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傷ついた竜を救ったらその竜騎士にも懐かれました  作者: 橙華


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三話 竜騎士、自覚する



数日後、ルミナは王城へ招かれていた。

王城付きの魔獣医、エドガー・ヴェルナーが直接会って話をしたいと言ったのだ。

竜舎に隣接する診療棟へ入ると、焦茶色の髪に白いものが混じり始めた細身の男が待っていた。


「ルミナ・フェルメールか?」


「はい。お目にかかれて光栄です、ヴェルナー先生」


「あなたの名前は以前から知っている」


穏やかな灰褐色の瞳が確かめるようにルミナを見た。


「若くして大型竜まで扱える資格を取った魔獣医がいるとな。ただ、実際の腕を見る機会はなかった」


そう言って、エドガーは机の上に一冊の治療記録を置いた。


「今回までは」


それがヴァルドの記録だと分かり、ルミナの背筋がわずかに伸びる。


「縫合も止血もいい。傷の位置と深さを考えれば、飛行機能まで残したのは見事だ」


「ありがとうございます」


学生の頃から症例報告を読み続けてきた、尊敬する医師本人からの評価である。自然と声に力が入った。

けれど、エドガーはそこで話を終えなかった。


「ただし、二日目に使った魔力調整剤」


「……やはり、あれですか」


「量が多い」


嬉しさが一瞬で引っ込んだ。


「投与後、想定より魔力値が落ちました。次に同じ症例を診るなら、二割減らします」


「三割だ」


「三割……」


頭の中で投与量を計算し直し、無意識に眉を寄せる。


エドガーはそんな彼女をしばらく眺めていたが、やがてわずかに口元を緩めた。


「そういう顔ができるなら、大丈夫そうだな」


「どういう意味でしょう?」


「褒められたことより、自分の判断が甘かった方を気にしている顔だ」


ルミナが瞬きをする。


返事をするより先に、背後から聞き慣れた声が飛んできた。


「ほら。やっぱり俺に聞かれても分からなかっただろ」


振り返ると、竜騎士の隊服を纏ったゼインが立っていた。


「ゼインさん?」


「ヴァルドの様子を見に来た」


エドガーが呆れたように息を吐いた。


「ゼイン。暇ならヴァルドの歩行訓練に付き合ってこい」


「今から?」


「今からだ」


「分かった」


「返事だけはいいな」


そのやり取りに、ルミナが小さく笑う。


「私も以前、同じことを思いました」


「だろうな」


「ちょっと待って」


いつの間にか意見が一致している二人を、ゼインが交互に見比べた。


「なんか嫌だな、この組み合わせ」


「何がですか?」


「俺を叱る医師が二人になった」


「無茶をしなければ叱られませんよ」


「それもエドガー先生に言われた」


「なら、なおさら聞いてください」


まったく同じ調子で返され、ゼインは諦めたように天井を仰いだ。



◇◇◇



それからルミナは、自分の診療所を続けながら、竜騎士団の協力魔獣医として必要に応じて王城の診療棟にも呼ばれるようになった。


大型竜まで診られる医師は少ない。

加えて、ルミナはエドガーと同じ判断をすることもあれば、違う角度から意見を出すこともあった。


「その考えはなかったな」


初めてエドガーにそう言われた日は、帰宅してから少しだけ嬉しかった。少しだけということにしておく。


そして王城へ出入りするようになれば、当然ゼインと会う機会も増える。

ある日のこと。


「ルミナ」


振り返ると、ゼインが何かを差し出している。細い茎の先で、青白い葉が揺れていた。


「これ使う?」


「……月影草じゃないですか」


魔力鎮静薬の材料になる薬草で、ちょうど不足していたところだった。希少な種類のため、そう簡単に手に入るものではない。


「西の丘に生えてた」


「使いますけど……どうして?」


「君が前に探してるって言ってたから」


「よく覚えていましたね」


「覚えてるよ」


ゼインは何でもないことのように答えた。


また別の日には、王城の竜舎で顔を合わせるなり声をかけてきた。


「ルミナ。昼食まだ?」


