第12話「ただの水じゃない」
男がゆっくりと身体を起こした。
さっきまで立つ事すら出来なかったはずなのに、今は怪我をしていた自分の腕を曲げたり伸ばしたりしている。
「全っ然痛くない……」
傷があった場所を何度も確かめるように触っては動かす男。
服は裂けてるし、血も付いてる。
怪我をしていた痕跡はあっても、そこにあったはずの傷はない。
「いやいやいや……えぇ?」
俺は思わず一歩後退った。
「俺、何もしてませんよ?」
「確かに治癒魔法を施してもらったような感覚もないし……考えられるのは、その水くらいなんだけど」
「そんな馬鹿な」
二人で顔を見合わせる。
数秒の沈黙の後、突然男が吹き出した。
「あははっ!」
「どうして笑うんですか!?」
「だって、お兄さんも何も分かってないような顔してるから!」
「分かるはずないじゃないですか!」
だって本当に考えらるものが水しかない。
でも水だぞ?ただの水。
まぁ、正確には携帯浄水器を通した水だけど。
そんなので怪我が治るなんて聞いた事がない。
「僕はシオン・ロウ」
男は笑いながら俺に右手を差し出してきた。
「あ、水瀬凪です」
「ナギ?」
「はい」
「変わった名前だね」
「それはお互い様なのでは」
「そうかなぁ?」
「そうですよシオンさん」
「さん、いらない」
「へ?」
「シオンでいいよ」
「じゃ、俺も凪でいいです」
「うん、分かった」
さっきまで死にかけてた人とはとてもじゃないけど同一人物には見えない。
「で、ナギ」
「はい?」
「いやぁ、助かったよ。本当にありがとう」
「いえ……俺は別に水しか」
「そういえば、こんな所で装備も付けずに何してたの?」
「何って……生活?」
「……は?」
「一ヶ月くらいここで暮らしてます」
「…………はぁ?」
今度はシオンが固まった。
「ひ、一人で?」
「たまに変なの居るけど……まぁ、はい」
「変なの?」
「お気になさらず」
「気にはなるけど……基本的には一人って事かぁ」
「そうです」
「こんな森の中で……家はあるの?」
「家というかなんというか、あれです」
俺が拠点を指差すと、そっちへとシオンが視線を向ける。
屋根、壁、床。
そして、大木の裏にある岩風呂。
「……ナギ」
「はい」
「ナギって、何者なの?」
「ホテルの客室清掃員でした」
「ホ、ホテ?なにそれ」
「ですよねぇ」
シオンは頭を抱えて暫く何やら考え込んだ。
そして。
「まぁ、いっか!」
考えるのをやめた。
切り替えが早い。
「気になる事は山ほどある。でも一番気になるのは」
シオンは俺が右手に持っている携帯浄水器を指差した。
「それ」
「これですか」
俺は携帯浄水器を見つめる。
「これは……」
説明しようとして言葉が止まる。
何て説明すればいいんだ?
携帯浄水器。
災害用。
ホームセンターやネットで手に入る物。
どれも伝わる気がしない。
ここは端的に分かりやすく。
「水を綺麗にする道具です」
「水を?」
「飲めるように綺麗にします」
「そんな凄い物今まで聞いた事がない……他には?」
「それだけです」
「……」
「……」
シオンは浄水器を見て、俺を見た。
その視線はもう一度浄水器へ。
「僕の腕も足も治ったよ?」
「俺もそこが全くもって謎なんです」
「ナギ」
「はい」
「その水、もう一回飲ませてもらってもいい?」
「どうぞ」
シオンがもう一度水を飲む。
ゴクッーーゴクッーー
と喉を鳴らす。
「……」
「……」
「何か変わりました?」
「体力が回復していく気がする……お腹が減った」
「元気ですね」
「多分、完全に治っちゃったんだろうね」
シオンが笑って、つられて俺も笑ってしまう。
よく分からない。
本当に何も分からない。
その中で一つだけ確かな事がある。
「ナギ、君は命の恩人だよ」
シオンは真っ直ぐに俺を見た。
その表情はさっきまでの軽い笑顔じゃなく、真剣だった。
「改めて、ありがとう」
そんな風に言われると照れる。
俺は頭を掻いた。
「いや、本当に水を飲ませただけなんですけどね」
「その水が普通じゃなかったんだろうね」
断言したシオンは目を細めて笑う。
「取り合えず、一緒に王都へ行かない?」
「……え?」
「こんな森に住み続ける理由でもあるの?」
「それは……ありませんけど」
実際、あのいい加減な神に問答無用で飛ばされて右も左も分からないこの異世界で行く宛がないからこの森に居ただけだし。
「じゃあ、行こうよ」
その言葉は、異世界生活一ヶ月にして初めて俺の前に開かれたーー
森の外へ続く道標だった。




