第15話「シオンの家」
王都の大通りをシオンの後について歩く。
露店から漂う美味しそうな香り。
威勢のいい商人の声。
荷車を引く馬の蹄が石畳を打つ音。
どれも森では聞かなかったものばかりで、ついあちこちへ視線が向いてしまう。
「ナギ、こっちだよ」
「あ、うん」
危うく人の波に飲まれそうになり、慌ててシオンの隣へ戻る。
「本当に迷子になりそうだねぇ」
「だからそう言ったじゃん」
「あはは。じゃあ、ちゃんと見てないとね」
「子供扱いしてない?」
「気のせいじゃない?」
絶対に少しはしてる気がする。
◇
大通りから一本細い道へ入った。
賑やかな声が少しずつ遠ざかっていく。
そこは住宅街らしく、石造りと木造を組み合わせた家々が並んでいた。
白い漆喰の壁。
赤茶色の屋根。
木枠の窓。
建物同士の間には植木鉢や洗濯物が並び、人が暮らしている気配がそこかしこに漂っている。
「この辺は静かなんだね」
「大通りから少し離れてるからね。買い物には困らないし、結構住みやすいよ」
「シオンはこの近くに住んでるの?」
「うん。もう着くよ」
少し歩いた先で、シオンが一軒家の前に立ち止まった。
二階建ての小さな借家。
豪華ではない。
けれど、古びてもいない。
白い壁と濃い茶色の柱に、赤茶色の屋根。
小さな煙突と、二階には木枠の窓。
一人暮らしにしては広そうだけど、屋敷と呼ぶほどではない。
何というか。
「シオンっぽい家だなぁ」
「そう?」
「何となく」
派手ではないけれど、柔らかくて落ち着く雰囲気。
そんな印象。
シオンは腰に下げていた鍵を取り出し、木製の扉を開けた。
「ただいま」
誰もいない家へ、ごく自然に声を掛ける。
俺はその後ろから恐る恐る中を覗いた。
「どうぞ」
「……お邪魔します」
家の中は想像していたよりも明るかった。
玄関を抜けると、リビングと食事をする場所が一つになった部屋がある。
木製の机と椅子。
壁際には小さな本棚。
窓の近くには二人掛けのソファ。
奥には煉瓦造りの暖炉もある。
物は多くない、けれど必要なものは揃っていて、きちんと人が暮らしている家だ。
「家だ……」
「そうだよ?」
「屋根だけじゃない」
「うん」
「壁もちゃんとしてる」
「そりゃあね」
「床が葉っぱじゃない」
「床は普通、葉っぱじゃないんだよ?」
シオンが肩を震わせてる。
「笑うなって」
「ごめんごめん。でも、ナギの拠点もなんか秘密基地みたいで楽しかったよ」
「楽しいのと暮らすのは違うんだよ」
「でもまぁ、実際一ヶ月暮らせたんだから」
「そうだけど」
「ナギ」
「ん?」
「今日から暫くここを使っていいよ」
「……え?」
「二階に空いてる部屋があるんだ」
「いや、でも」
「行く場所ないでしょ?」
「まぁ、うん」
「じゃあ決まりだね」
決断が早いのか、そもそもがそのつもりだったのか。
「命を助けてもらったお礼には全然足りないし、遠慮しなくていいよ」
「でも、会ったばかりだぞ?」
「そうだねぇ」
「知らない人を家に入れるって……大丈夫か」
「ナギなら大丈夫かなって。もう知らない人ってわけでもないし?」
「それはそうだけど、その信頼はどこから来てるんだよ」
「すごい水をくれたから?」
「基準が緩い!」
シオンはまた楽しそうに笑う。
本当に大丈夫なんだろうか、この人。
「ほら、部屋に案内するよ」
二階へ続く階段を上がる。
短い廊下の左右には扉が一つずつあり、シオンは右手側の扉を開けた。
「こっちが空いてる部屋」
こじんまりとした部屋だけど、狭苦しい訳じゃない。
