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わが青春の泉荘  作者: 田久青
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8/22

アルバイト番外編①

東京の最も南のエリアに大田区がある

大田区の中で最も大きな街が蒲田だ

新編武蔵風土記によると、かつて蒲田は梅の木村と呼ばれ、梅の名所だった

江戸時代には歌川広重が蒲田の梅を描いていて、蒲田梅屋敷と呼ばれたらしい

現在でも蒲田の属する大田区の「区の花」は梅である。

JR蒲田駅より東急池上線の蓮沼駅の方が近い場所にそのアパートは建っていた

年季の入った木造モルタルの2階建て

ひび割れ模様の広がった外壁

歩くとギシギシときしんだ音がする渡り廊下

風呂なし共同トイレで部屋は6畳一間

そのアパートの名前は「泉荘」

「泉荘」からアルバイト先に一人で向かう時は


僕がいない間に何やら楽しい宴やおもしろいハプニングが


起きるのではないかと後ろ髪を引かれる思いで


そして何度も「泉荘」を振り返り重い足取りで駅へ向かった


当時、渋谷にあるラーメン屋で時給550円のアルバイトをしていた


大学の先輩に誘われて始めたアルバイトだった


渋谷駅の井の頭線のガード下に近い


パチンコ屋や居酒屋が雑然と並んでいる一角にそのラーメン屋はあった


支那そば「平和苑」という変わった名前のお店だった


僕らは「ピンフエン」と呼んでいた


アルバイトの初日、お客さんのオーダーを取ろうと


注文を聞くと


支那筍しなちくそば一つね」と言われ


何のことやらさっぱりわからず


きょとんとした目をしておろおろしていると


厨房の親父に怒られたりもした


タケノコのことを支那筍ということを生れて初めて知った


1979年7月19日木曜日


その事件は起きた


(なぜ正確な日付けまで覚えているのかは後に記載)


その日は大学の村本先輩と一緒に仕事をしていた


村本先輩は福岡県出身の純朴で硬派な人だった


村本先輩は、僕を知らない人に紹介するときはいつも


「よか奴やけん、よか奴やけん」と連呼して紹介してくれた


何だかその紹介のされ方に照れくさい思いをしていたのだが


僕以外のクラブの後輩を他の人に紹介するときも


ほとんど同じフレーズだった


村本先輩は純朴過ぎるくらいのとてもいい人でいつも僕らを笑わせてくれた


ホットプレートで焼き肉を食べた時も


ずっとホットプレートの下を覗き込み


「火の調節はどこ?火の調節はどこ?」と騒いだり


サウナを出た後にボルツの20倍カレーを食べサウナ以上に汗をかいて見せたり


ロッドスチュアートをいつもドッドスチュアートと間違えて発音したり


どれもこれも真剣な眼差しで


決して他人を笑わせようとしているわけではないところが


またとても可笑しくて大笑いをしてしまうのだった


夜の9時過ぎに二人組の女性客が入ってこられ


村本先輩が2階の席に案内した


村本先輩が注文を聞いてドタドタと2階から何やら興奮気味に降りてきた


厨房に注文を伝えると僕のそばにやってきて


「セキネケイコ、セキネケイコ、セキネケイコ」と連呼した


どうやら、あの女優「関根恵子」さんがお客さんとして


来ているらしい


(今は高橋恵子さんに名前を変えている)


髪はショートカットで金色に染めていたので


僕もすぐには分からなかった


村本先輩が興奮気味に


「オマエガラーメンモッテイカンネ!」と言うので


僕も好奇心から出来たラーメンを持って行った


少し緊張してラーメンを置く手が震えていた


その後もまだ興奮している村本先輩が


「ミズ、ミズ、ミズノオカワリ」といって


執拗に何度も2階に上がる


村本先輩に言われるまま、僕も何度も2階に上がる


恐らく「関根恵子」さんは、落ち着いてラーメンを食べるどころでは


なかったのではないかと推測される


「関根恵子」さんのマネージャーらしき人が


不機嫌そうにレジで精算をしている間も


村本先輩が


「セキネケイコノカエル、セキネケイコノカエル、セキネケイコノカエル」


本人に聞こえてしまうくらいの声で僕に話しかけてくる


村本先輩は「関根恵子」さんの食べ残したラーメンに


今にも食べてしまうのではないかと思うくらい


顔を近づけていた


その日は、村本先輩は興奮冷めやらぬまま


閉店後の後片付けも口笛を吹きつつてきぱきと処理していた


翌日、アルバイトの開始時間に少し余裕があり


近くの喫茶店でコーヒーを飲んでいた


入口の雑誌棚からさりげなくスポーツ新聞を取り


戻った席でその新聞を広げて目がテンになった


そこの大きな見出しに


「関根恵子失踪!!」


と書かれていたのだ


記事をを読むと


渋谷PARCO西武劇場公演『ドラキュラ』の舞台公演でのルーシー役が決まっていたが


講演前に失踪してしまったという内容だった


後日、タイのバンコクに逃げていたことが判明する


「関根恵子」さんもいろんな問題を抱えていたことは


想像できるが


ひょっとして、失踪と言う思い切った行動を後押ししたのは


あの村本先輩ではないだろうか


「あ~あ、芸能人ってゆっくりラーメンも食べれないのね、あ~あ」


深い溜息を吐く関根恵子さんの姿が目に浮かぶ


アルバイトに入り、遅れてきた村本先輩に


「関根恵子失踪」の話をすると


「ウソヤロー!」と驚き、その後したり顔で


「芸能人もいろいろあるんやろなあ~」とつぶやいていた


僕は村本先輩に聞こえない小さな声で


<<M先輩のせいかもですよ>>とつぶやいていた


PS


樹氷悲歌(1971年公開の映画)

http://movie.walkerplus.com/mv19335/


※長崎の田舎町に一軒だけあった小さな映画館で小学校6年生くらいの時にこの映画を観た。


母親と姉に関根恵子の裸のシーンは目をつぶってなさいと言われた。


僕は当然の如くスクリーンに身を乗り出していたのだった。

お読みいただきありがとうございました。

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