勝てない馬上槍試合
馬上槍試合の当日。レーヴェン伯爵は、実質的に妻となっているエルザを連れて会場に到着した。
馬上槍試合とは、槍を持った騎手が両端から馬を走らせ、相手を突く競技だ。後年には安全性が高められたが、この頃は場合によっては命を落とすこともあった。
「今日は……ハルトマン男爵か……」
今日の対戦相手が発表されると、レーヴェン伯は笑みを浮かべた。
ハルトマン男爵は決して弱くはないが、最高賞を授与されることは全くない。実績から言うとレーヴェン伯の方がはるかに上だ。
ゆっくりと歩いてエルザの前に立ち、跪いた。
「エルザ、今日はあなたのために戦います」
レーヴェン伯は、エルザの手を取り、彼女の手の甲に口づけをした。
――この地域で最も強い男性が私のために戦って下さる。
エルザの鼓動は増し、頬は少し紅く色付いた。
そして――
「次はレーヴェン伯爵とハルトマン男爵です!」
レーヴェン伯は馬に乗り、所定の位置についた。向こうにはハルトマン男爵がいる。
レーヴェン伯は大きく息を吐き出した。
ラッパが高らかに鳴った。
エルザは桟敷から愛するレーヴェン伯の勝利を祈った。
レーヴェン伯が先に駈歩を始めた。すぐにハルトマンも動き出した。すぐに両者とも襲歩となった。
高速で騎馬同士がぶつかろうとする。
ハルトマンが先に槍を下げ、レーヴェン伯に先端を向けた。レーヴェン伯も少しだけ遅れて槍を向けた。
――ハルトマンが突いてくるのを、槍でいなしてすぐに突く。
レーヴェン伯はこの勝負の経過を頭に描いた。
距離がつまった。ハルトマンの槍が来た。レーヴェン伯はそれをいなそうとした。
ガツッ!
鈍い音が鳴り響いた。そのすぐ後、レーヴェン伯は仰向けの姿勢で落馬した。
「グハッ!」
レーヴェン伯は地面に叩きつけられて、うめき声をあげた。
ハルトマン男爵は、馬を止めて、レーヴェン伯を見つめた。そのときの男爵の心中は、勝利の喜びと、信じられない思いとが混じっていた。
「この勝負、ハルトマン男爵の勝利です!」
興奮が冷めやらないままのハルトマン男爵に勝利の宣言が聞こえた。槍を振り回して喜びを表現している。
その脇を、落馬から立ち上がったレーヴェン伯が退場していた。
「なぜ負けたんだ……なぜ槍をいなせなかった……」
レーヴェン伯は首を捻るばかりだった。
観衆が「大番狂わせ」に喝采を送っていた。もちろん、ほとんどの者は実力通りの結果だったとは思っていなかった。
ただ、少なくとも一人の男は、全く異なる見方を持っていた。
シュルツ男爵は、起き上がって歩くレーヴェン伯と、桟敷で心配そうに見つめるエルザとを交互に見た。
「あれ、レーヴェン伯は再婚したのか?」
隣の従者に尋ねた。
「再婚の儀式までは終わってませんが、リディア様は離縁されて、ご実家に帰られていると聞いています」
「なるほど……」
シュルツ男爵は一人だけで得心した。
「愛の力がなくなったのでしょうか?」
従者がシュルツ男爵に尋ねた。男爵は顎をさすりながら言った。
「そう言えるかも知れんな」
* * *
次の日は、レーヴェン伯爵はシュルツ男爵と対戦することになっていた。
レーヴェン伯は、前日の落馬の後遺症もなく、元気な姿を見せていた。観衆は、安堵したとともに、今日の敢闘を期待した。
その中でもエルザは一際強い思いを持っていた。
レーヴェン伯は桟敷を見回し、エルザの真剣な眼差しを見つけた。勝利を祈っているのか、胸の前で手を組む仕草が見えた。
――負けられない戦いだ。
馬上からシュルツ男爵を睨み付けた。
お互いに駈歩を始める。そしてすぐに襲歩に移る。
すぐに距離が縮まる。二人ともに槍を向け合う。
レーヴェン伯が突いた。
シュルツ男爵はよけた。
レーヴェン伯の脇ががら空きになる。
――やられる。
しかし、シュルツ男爵は槍を突き出さなかった。
――助かった。
レーヴェン伯爵は槍が当たらなかったことに安堵した。
「ははっ」
笑い声を発したのは、シュルツ男爵であった。
桟敷からは戸惑いの声が聞こえた。
「シュルツ男爵、槍を引っ込めたな」
「本当なら当たってた」
「実績なら確実にレーヴェン伯爵の方が上なのに」
「レーヴェン伯は、昨日よりも酷い」
「体調が優れないのか?」
レーヴェン伯は駈けながら振り返り、シュルツ男爵の背中を見た。
男爵は顔をゆっくりとレーヴェン伯に向けた。顔をレーヴェン伯に向けたまま、馬を振り返らせた。
そして、シュルツ男爵は、自らの左脇腹を指差した。
――私のここを突くと言うのか……?
レーヴェン伯は逡巡した。騙して脇腹以外のところを突くのか、さらに裏をかいて脇腹を狙うのか、分からなかった。
シュルツ男爵は声を上げた。
「神に誓おう!」
これで確定した。必ず脇腹を突いてくると。ならば、それを見越して戦えば勝てる。いや、勝たねばならない。
レーヴェン伯とシュルツ男爵はほぼ同時に襲歩に転じた。みるみる近づく。
シュルツの槍はレーヴェンの脇腹に狙いを定めた。
――来た。
レーヴェン伯は、これを槍でいなして、胸を突くだけ。これで全てが終わる。
ガッ!
鈍痛を感じたのは、レーヴェン伯の方であった。脇腹を確実に突かれた。
桟敷がどよめいた。これはおかしいと。
レーヴェン伯は気が動転していた。
攻撃箇所の予告はよほどの自信がないとできない。それなのに平気で予告した。そして予告通りに攻めてきた。そして、防げなかった。
そのとき、レーヴェン伯は感じた。
――シュルツ男爵は強い。勝てそうにない。
レーヴェン伯がちらりと桟敷を見る。首をかしげる観衆の中にエルザがいた。彼女だけは、ひたすらにレーヴェン伯の勝利を祈っていた。
――いや!これ以上、醜態をさらすわけにはいかぬ。
再び、両者が馬を走らせた。みるみる距離が縮まった。
「おらよ!」
叫んだのはシュルツ男爵だ。
レーヴェン伯の胸に槍が突き進んで来る。
――いなせる。
レーヴェン伯は思った。
ゴツッ!
次の瞬間、レーヴェン伯は胸を突かれた。
バランスを崩した。
ドサッ!
これまで強豪と恐れられたレーヴェン伯は、二日続けて地面に叩きつけられた。
しかも今回は、決定的な敗北だった。レーヴェン伯の目に青空が映った。
――無理だ。
その脇に男の影が立った。シュルツ男爵だ。
「伯爵、勝つ気がしなかったでしょう?私は負ける気がしなかった」
レーヴェン伯爵は、男爵の声を聞き終えてすぐに気を失った。