「まだですけど」


「俺もまだなんだ。一緒に食べよう」


「ゼインさんと二人でですか?」


「嫌?」


「嫌ではありませんけど」


「じゃあ決まり」


すでに歩き出したゼインの背へ、ルミナは呆れた声を投げる。


「ゼインさん」


「何?」


「押しが強いとよく言われません?」


「よく言われる」


悪びれる様子は微塵もない。むしろ、それがどうしたと言わんばかりだった。





そんな日が続いたある日、診療所で薬品棚を整理していると、リネットが隣へ寄ってきた。


「先生」


「何ですか?」


「アルヴァレスさん、最近ものすごくよく来ますね」


「そうですね」


「ヴァルドさんとは関係のない用事でも」


手が、ほんの一瞬だけ止まった。


「……そうですね」


「気づいてます?」


「何に?」


「先生に会いに来てることです」


少しの沈黙のあと、ルミナは薬瓶へ視線を戻したまま答えた。


「……まあ」


リネットが目を丸くする。


「気づいてるんですか!?」


「私を何だと思っているんですか」


「いや、先生って恋愛関係はものすごく鈍いのかと……」


「失礼ですね」


ルミナは立派な大人の女性である。


それに、ゼインほど分かりやすく自分へ関心を向けてくる男を見て、何も気づかないほど人の感情に疎いわけでもない。


「じゃあ、困らないんですか?」


「何がです?」


「好かれてることですよ」


ルミナは少し考えた。


「別に」


「別に!?」


「仕事の邪魔をされるわけでもありませんし、ゼインさんは良い方ですから」


「……それだけですか?」


「それ以上、何が必要なんですか?」


あまりに平然と言われ、リネットは遠い目をする。


どうやらゼインの先はまだ相当に長そうである。少し彼に同情した。



◇◇◇



そんな関係が続く中、二人にとって大きな転機となる出来事が起きた。


西方の森で、魔獣が相次いで異常な攻撃性を示しているとの報告が入り、第一竜騎隊が調査へ向かうことになったのだ。

本来なら人と共存することのできる魔獣が理性を失い、人や同族を見境なく襲う――いわゆる魔物化である。

しかも、どうやら自然に発生したものではない。


原因を調べるため、協力魔獣医となったルミナも遠征へ同行した。

森の奥で見つかったのは、瘴気を帯びた魔力鉱石だった。そこから漏れる異質な魔力が、周囲に棲む魔獣の身体と精神を少しずつ蝕んでいる。


「これを取り除かない限り、治療してもまた同じことが起きますね」


「ああ。発生源を探す」


ゼインが迷いなく答えた。





調査を続けていた、その途中だった。

一頭の小型飛竜が、木々の間から姿を現した。


魔物化した個体ではない。

かなり年老いているらしく、歩みはゆっくりとしていた。翼にも腹にも、古い傷痕が残っている。


飛竜はルミナを見ると、その場で立ち止まった。

ルミナもまた、動かなかった。


しばらく互いを見つめ合ったあと、飛竜がゆっくりと彼女へ近づいてくる。


「……まさか」


ルミナの声が震えた。


差し出された鼻先。翼に残る傷と、腹部を走る薄い筋。


どちらも、十歳だった自分が震える手で何度も薬を塗った場所だった。


「……あなたなの?」


気づいたときには、頬を涙が伝っていた。

隣でゼインが息を呑む。

ルミナは構わず、老いた飛竜の額へ手を伸ばした。温かい。


「生きてくれていたんですね」


飛竜が応えるように低く喉を鳴らした。ルミナも泣きながら笑った。





その夜、野営地から少し離れた場所で、ルミナとゼインは焚き火を眺めていた。


「昼間の飛竜」


ゼインが口を開く。


「知ってたんだな」


ルミナは少し迷ったあと、静かに頷いた。


「十歳の頃に、助けてもらったんです」


幼い頃、森で魔物に襲われた。

まだ子どもだったルミナは、怖さで身体がすくみ、逃げることさえできなかった。

そこへ飛び込んできたのが、昼間再会したあの小型飛竜だった。


飛竜はルミナを庇って深い傷を負った。大人たちへ助けを求めたものの、当時その町には魔獣を専門に診られる医師がいなかった。人間を診る医師にも、家畜を診る獣医にも、飛竜の身体は分からない。


