第3話「異世界の朝」
目が覚めた。
正確には身体が痛くて起きた。
「っ……」
身体を起こした瞬間、首から背中にかけて鈍い痛みが走る。
腰も痛い。
肩も痛い。
全体的に痛い。
「やっぱりベッドは偉大だなぁ」
しみじみと思った。
昨日まで当たり前だった。
高反発のマットレス。
ふかふかの枕。
通気性のいい掛け布団。
文明。
どれも失って初めて有り難みが分かる。
俺は大きな木の根元から立ち上がった。
朝日が木々の隙間から差し込んでいる。
鳥の鳴き声。
背筋がゾクゾクするような虫の羽音。
風に揺れる葉の音。
自然の音に満ちている。
ただ、それが俺の知る自然とは少し違うだけ。
「異世界、か」
昨日の出来事を思い出す。
ホームセンター。
フライパン。
ゴミ袋。
餃子。
そしてロキ。
「……ろくでもない神様だな」
改めて思った。
非常にろくでもない。
今度会ったら文句を百個くらいは言ってやろうか。
その為にもまずは生き延びなくちゃいけない。
──ぐぅぅう
腹が鳴った。
「飯……」
最後に口にしたのは昨日の昼。
仕事をあがってから何も口にしてない。
空腹感はかなり強いのに食料はない。
「携帯浄水器で餃子は出て来ないよな……」
出てきたら嬉しい。
異世界チート万々歳。
けど、現実はそんなに甘くなかった。
俺は取り敢えず川へ向かう事にした。
昨日見付けた水場。
◇
幸い迷わず辿り着けた。
携帯浄水器で水を汲んで飲む。
冷たい。
美味い。
「うん、ただの水だな」
喉を潤しながら考える。
今日は食料を探さなければならない。
しかし問題がある。
「何が食えるのかさっぱり分からない」
知識がない。
山菜もキノコも。
異世界植物となると尚更。
適当に食って腹を壊すどころか毒でした、なんて笑えない。
後からなら笑えるかもしれないけど、今は無理、笑えない。
俺は川沿いを歩き始める。
◇
しばらくすると、赤い実が生っている木を見付けた。
「……」
見た目は美味そうだ。
だけど、知らない実。
知らない物は食わない。
これが常識だ。
次に見付けたのは青いキノコだった。
「これ絶対駄目なやつ……」
見た目からして危険だった。
光ってる。
何故光る。
食材に発光機能は必要ない。
俺の知る限りは。
これも却下だ。
更に歩く。
すると茂みの向こうで何かが動いた。
「!?」
思わず足を止める。
ガサガサと葉が揺れる。
何か居る。
熊だったら終わる。
狼でも終わる。
異世界猪とか出てきたらもっと終わる。
緊張しながら見守る。
やがて姿を現したのは──
ウサギだった。
「……」
ただし、耳が四本。
ぴょこん。
ぴょこん。
四本とも動いてる。
「……」
異常だ。
だけど。
「可愛いな」
ふわふわで丸っこい。
目も大きい。
四つ耳ウサギは俺を見上げると、ぴょんっと跳ねて森の奥へ消えていった。
「なんだか……癒された……」
異世界にも可愛い生き物はいるらしい。
「昨日見なかった事にしてごめん」
少し反省した。
その直後だった。
──ブブブブブブブブ
「ん?」
聞き慣れない音が聞こえる。
振り返り、そして固まった。
「……」
大きい。
物凄く大きい。
トンボだった。
どう見てもトンボ。
なのに──
体長五十センチくらいある。
「……」
目が合った、気がする。
「うわぁああああっ!!?」
全力で逃げた。
学生時代の体育祭リレーアンカーの時以来の全力疾走。
無理だ。
無理無理無理。
虫は嫌いだ。
普通サイズでも嫌いなのに、巨大化してる虫なんてもっと嫌だ。
トンボは猛烈な勢いで追い掛けて来る。
「来るなぁああ!!」
逃げて逃げて必死で逃げる。
後ろからブブブブブという羽音が迫ってくる。
「どうして追い掛けて来るんだよ!!」
そんな時だった。
「何してんだ?」
頭上から声がした。
「助けて下さいっ!!」
反射的に叫んだ。
木の枝の上。
そこには黒髪の男が座っていた。
長い黒髪。
金色の瞳。
そして手には煎餅。
「ロキ!」
「ただの虫じゃん」
「ただのじゃない!あの大きさを見ろ!!」
何を言ってるんだこいつは。
虫嫌いに巨大化した虫なんて絶叫もんだってのに。
ロキは煎餅を齧りながら首を傾げた。
「あれ美味いぞ」
「嫌です」
「食えるんだぞ」
「嫌です」
「シーチキンみたいなんだぞ」
「だから嫌ですっ!!」
「俺は好きだぞ」
「聞いてませんっ!」
「シーチキンみたいで美味い」
シーチキンへの風評被害をやめろ。
「騙されたと思って食ってみろ」
「騙そうとしてる時点でアウトなんですよっ!!」
「そうか」
そうかじゃない。
シーチキンに抵抗が生まれたじゃないかどうしてくれるんだ。
それより助けろ。
元凶なんだから少しは責任を持て。
ロキは面倒そうに指を弾いた。
すると巨大トンボがぴたりと止まった。
そして何事もなかったかのように反対方向へ飛び去っていった。
「……」
「……」
俺はロキを見上げた。
「最初からやれ」
「嫌だ」
「何故」
「面白かったから」
知ってた。
そういう奴だ。
俺は深い溜息を吐いた。
「帰して下さい」
「嫌だ」
「知ってた」
少しだけ分かってきた。
この神様に常識は通用しない。
ロキは満足そうに笑う。
「そのうちもっと面白くなるぞ」
「何がです」
「知らん」
「適当かよ!」
ロキはひらりと枝から舞い降りる。
そして俺の肩をポンっと叩いた。
「まぁ頑張れ」
「他人事ですもんね」
「他神事だからな」
「それ気に入ってるんですか」
「気に入ってる」
腹が立つ。
非常に腹が立つ。
だがロキは満足そうに笑うと、そのまま空気に溶けるように消えた。
静寂が戻る。
「……ろくでもない。本当に」
出会って間もない。
けれど既に確信してる。
あの神様はろくでもない。
間違いなく。
俺は空腹を抱えながら再び森の中へ歩き出した。
まずは食料。
先の事はそれからだ。




