはいなかった。
赤い環の、そのさらに奥で、微かな声が、蠢いた。
それは、祈りでも、呪いでもない。
ただ、踏みにじられた、“義理”の、最後の震えだった。
「……義理ってのは、怖いな」
ヤナールが、まるで他人事のように、独りごちる。
教室の時計が、完全に、止まった。
チョークの粉が、雪のように、ゆっくりと、降ってくる。
「でも、それが、一番、綺麗だと、思う」
衝撃の、後。
芽衣子は、床に、崩れていた。
呼吸をしようとしたが、空気が、肺に入ってこない。
体の、奥の奥から、ざらついた、嫌な音が、した。
――細胞が、震えている。
ヤナールが、ゆっくりと、近づいてくる。
その、美しい指先で、芽衣子の頬を、そっと、撫でる。
その触れ方は、まるで、これから始まる、恐ろしい手術の前の、麻酔のように、どこまでも、優しかった。
「なあ、芽衣子。
筋肉と、血管の、その境目って、どこにあるか、知ってるか?」
彼女は、そう言うと、その掌を、再び、芽衣子の胸の中心に、ぴたりと、当てた。
キィン、という、金属が鳴るような、医療器具の、冷たい響き。
芽衣子の、皮膚の下で、何かが、強制的に“開いた”。
細胞膜が、一つ、また一つと、異常に膨張し、赤い光を吸い込みながら、激しく、震えている。
血流が、逆転した。
体温が、急激に、上がっていく。
心臓が、自分のものではない、全く知らない、無機質なリズムを、刻み始める。
「INCHARONって、元は、医療用語なんだ。
感染制御型再生因子。
Infection Neutralizing CHApter of Regenerative Organic Node。
でも、私は、それを、“語り”に、適用した」
芽衣子の身体が、大きく、跳ねる。
筋肉の線が、皮膚の上に、くっきりと浮かび上がり、その下を、無数の光の筋が、走った。
それは、血管ではない。それは、ヤナールの“義理”という名の、文章だった。
「今、あんたの中にあった、あの、中途半端な“語り”を、私の“語り”で、再構築してやってる。
痛いだろ?
でも、安心しろよ。
私の痛みは、いつだって、正しい方向にしか、走らないから」
彼女の声が、もはや、耳からではなく、身体の、内部から、直接、響いてくる。
痛みが、「熱」ではなく、純粋な「音」として、脳に、伝わる。
芽衣子の瞳が、大きく、見開かれた。
自分の、脈拍が――全く、知らない、別の言語で、鳴っている。
芽衣子の網膜の裏側に、血のような赤い文字列が、強制的に焼き付けられていく。
[!!!] INFECTION SEQUENCE START...
CELLULAR VIBRATION DETECTED...
REWRITING MEMORY...
【 義理 】 >>> OVERRIDE >>> 【 this_is_my_INCHARON 】
ヤナールは、静かに、微笑んだ。
まるで、完璧な手術を終えた、天才外科医のように、ゆっくりと、その手を、離した。
芽衣子の、身体から、ふわりと、赤い煙が、立ち上る。
それは、血ではなかった。
彼女の中にあったはずの、あの、不器用で、しかし、確かに存在した“語り”そのものが、蒸発していく、音だった。
ヤナールが、倒れた芽衣子の肩を、静かに、踏みつけた。
その力は、重くはなかった。
ただ、この、新しく書き換えられた“現実”そのものの、絶対的な重さが、そこに乗っていた。
「なあ、芽衣子。
お前が、あの『リコリスサーキット』で、見てきたものは、一体、何だったんだ?」
その声は、氷のように冷たいのに、
言葉の奥で、わずかに揺らめく何かが、まるで炎のように、芽衣子の皮膚を、這い上がってくる。
「ああ? あそこには、お前の信じる“死”があったか? “正義”があったか?
