天武二号機蛍火対EF-22メーティス
『蔵雅さん! イリスがいました!』
「なに!? どこ!?」
『ビル群に囲まれた駐車場です! 国の持つ特殊衛星が超音速信号の軌跡と熱源を同時に捉えました。市民が避難した街でこれだけのエネルギーはジェット機しかありません!』
「またハッキング?」
『・・・・・・私の父です。味方はパイロットだけじゃない。数名のハッカーもあなたをバックアップしてますよ』
「限りなくアウトに近いアウトなことさせちゃってるよね――引き続き頼む!」
『もちろんです! 衛星からのカメラ映像があるので、私のサポートもスムーズになりました。最後までしっかりお役務めさせてもらいますからね!』
「うん!」
雲を裂いて急降下する。重力が体にのしかかり、油断すると意識が遠のきそうだった。呼吸が苦しくなり、血が体の端で止まったまま動かない。それでも止まるわけにはいかない。
「部下に戦わせて自分は高みの見物か、それとも僕がやられないとわかっていたのか」
葵衣の言っていた駐車場が見え始めると、そこに楔形のジェット機が横たえているのが確認できた。
「決着をつけよう!」
七十五ミリ砲を発射した。空を走る稲妻の如く、一発の砲撃音が響いた。
イリスは搭載されている二基のエンジンを九十度下方へ傾けてホバリングする。砲弾はイリスの右翼から僅かにずれて着弾。爆風のあおりを受けてイリスの機首が持ち上がる。
ここでイリスは驚異のある機体を認識した。エンジンの角度を変えて空へ飛翔する。
「正面から来るか!」
楔形が一直線にこちらへ向かってくる。接近するジェットエンジンの音の唸りが下腹に響いてきた。
こちらは機関銃で応戦するが、火線が伸びていくだけで当たらない。的が速すぎるのだ。華麗にするすると弾丸を避けて舞う様は曲芸に近いものがあった。そうして米粒ほどだった機体がみるみる大きくなって迫る。
操縦桿を右に切った。すれ違いざまに楔形が流星の如く発光する。
まばゆい光に視界が白一色に塗り替えられる。
それでも聴覚はまだ生きている。エンジン音は止まっていない。通信機から葵衣の声も聞こえる。僕はまだ飛べる。
『また戻って来ます!』
僕の攻撃をいとも容易く避けながら、イリスは二度三度と続けざまに発光した。それでも蛍火は墜ちない。やはり蛍火にステアは効果がない。あちらにとっても脅威と映るはずだ。
「葵衣、街に人はいないよね?」
『はい! 避難勧告が出てますから』
「よし。街へ降りる」
僕はスロットルレバーを握りしめた。
『どうしてですか? 危険では?』
「二つ理由がある、この機体はイリスに比べて遅い。有視界の空中戦で真っ向勝負しても勝ち目がないんだ。マッハで飛ぶ敵とじゃ速度で勝てない。けど、三つのエンジンのおかげで小回りが利く。市街戦に持ち込めば勝機があるかも」
蛍火がフオーンと鳴く。僕の意見に肯定してくれたような響きが感じられた。
「それとね、あいつそろそろ戦略を変えてくると思う」
『ステアが効かないので、実力行使ですか』
「そう、ミサイルが来る。遮蔽物を利用しないとまず撃墜されるね」
額の汗を拭う。
『蔵雅さん! 後ろから来てる!』
「わかった」
操縦桿を倒すと同時に、楔形が一発のミサイルを射出した。
「ほらきた」
『蛍火にフレアを搭載しておきました! 右の赤いボタンを!』
「うん!」
赤外線センサーで目標を追尾するミサイルを回避するには、大量の赤外線を放出してかく乱することが有効だ。近未来のジェット戦闘機と戦うのだから、これくらいの用意はしておいた。