結局、幼いルミナには傷を洗い、教わった薬を塗るくらいしかできなかった。


「それで、魔獣医になったのか」


「はい」


ルミナは焚き火の向こう、暗い森へ目を向ける。


「あのとき、もっとちゃんと治してあげたかったんです。治せる人がいないなら、自分がなればいいと思いました」


「十歳で?」


「子どもでしたから。簡単に考えていたんでしょうね」


「それで、本当になった」


ルミナが小さく笑う。


「ずいぶん時間はかかりましたけど」


ゼインは何も言わず、そんな彼女を見つめた。





誰かに認められたかったわけではない。称賛が欲しかったわけでもない。


一頭の飛竜に命を救われたことを忘れず、十年以上ものあいだ、その日抱いた思いを手放さずに、本当に魔獣の命を救える人間になった。その手で瀕死だった自分の相棒を救ってくれた。


小さな火蜥蜴にも、大型竜にも、同じように「大丈夫」と言う優しい声。頭突きの話で笑った顔。探していると言った薬草を渡したときの顔。エドガーに褒められたときの顔。そして今日、飛竜を抱いて泣いた顔。


何の脈絡もなく、それらが次々と浮かんだ。


ゼインは、ようやく分かった気がした。


自分が彼女を目で追う理由も、話せばもっと話したくなる理由も、診療所へ行く口実を探してしまう理由も。


容姿が綺麗だからでも、話していて楽しいからでもない。ヴァルドを救ってくれた恩人だから、それだけでもなかった。


もっと深いところで、自分はこの人の生き方そのものに惹かれている。


そう思った瞬間、それまで曖昧だった感情が、驚くほど鮮明な形を持った。





「ああ……」


思わず声が漏れた。


「どうしました?」


ルミナが振り向く。


「やっと分かった」


「何がです?」


ゼインはしばらく彼女を見つめ、そして。


「俺、君が好きだ」


あまりにも何気ない口調だった。


今日の夕食を決めたとでもいうような気軽さに、ルミナは一拍遅れて瞬きをする。


「……はい?」


「俺は君のことが好きなんだなって。今、分かった」


「聞こえていました」


「ならよかった」


「よかった、ではなくて……」


思わずゼインの顔を見つめる。


冗談を言っているようには見えない。けれど、思い詰めた様子もなければ、返事を待って緊張しているようにも見えない。

あまりにも普段通りだった。


「なぜ、そんなことを今ここで言うんですか?」


「今、はっきり分かったから」


「……分かったから?」


「ああ。君のことが気になる理由」


ようやく腑に落ちた、とでも言いたげな顔だった。

そのあっけらかんとした様子に、ルミナの方まで妙に力が抜けてしまう。


ゼインは人目を引く容姿をしているし、明るく人懐こい。女性から好意を寄せられることも少なくないだろうし、こうした言葉を口にすることにも、自分ほど抵抗がないのかもしれない。