それとも、ただの、“お前の都合のいい、自己満足の義理”か?」
芽衣子は、答えられない。
息を吸うたびに、この世界の灰が、肺の中に入り込み、内側から、世界が、ゆっくりと、縮んでいくようだった。
「“語り”は、循環する。
あのサーキットで回っていたのは、血じゃない。ただの、誰かの記憶だ。
だから、お前は、あの閉じた世界の中で、何度も死に、何度も生き返った。
でも、結局、何も、変わらなかった。
なぜだか、分かるか?」
ヤナールは、ゆっくりと、その場にしゃがみ込み、芽衣子の耳元で、囁いた。
その声は、どこまでも静かで、まるで、優秀な医者が、末期患者に、その診断を告げるかのような、完璧な抑揚だった。
「――“義理”は、循環しない。
一度、破ったら、それで、終わりなんだよ」
芽衣子の、瞳孔が、わずかに、開いた。
ヤナールの言葉が、体の奥で、音となって、残響する。
それは、もはや理屈ではない。否定のしようのない、呪文のような、絶対的な“確信”だった。
「お前が、あのリコリスサーキットで、最後に拾ったのは、甘っちょろい“赦し”だ。
でも、私が、あの地獄の底で、ずっと求めていたのは、“回収”なんだよ」
ヤナールは、静かに立ち上がり、灰と化した、この教室を見下ろす。
「どちらも、愛だよ。
でも、片方は、この、クソみたいな世界を、焼き尽くすための、愛だ」
芽衣子は、かろうじて、拳を握った。
爪が、掌に、深く、深く、食い込む。でも、もう、痛みさえ感じない。
何も、出てこない。
緑の火も、ジザニオンの光も。
「……火は、もうつかねえし、毒麦の槍も、もう出ねえ」
声が、掠れる。
その言葉が、空気に混ざる前に、床の灰が、まるで飢えた獣のように、それを飲み込んでいく。
「……私の筋も、語りも、どうやら、どっかで、完全に折れちまってたんだな。
お前の言う、通りだよ。
“義理”ってやつは、一度折れたら、もう、二度と、元には戻らねえ」
その、完全な敗北宣言を聞いて、ヤナールが、ほんの少しだけ、首を傾げた。
その仕草は、奇妙なほどに、優しかった。
「でもな、アヤネ」
芽衣子は、初めて、彼女の、その古い名前を、呼んだ。
「――折れたもんが、完全に、死ぬわけじゃ、ねえんだぜ」
芽衣子の、滲んだ視界の中で、世界が、揺れる。
呼吸のたびに、胸が、焼けるように痛い。
それでも、その声は、震えながらも、確かに、続いた。
芽衣子は、口の中に溜まった、自分の血と、世界の冷たい灰を、一緒にガリッと噛み砕いた。
「火がつかねえなら、その煙を吸え。
毒麦が、もう咲かねえなら、その灰を、食え。
それが――“人間の、義理”ってもんだ」
ヤナールの、反転した目が、その言葉に、わずかに、揺れた。
「お前は、もう、神様の義理を語ってる。完璧で、間違いのない、絶対の義理をな。
でも、私は違う。私は、この“地べた”の、どうしようもなく、不完全な義理で、生きてんだよ」
その言葉には、もう、何の力も、残ってはいない。
けれど、ヤナールの足元で、黒い灰が、音もなく、さざ波のように、波打った。
それは、風ではない。
それは、芽衣子の中に存在してる冥子の、最後の残響――いや、“語りの、名残”だった。
ヤナールが、ふう、と、息を吐く。
「……それが、お前の、最後のセリフか」
芽衣子は、笑った。
その笑みは、血で汚れて、どうしようもなく、美しかった。
「ああ。筋は、通しただろ」
そう言って、
彼女は、ゆっくりと、灰の中へと、倒れ込んでいった。
世界が、完全に、止まった。
そして、その、絶対的な静寂の後、最初に鳴ったのは――音だった。
ピアノの、重い、低音。
まるで、壊れた心臓が、それでも、なお、鍵盤の上で、最後の拍を刻んでいるかのようだ。
それに、遅れて、弦が、鳴る。
伸びきった、ヴァイオリンの弓が、この、灰の海の中を、滑っていく。
誰が、弾いているのかは、分からない。
教室の壁が、楽器のように震え、
割れた窓ガラスが、不気味なリズムを、取り始めた。
ヤナールは、その、あまりにも場違いで、あまりにも美しい音楽に、目を閉じる。
「……いい、音だ」
彼女の、黒く染まった髪が、揺れ、灰の粒が、その音に共鳴して、光を散らす。
「これは、死の、前奏曲だよ、芽衣子」
音は、増えていく。
ピアノ、弦、管、そして、打楽器。
どれも、完璧なまでに、正確なリズムを刻んでいるのに、その全てが、狂った、不協和音。
美しさと、狂気が、五線譜の上で、激しく、絡み合っている。
芽衣子の、意識を失った身体の、その奥で、何かが、まだ、小さく、震えていた。
それは、もはや、彼女自身の“語り”ではない。
ただの、残響。
そして、世界が、その、狂った音楽で、完全に満たされた、その時。
会場(この世界)全体が、まるで、たった一人の、新たな“スター”の登場を、待っているかのような、異様な熱気に、包まれた。
「リポストの音が、もうすぐ、聞こえる」
――A.Y.N/孵化、完了。
『この世界って、ずっと「かくれんぼ」の途中なんだよ』
更に別の方向から、どこからか、甘ったるくて、ひどく退屈そうな声がした。
『でもね、神様が隠れるのが上手すぎて、
みんな、自分が鬼だってことすら忘れちゃったの。バカだよね』
カラコロと、骨でできたサイコロが、虚空を転がる音がする。
『だから私、見つけるのやーめた。
代わりに、隠れる場所がなくなるまで、この遊び場ぜんぶ、火をつけて回ることにしたんだ』
ふふっ、と。
星を舐めるような、残酷で無邪気な笑い声が、黒い空間の奥から漏れた。
『――あ、ほら。あそこで今、芽衣子ちゃんとアヤネちゃんが、よく燃えてる』
(to be continued…)