「フレア!」
ぷすん、と嫌な音が聞こえた。
「ええと、あれ? 嘘でしょ!?」
何度ボタンを押してもフレアが作動しない。
「フレアが作動しないんですけど!」
『えええ!?』
「どういうことこれ!?」
『・・・・・・殿方も十人に一人はいざというとき不能になる方がいるとか』
「言ってる場合か!」
まさかの故障。
だがここで精神を乱していると、容赦のない攻撃に抗えない。舌を噛んで、脳内で乱反射している意識を呼び戻す。
考えろ、考えるんだ。
蛍火が造られたのは一世紀前だ。あの時代にミサイルの概念はない。即ち、蛍火にも対応できる武装はされていないとみるべきである。となれば、ミサイルは振り切るか撃ち落とすかの二択しかない。
後を追ってくる空対空ミサイルは音速を超えると聞いたことがある。加えて一直線に獲物へ向かうミサイルは、追われる側から見ると一つの点にしか見えない。的が小さすぎるのでまず機関銃では仕留められないだろう。
性能的に撃墜されるのは時間の問題だが、遮蔽物の間を縫うように進めば追跡から逃れることができるかもしれない。それなら街に逃げ込むのはやはり正解だった。
とにかく動力降下で速度を上げるしかない。しかし速度が出過ぎると持ち直しが利かずにそのまま地面へ突っ込んでしまう。失敗したら即死亡だ。逸る気持ちを抑え、神経を研ぎ澄ませて操縦しなければならない。
蛍火の翼が風の抵抗を受けて軋む音がする。目に見えぬ風の壁はいつ目前に現れるかわからない。降下した機体を再び空へ押し上げる時、決まって頭上には空気の壁が出現する。ただでさえ急降下の負荷を抱えている機体がこれとぶつかれば、容易に空中分解を起こす。機体の状態を確かめつつ、風を読むのもまたパイロットの役目である。落ち着け、落ち着け、と唱えるが僕も体にかかる重力で意識を持っていかれそうだ。
噛みしめた唇から血が滲む。体がぎゅうと圧縮されていくのを感じる。腹に力を込めて意識を保ち、翼の音に耳を澄ませる。鉄が歪み始めた際に出るぎぎぎという音がするが、まだ耐えられるはずと信じて降下を続ける。
「葵衣! 振り返る余裕がない、ミサイルは来てる?」
『距離を詰められてます、このままだとまずいですよ!』
次第に地面が見えてきた。
「操縦桿起こすぞ!」
僕は叫びながら操縦桿を引き起こす。蛍火の鳴き声が聞こえて、重かった操縦桿が軽くなった。
君は一人じゃない。どこかからそんな声が聞こえた気がした。
機首を持ち上げて再び機体を水平に保つ。蛍火の軌道を追うようにしてミサイルがついてくる。
『蔵雅さん! 目の前にビルが迫ってますよ!』
目前に高層ビルが迫っているにもかかわらず、舵を切らない僕に葵衣が声を掛ける。
「いいよ、このまま! あとはもう少しスピードがあれば――」
フオーン、という声が聞こえる。
三基のエンジンが昂ぶるように震え、直後に耳を裂く音が聞こえた。同時に速度がぐんと上がる。
「うわあ! 凄いぞ蛍火!」
ビルは巨大な壁と同じだ。衝突すれば無事では済まないが、まだ怯むわけにはいかない。
『ミサイルがもう!』
葵衣の声に悲痛な感情が含まれている。ミサイルが命中すれば装甲の厚い蛍火でも危険だ。僕もそれは充分に理解している。
「上がれ!」
僕は操縦桿を手前に引き起こした。腕だけでは持ち上がらず、体全部の体重を乗せて引く。奥歯を痛いくらいに噛みしめ、腹の底から力を絞り出す。
懸命に操縦桿を引いたのが幸いし、衝突する間際の所で蛍火は上昇する。機体の下腹がビルのガラス窓を擦る音が聞こえた。本当にぎりぎりのところだった。