窓と、簡素な衣装棚。
そしてーー
「ベッド……」
俺は入り口で立ち尽くした。
「うん、ベッドだよ」
「本物の?」
「偽物のベッドってどんなの?」
一歩一歩近付く。
そっと手で触れてみる。
ふかふかで、押した場所がゆっくりと戻る。
「柔らかい……」
「普通のベッドだよ?」
「この一ヶ月、地面と葉っぱだったんだよ」
「あぁ……」
シオンの顔から笑みが消えた。
少し同情された気がする。
「寝てみてもいい?」
「もちろん」
ベッドへ腰掛けると少し沈んだ。
「おお……」
そのまま後ろへ倒れ込む。
柔らかい。
背中が痛くない。
石もないし、枝も刺さらない。
「ベッドって、やっぱり偉大だなぁ……」
「随分苦労したんだねぇ」
「したよ。俺の人生史上最大級の」
「頑張ったね」
「……うん」
素直に頷いてしまった。
森では立ち止まる暇がなかった。
水を探して、食べ物を探して。
屋根を作って、壁を作って、床を作って。
岩風呂もどきまで作った。
だから今になって少しだけ力が抜けたのかもしれない。
「ゆっくりしてていいよ。僕、何か食べる物を作るから」
「料理出来るの?」
「簡単な物ならね」
「すごいな……」
「冒険者はどこにいても何でも自分でやらないといけないからね」
「俺の中の冒険者像がどんどん変わっていく」
「どんな想像してたの?」
「剣とか斧振り回して魔物倒す人」
「もちろん、それもするよ」
「料理もするんだ?」
「洗濯もするよ」
「生活能力高いな」
「そう?普通じゃない?」
普通ではない気がする。
少なくとも俺よりは高そうだ。
「あ、でもその前に……ナギ、服ってその一着だけだよね?」
「そう」
「今までどうしてたの?」
「川で洗って乾かしてる間はフリーダム」
「あははは!そっかそっか、じゃあ僕の服を一旦貸すよ」
「サイズ合う?」
「多分大丈夫じゃないかな」
そう言いながらシオンは自分の部屋へ向かった。
開いた扉の向こうが少しだけ見える。
綺麗に整えられたベッド。
その脇には木製のサイドテーブル。
サイドテーブルの上には小さなランプと一冊の本。
そして、淡い紫色の花びらが入ったガラスの容器。
シオンの部屋からこちらにまでふわりと柔らかい香りが漂う。
「良い匂い……」
「ああ、これ?ラベンダーのポプリだよ」
「ポプリ……」
「落ち着くんだ」
「シオンから時々する匂い、これか」
シオンが嬉しそうに笑った。
「好きなんだ、ラベンダー」
「なんか似合うな」
「そうかなぁ?」
「うん」
柔らかくて、安心する香り。
シオンそのものみたいに感じる。
「はい、これなら着られるかな」
差し出されたのは、白いシャツと紺色のゆったりしたズボンだった。
「ありがとう」
「お風呂も沸かしておくね」
「風呂?」
「うん」
「風呂があるの?」
「あるよ?」
「温かいお湯?」
「うん」
「岩は?」
「岩?」
「底、ゴツゴツしてない?」
「してないと思うけど……」
「入る。貸して」
「まだ沸かしてないよ」
「待つ、っていうか手伝う」
「そんなに入りたかったの?」
「そりゃもちろん」
シオンはまた笑った。
そして一階へ降りて行く。
俺は借りた服を抱えたまま、もう一度ベッドを見た。
柔らかくてふかふかなベッド、温かい風呂、まともな食事。
屋根も壁も床も、全て完璧な状態で揃っている。
「文明だ……」
一先ず服をベッドの上に置いて一階へと階段を下りる。
異世界生活、一ヶ月と六日目。
漸く俺は、温かい風呂と柔らかいベッドのある家へ辿り着く事が出来た。