少なくとも今の彼からは、一世一代の告白をしている緊張感など微塵も感じられなかった。


だからルミナも、それを必要以上に重く受け取らなかった。


どうやら自分を好ましく思ってくれているらしい――そのくらいの認識だった。


「……そうですか」


「ああ」


「ええと――」


何か返した方がいいのだろうかとルミナが口を開くと、ゼインはそれを察したように軽く手を振った。


「いや、今はいいよ」


「今は?」


「俺も分かったばっかりだし。別に今ここで、君に何か答えてほしいわけじゃない」


ゼインはそう言って、焚き火へ視線を戻した。


「ただ、好きだって分かったから、君には言っておこうかなって」


「……普通、そんなに気軽に本人へ言うものなんですか?」


「駄目だった?」


「駄目ではないですけど」


「じゃあいいだろ」


ルミナは何とも言えない顔になる。


「ゼインさんって、時々すごいですね」


「褒めてる?」


「どうでしょう」


それでもゼインは気にした様子もなく、どこか満足そうに笑っていた。





それ以降、ゼインは自分の気持ちを隠さなくなった。


「ルミナ。会いたかった」


「昨日も会いましたよね?」


「昨日会ったら、今日は会いたくなったら駄目か?」


「そういう話ではありません」


また別の日には。


「ゼインさん。今日はヴァルドは?」


「王城にいる」


「では、何をしに?」


「君に会いにきた」


あまりにも即答されるので、ルミナも最近は驚かなくなった。


「……そうですか」


「反応薄いな」


「仕事中ですから」


「終わるまで待ってる」


「帰ってください」


「邪魔しないから」


「そういう問題ではないんですけど」


そう言われても、結局待っている。


しかも診療が長引けば、待合室で大人しくしているどころか、布や水の入った樽を運び、いつの間にか力仕事を手伝い始める始末だった。


「ゼインさん」


「何?」


「なぜ普通に手伝っているんです?」


「暇だから」


「第一竜騎隊の騎士が?」


「今は非番」


その横でリネットが笑いを堪えている。


ルミナは呆れた。


けれどゼインは意外なほどよく気が利くし、重い物を運んでくれるのは純粋に助かる。


何より、あれほど隠す気のない好意を向けられているのに、それを嫌だとは感じなくなり始めた自分に、困ってた。




◇◇◇



やがて、魔獣の魔物化を巡る異変は王都近郊にまで広がり始めた。

瘴気を帯びた魔力鉱石の影響を受けた魔獣が次々と運び込まれ、ルミナとエドガーはその治療に追われる。


一方、竜騎士団は魔物化を引き起こしている鉱石の発生源そのものを断つため、再び西方へ向かうことになった。

当然、ゼインも出征する。


出発を前に、ルミナはヴァルドの状態を念入りに確認した。


完全に回復した銀灰色の竜は、数ヶ月前に瀕死をさまよったとは思えないほど逞しい。


「問題ありません。翼も魔力循環も正常です」


「そっか」


ゼインがヴァルドの鞍へ足をかける。


「ああ。それと、ルミナ」


「何ですか?」


「帰ってきたら、すぐに会いに行く」


ルミナは少し呆れた。


「まず団長への報告ですよ」


「もちろん。そのあとで」


「怪我をしていたら、先にヴェルナー先生のところへ行ってください」


「怪我してなくても君のところには行く」


「……ゼインさん」


「ん?」


ルミナは少し迷ってから、自分の胸元へ手を伸ばした。診療衣の下から細い鎖を引き出す。その先には、小さな紫色の宝石が下がっていた。


「これを持っていってください」


「……何?」


「お守りです」


ゼインは受け取らず、宝石を見る。


「君がいつも着けてるやつだろ」


「よく見ていますね」


ルミナは小さく息を吐いた。


「祖母から貰った形見なんです」


「だったら余計に持っていけないだろ」


「昔から、遠出をするときには身につけておきなさいと言われていました」


何か特別な道具というわけではない。ただ、幼い頃からずっと身につけてきた大切なお守りだった。今回はこれをゼインに持っていてほしい。なぜかそう思った。


「今回は私より、ゼインさんの方が遠くへ行きますから」


「それで俺に?」


「はい」


「……大事なものなんだろ?」


「貸すだけです」


ルミナは彼の手へ宝石を乗せた。


「帰ってきたら返してください」


ゼインが黙る。

それから、ふっと笑った。


「それなら絶対帰らないとな」


「はい。ですから、無事に帰ってきてください」


ゼインは頷き細い鎖を首へ掛けた。


「じゃあ、行ってくる」


さらりと言って、ヴァルドの背へ跨った。銀灰色の翼が大きく広がり、風が巻き起こる。やがて地を蹴り舞い上がった。


もう見えなくなる――そう思ったところで、ゼインが一度だけ振り返り彼女を見つめ、今度こそ空へ飛び立っていった。


銀灰色の竜が完全に見えなくなるまで、ルミナはその場を動かなかった。


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