「さあどうだ!?」
ギリギリで軌道を変えればミサイルがビルにぶち当たると思っていたが、聳えるビルの壁面に沿って垂直に飛行する蛍火に合わせて、ミサイルは的確に軌道を変えて依然として迫ってきていた。
「くそっ! たちの悪いストーカーめ」
ミサイルは姑息で嫌らしい武器だと改めて思う。フェアじゃないし、好きになれない。
上昇し続けると眼下にあったビルの壁面が消え、有機ガラスの向こう側には青空が広がった。
瞬間、操縦桿を倒して舵を切る。機体をねじるようにロールして、急降下する。
スナップロール。かつて父さんに教わった技の一つだ。機体を軸にして回転させるこの技術は、それ自体が一つのプロペラと化すようなもの。
ミサイルの内蔵レーダーが目標の変速した動きに惑わされて失速する。そのままビルの屋上に設置された電波塔に直撃した。
「ああ、死ぬとこだった」
僕はまだ無事だけど、長期戦はきびしい。
操縦桿を握りながらそう思う。先ほどに比べて手の感覚が鈍くなってきている。このまま逃げ回るだけではいずれ撃墜されるのは目に見えていた。
唐突に後部席の水晶が発光し始めた。
『うわっ、ちょっとなんですかこれ!?』
葵衣が言った。
「どうしたの!?」
『わかりません、蛍火とリンクしていたパソコン画面が文字だらけに――ハッキングされちゃったんでしょうか』
声が細々となる葵衣だが、僕には思い当たることがあった。
「葵衣! その文章読み上げて!」
『はい――ええと、空戦の原則として、運動エネルギーが多い方が有利なのは事実。飛行可能速度と高度の点で私は敵機に劣っている。正面からぶつかっても勝利は不可能。勝つ方法は自滅を起こさせるくらいだ――ってなんですこれ?』
「蛍火が言ってるんだ」
『そんなことあり得るんですか? 百年前の戦闘機が現代のパソコンとリンクって、なんてSF映画ですか』
「蛍火は映画よりエンターテイメントだよ」
『あ! また文字が――雲を見つけてほしいって。雲なんてたくさんありますけど』
葵衣が首を傾げる姿が目に浮かぶ。
「雷雲のこと?」
『あ、はい。雷雲みたいです』
会話から蛍火が何を考えているのか読み取った。それはあまりに危険な賭けだった。
「何を考えているのかはだいたいわかる。イリスを引き付けて、もろとも雷雲に突っ込もうっていうんでしょ。そんなことしたらこの機体もバラバラになるよ」
雲の中は気流の乱れが激しい。まして雷雲では風と稲妻の塊のようなものだ。そんな所に入れば、生きては出られないだろう。
「蛍火、聞いてくれ。確かにイリスは墜とせるけど、風と雷が入り混じる塊に突っ込むんだよ? いくら頑丈な機体でも持ちこたえられないよ」
『危ない感じですか?』
「葵衣はミキサーで野菜ジュース作ったりする?」
『しませんけど、テレビの通販でミキサーが作るのは見たことあります。野菜が一瞬でジュースになってました』
「僕達が野菜で、雷雲がミキサー」
『うえ、それは危ない感じです――って蔵雅さん上! 上!』
葵衣の叫びが会話を終わらせた。空の上からイリスが猛スピードで迫ってくる。
やられた、と思った瞬間、冷や汗が背筋をつたう。飛行機にとって上空からの襲撃は致命的だ。こちらからは反撃が難しいが、襲う側からはコックピトを狙い撃ちにできる。
反射的に舵を切るが間に合わない。イリスが放つ銃弾の雨が降り注ぐ。
操縦桿にも振動が伝わってくる。間違いなく直撃した。
「被弾した! 損傷は・・・・・・あれ?」
ところが、金属が砕ける音もなく艇内ブザーが警告音を鳴らすこともなかった。あれだけの銃弾を受けながら蛍火は無傷なのだ。計器を確認しても異常はどこにもなかった。コックピットから外を見ると、無数の青い稲妻が機体を駆けていた。
「損傷がない、確かに攻撃を受けたのに」
『全身に電気を纏い、電気の塊として動くと言いましたが・・・・・・まるで雷の化身ですね』
僕の疑問に葵衣が答える。
「雷が守ってくれてるんだ! やっぱりそうだったんだ!」
僕は叫ぶと同時にスロットルを開いた。
『再び文字が出ました! 蔵雅さんの気持ちと同調して、機体の防御性能が向上してるって。だから、雷雲に入っても耐えられるはずだそうです!・・・・・・蔵雅さん、他のハッカーから通信が入りました。南です、海の先にでかい積乱雲があります!』
「・・・・・・天空の覇者」
『はい? なんと言いました?』
「蛍火のスピーカーから聞こえた声。同調すれば天空の覇者になれるって言ってたね、今はそれを信じてみる!」
僕はその言葉と同時に南へ舵を切った。
「問題はそこまで辿り着けるかどうかだね」
蛍火の機首を海の方へ向ける。エンジンが再び唸りを上げた。
まずはこの場から抜け出さなければならない。街から抜ければ身を隠すものはなく、速力で振り切ることも不可能。けど、今の僕――いや僕と蛍火ならきっと大丈夫。
「一緒に乗り切ろう!」
蛍火が僕の声に応えた瞬間、水晶から漏れる発光が増した。それは僕達には励ましの声を、敵機には威嚇の唸りを上げるような声だった。機内を青い電流がほとばしる。壁と計器が青に染め上げられていく。まばゆい光に思わず目を細めた時、機体がイリスよりも強力な光を生み出す。稲妻の閃きの如く発光し、どーんという音と共に機体が加速した。
今や蛍火は鉄のつなぎ目までも青く光らせている。僕の体もまた青く輝いていた。体の芯が燃えるように熱い。
蛍火は光の粒子を尾に引きながら飛んでいた。
速い。ユキを乗せて飛んだ時より速度が出ている。驚いて悲鳴を上げそうになるが、ここで集中力を切らすわけにはいかない。
後方から迫るイリスが容赦なく弾丸を浴びせてくる。こうも続けざまに攻撃を受ければ、さすがに機体も持たないはずだ。それでも僕達は前進する。
頑張って蛍火、頑張ってくれ。
楔形の放つ弾丸が青い装甲を剥がしにかかる。
前に進むんだ、前だけを見ろ。
楔形が放ったミサイルが、蛍火の後部に直撃する。
機体が大きく傾くが、必死に操縦桿を引き起こす。
大丈夫、僕たちなら絶対にできる!
僕は叫ぶ。悪意を孕んだジェットエンジンの音が近づき、再び銃弾が蛍火を斬りつけにかかった。
「そのままついてくればいい、一泡吹かせてやる!」
銃弾が雷の鎧を剥がし、機体に穴をこじ開ける。がんがん、と鉄が強く打ちつけられる音がした。弾丸が蛍火を貫通したのだ。
イリスはどこまでもしつこく追ってくる。機体を左右に振って敵機の直線状に留まらないよう心掛ける。再び気銃弾の音が背後から聞こえた。可能な限りロールして交わすが、全ては無理だ。回転運動の連続で僕の体力も底が見え始めている。それでも音を上げるわけにはいかない。機体を穴だらけにされながら僕達は飛び続けた。
もう長くは持たないと思った時、下腹を海に着けてどんと構える積乱雲が見えた。
「あれだ、突っ込むぞ!」
叫ぶと同時に、僕達は雲の中へ入った。
『蔵雅さん! イリスもついてきてますよ!』
葵衣が叫ぶ。ひとまず楔形を雲に引っ張り込むという第一の目標は達成されたが、ここからが地獄だ。
先ほどの雲とは比べものにならないくらい、暴力的な世界が広がっていた。空や雲の色はなく、全てが黒く塗りつぶされた世界。小さな礫のような雨粒が叩きつけ、風があらゆる方向へ吹き荒れている。
何も見えない。風の力が強すぎて舵が重みを増している。激しい揺れに襲われて頭が痛い。時折、雷鳴が轟く。その度に機体が悲鳴を上げる。嵐に抗えば抗うほど、機体は痛めつけられていく。
僕の口から聞いたこともないうめき声が漏れた。視界が翳み、計器がぼんやりとしか見えない。全ての音が遠のいていく。
僕達は強大なものの掌の中にいる。蛍火がいかに優れた機体と言っても、稲妻と暴風が支配する魔の世界では紙切れ同然だ。嵐は僕達を弄ぶように上下左右から小突き回してくる。急上昇と急降下を繰り返され、内臓が押しつぶされそうだった。
紙のようにくしゃくしゃと丸められ、捨てられてしまう想像をして身震いする。この場所では死がすぐ隣に潜んでいる。言い知れぬ不安が押し寄せてきた。
僕は操縦桿を握っていた。そして記憶の奥で温もりを有する彼女のことを想った。
「ユキっ!」
雷鳴に僕の顔が照らされた。
苦悶の表情を浮かべる僕と違って、記憶の中のユキは春の日差しを受けているかのように微笑んでいた。
――夢を持ってる人って好き。
声が聞こえた。
ユキの声は淀んだ世界の中でも澄み渡っていた。気高くも美しいそれは闇の合間を抜けて僕の耳に届いた。
失いかけていた意識が急激に戻ってくる。瞬間、僕は操縦桿を押し込んでいた。目前に風の壁が迫っている、そう感じたのだ。
機首を下げた直後、正面から巨大な風の拳がやってきた。機体上部をかすめていっただけなのに、余波で両翼が引きちぎれそうだった。
突然、視界が開けた。目の前には夏の輝きに満ちた空と海がある。
随分と高度が下がっていたらしい。暗黒の世界の終焉は、本当に唐突に訪れたのである。
暴風も雷もない。視界の先で無限に広がる空と海が一本の線で結ばれているのが見える。海面が太陽に照らされ、雲が青空に抱かれていた。有機ガラスの向こうは夏の世界が染み込んでいるのだ。
「・・・・・・抜けた」
暴風雨を抜けると通信が回復した。
『すごい、すごいですよ・・・・・・やりましたね。正直、死んじゃうかと思いましたよ』
「生に貪欲なもんで」
ほっとして一息つく。
飛行戦闘で生き残る鉄則は、いち早く敵機を発見し最小の攻撃で一方的に撃墜すること。だが、編隊同士の乱戦や敵機の性能がずば抜けていればそれは不可能。これまで経験したことのなかった極限状態での戦闘だった。
すべてが終わった今、自分の体が岩と思うくらい重かった。
目を閉じる。緊張状態から解放された体が休息を欲しているのか、睡魔が襲ってきた。
「葵衣、病院に連絡して。イリスを撃墜したからユキの手術もできる」
こめかみを指で押さえて目を開けた。
疼く両目に強烈な日差しが射す。
「僕はこれから――」
言いかけて自分の目を疑った。
目前にイリスがいた。
イリスはエンジンを下方へ向けて空中で静止していた。僕も慌てて両翼のエンジン出力を押さえ、ブレーキをかけてホバリングする。
『蔵雅さん! レーダーに反応が、イリスはまだ――』
「うん、今、こっち見てる」
今や僕とイリスの距離は僅か五十メートルほどしかない。イリスのボディには幾つかの弾痕が見受けられる。僕は一発も当てていないから、自衛隊との衝突で損傷していたのだろう。雷雲で吹き飛ばされたのか一部の鉄板がむき出しになり、損傷した回路からは火花が散っていた。間近で見るイリスは傷だらけだった。
なにをしているんだ?
思わずこちらもホバリングしてしまったが、イリスは攻撃する様子がない。ただじっとこちらを見ていた。
僕達は夏空の下で翼をいっぱいに広げ、対峙していた。
風が止んだ。エンジンの音と波の音だけが聞こえた。汗ばんだ手でトリガーに指をかける。油のようにゆっくりとした時間が流れる。
先に動いたのはイリスだった。ホバリングしつつ、機首を180度回転させた。そして蒸し暑い空気をかき乱し、三キロほど飛行すると再びホバリングして僕たちに向き直った。
『どうゆうつもりでしょうか』
レーダーを見ているだけの葵衣にはわからないだろう。けれど、実際に対峙した僕にはわかる。
「真っ向勝負だ」
イリスは正面から僕たちに勝負を挑む気だ。
僕は深呼吸を繰り返す。
向こうは誘いをかけている。これを最後にする気だ。
両機とも損傷が激しいが、小細工なしの純粋な力比べでは差が生じる。旧式の武装と最先端の武装では結果は目に見えている。戦いに応じるのは無謀というものだ。
だがこの気持ちは何だろう。一対一の申し出を断ることは、負ける様に思える。
ここで引くことは考えられない。合理的思考や理性がすっと引いていく。心の奥、魂にまで染みついた何かが、逃げることを拒否する。
僕の心が滾り始めた。
そうだ。僕はメーティスと戦う時、正面反航戦で引いたことは一度もない。僕が決闘を受けることをわかっているのだ。
『蔵雅さん止めてください無謀です!』
「ダメなんだ」
『だ、だめ? ってなにがですか』
「さっきあいつが僕たちと向き合ったのには理由がある。あえて僕たちに機体を晒したのは、お互いの損傷が五分五分だとわからせるためだ」
『イリスは自分が負ける可能性も十分にあると示したってことですか?』
「そう、それに・・・・・・僕たちを好敵手と認めているって、伝えたかったんだと思う。だから完全な決着をつけたがってるんだ」
『もし、ここで蔵雅さんが勝負を受けなければ』
「イリスは敗北を認めない。あいつがぶんどったデータは取り戻せない、だからやらないとダメなんだよ」
それならばこれは無謀ではない、勇気と言っておこう。
「最後だ、行こう蛍火」
僕の言葉を皮切りに、蛍火が標的に向けて猛進する。
それを確認したイリスも二基のエンジンを最大限にして急発進した。
正面から迫るイリスが点から線に変わる。
楔形のフォルムがありありと浮かび上がってくる。
人が乗らないため極限まで薄く作られているイリスは、正面から見ると剣の刃先を思わせた。これだけ薄い装甲なら、蛍火の武装でも撃墜できる。
「狙いは中心一点のみ、何が何でも撃ち落とす」
一発でも多くの弾丸をイリスへ送り込む。
絶対に負けるわけにはいかない。
僕たちとイリスはほぼ同時撃ち合った。
放たれた弾丸は橙色の尾を引いて、イリスへ吸い込まれる様に飛んでいく。
イリスの放った弾丸はホースから飛び出す水のようだった。数発の弾丸が連なり、一本の線となって襲い掛かってくる。
宙空で弾丸と弾丸がぶつかり合い、火花が散る。閃光が弾ける空を、ためらいもなく真直ぐに突っ込む。
互いの装甲が剥がされていく。
どおん、と音がして機体が大きく傾いた。音のした方を見ると、右翼のエンジンが大破していた。
僕は操縦桿を右に切った。イリスも右に逸れる。
相対速度がありすぎて二機の間に生まれた風の隙間がうおん、と唸った。
「右エンジン被弾、それと機関銃は弾切れか」
ひどくやられたが、手ごたえはあった。こちらもイリスの中心を弾丸で削り取ってやった。
それにまだ七十五ミリ砲が二発ある。
旋回を大きくとって、再びイリスと向き合った。
「もう一度だ」
二度目の正面反航戦。僕は可能な限りエンジンを吹かして飛翔した。
右エンジンを失ったことで機体にブレが生じている。その中でイリスに狙いをつけられるかが問題だ。
「砲弾は二発、偶数が榴弾」
僕は暗唱するように言った。標的の前で爆発する榴弾なら、少し狙いがずれたくらい問題ない。
「発射」
榴弾を発射する。耳を覆いたくなるような発射音。直後に機体後部から砲弾の薬莢が弾き出されて、海に落ちた。
火球の如き砲弾は弧を描いてイリスへ向かう。
イリスはガトリング砲を僕たちにではなく、榴弾へ向けて発射した。榴弾が黒煙と共に視界から消えた。幾つもの弾丸を受けた榴弾は、標的に辿り着く前に爆散してしまった。
黒煙をぬって現れたイリスが、蛍火の左エンジンを食い破って後方へ抜けて行った。
がくん、と機体が傾いた。
機首が下がり、落下していく。
僕はラダーペダルから足を離し、計器を踏みつけて操縦桿を引いた。
両翼から猛煙が立ち上り、警告のブザーが鳴り響く。しかしそれよりも大きな声で、蛍火に呼びかける様に。
「上がれえええええ!」
フオーン、と蛍火が鳴いて第三エンジンが出力を最大にする。
蛍火が海面から空へ顔を上げる。コックピットから見える景色がゆっくりと変わっていく。
海面すれすれのところで機体を持ち直すことができた。飛沫が尾を引き、僕たちの背後に虹ができあがる。
なんとか持ち直したが、この状態では回避ができない。飛ぶことしかできない。
「けど、まだ飛べる!」
目の前に再びイリスがいる。三度目の正面反航戦。これが最後の勝負、僕が勝つかイリスが勝つか。
「勝負!」
最後の砲弾は徹甲弾である。
イリスの弾丸が蛍火の息の根を止めようと降り注ぐ。こちらの弾は一発。この一発を必中させるには、距離を詰めなければならなかった。
もうすぐ照準に収まる。それでもまだ撃たない。
ガンガン、と機体に穴が開く音が聞こえる。コックピットの有機ガラスがバラバラになって吹き飛んでいく。もう少し、もう少し耐えてくれと切に願う。
こんな無茶をして、きっとユキが見ていたら怒る。
そう、ユキのために。
ようやく照準器にイリスが映し出された。
「おおおおおおおおおおおおおおおお!」
僕の咆哮と共に放たれた徹甲弾が、イリスの鼻先へめり込むのを見た。一度目の反航戦の時、機銃で撃ち抜いた傷口へ徹甲弾が突き刺さる。砲弾はそのままイリスの体を突き進んで両断した。真二つにされたイリスは、蛍火が飛び去った海面に二つの水柱を上げた。僕たちは大きな水柱の間をロールして飛び抜けて行く。数千の水の粒が空に舞い上がり、陽の光を受けて宝石よりも輝いた。
今度こそ確実に息の根を止めた。しかも、奴の望む方法で勝負をつけたのだ。
この瞬間、僕は完全勝利を収めたのだ。
「・・・・・・やった」
疲労以上に訪れたのは安堵と歓喜だった。
僕はぐっと握りしめた拳を空に向けた。
そうして微笑んだ瞬間、通信機からは葵衣の歓声が聞こえた。
『すごい、すごいです・・・・・・やりましたね! イリスの熱源は完全に消えました』
「ああ、葵衣、ありがとう」
『蔵雅さん怪我は? それと蛍火は無事ですか?』
葵衣の問いに蛍火がフオーンと鳴く。
「僕は大丈夫だけど、蛍火の損傷がひどい。すぐに修理しないと」
『帰還できそうですか?』
「ギリギリかな、悪いけど修理の準備だけ頼む」
『大丈夫ですよ、任せてください。病院に連絡はしておきました。ユキさんの手術もすぐ始まるはずです』
「最後まで至れり尽くせりだね、ありがとう」
そう言って胸をなでおろす。
キャノピーのガラスが吹き飛んだので、吹き込む風が強い。僕は機体速度を落として、ゆっくりと周囲を見回してみた。
雷雲の影響からか辺りの暗闇は増していた。雲の落とす影がいやに濃いことに気づいた。潮風の中に果実のような甘いにおいが混じっている。見上げれば灰色の雲が空を覆っており、狭間から黄金色の光が差し込んでいるのが見えた。あんなにも青かった空が灰色に覆われ、僅かに漏れた光の残滓が僕達に降り注いでいるのだ。
顔を撫でるような小糠雨が降り始めた。雲の奥は雷を孕んでいるように見える。直に光り出すことがわかった。
海風がぴたりと止んだ。波の音すらも消えていくように思える。
背後から一斉に風が吹いた。僕達の髪が追い風に揺さぶられる。水面に反射した黄金色の光も海の先へ押し戻される。強い風がサラサラと振る雨を払いのけ、雲を押しのけていく。
雲から伸びた夏の陽射しを受け、蛍火が白銀色に輝いた。
「ありがとう蛍火」
僕は言った。
――ありがとう。
声が聞こえた。
――ありがとう、ありがとう。
何度も繰り返し聞こえてくる。
僕はその声に応える様に機体を撫でた。
飛ばせてくれてありがとう。あなたに、あなた達に、この空に、ありがとう。
また一緒に空へ来よう。と、僕は蛍火に言った。




