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6. 行列のできる返品屋

 翌朝の王都は、灰色だった。


 鳥の声がしない。市場の呼び声も、今朝はどこか小さい。石畳の隙間を、湿った風が這うように抜けていく。


 東の空に、墨を薄めたような靄が、低くわだかまっている。あれが瘴気というものらしい。触れれば心と体をじわじわ蝕む、正体不明の毒の霧。魔王が放っているという噂だが、年に何度か北から流れてきて、それを祓うのが聖女の「浄化」。しかし昨日、新しい聖女様は、それに盛大に失敗したそうだ。靄は生き物のようにゆっくり脈打って濃淡を変え、見ているだけで、胸の奥がざらついてくる。


 街の人々は空を見上げてはため息をつき、窓に目張りをし、教会の鐘に合わせて祈っている。市場の値段は朝から二割上がった。


 ――で。


「……なんで、ここだけ晴れてるんだい?」


 マルタさんが、呆れ顔で軒先を見上げた。


 返品屋の間口一帯。そこだけ、靄がきれいに避けて、白い朝日が差し込んでいる。敷石の上には、定規で引いたような光と影の境界線。境界の向こうは薄暗く、こちら側では、干した前掛けがのんきに揺れている。光の内と外とでは、風の匂いまで違う。内側は、干し立ての布と、焼き立てのパンの匂いがした。


 心当たりは、なくもない。瘴気が誰の差し出した何なのかは知らないが、『魔王に差し戻し』と、しておいたのだ。


 もっとも、私が突き返せるのは、私宛に届いた分だけ――この身体と、店の間口の分である。王都全体は、どうにもならない。世の中、そういうものだ。


「せ、聖女様だ……」と、誰かが言った。


「聖女様の店だ!」「瘴気を弾いてなさる!」


「違います。返品屋です」


 訂正したが、遅かった。昼前には黒山の人だかりができ、昼過ぎには、身分の高そうな使者の皆さんが店の前にずらりと並ぶ。近衛の騎士様、神殿の使い、どこかのお貴族様の家令。白絹に金糸の房、磨き上げられた胸甲、ほのかな香水の匂い。下町の埃と煮込みの湯気の中で、それはもう見事に浮いていた。揃いも揃って、顔が「なぜ私がこんな下町に」と言っている。


 私は、先に並んでいた下町のお客さんから順に対応した。


 一件目、壺の押し売りの返品。「置いてかれちまったんだよ、開運の壺だとさ」というおばあちゃんの壺を、売りつけた行商人へ差し戻し。おばあちゃんは私の手を両手で包んで、『ありがとうよ、聖女さま』。「返品屋です」と三回訂正して、諦めた。


 二件目、身に覚えのない酒場のツケの返品。サインを照合したら、書いたのは別人の甥っ子さんだった。ツケごと甥へ差し戻し。


 整理券は、薪割り用の木札で代用した。


「じょ、女官長様のお成りであるぞ! 控えよ、皆の者!」


「十五番でお待ちください」


「なっ……」


「聖女殿! 王宮へ戻られたし! これは大神官猊下(げいか)のご意向である!」


 神殿の使いさんが、巻物を広げて声を張った。私は電卓――は無いので、そろばん代わりの計算板を置いて、顔を上げる。


「雇用のお申し出でしたら、労働条件を書面でお願いします。給与、休日、宿舎の有無。揃っていないお話は、検討の卓に載せられませんので」


「ぶ、無礼な! 神の御用であるぞ!」


「神様の御用でしたら、なおのこと書面で。言った言わないになると、お互い困りますから」


「こ……この……!」


 使いさんは顔を茹でだこにして帰っていく。書面は、来なかった。


 断っておくと、私は意地悪をしているわけではない。条件が書面で揃えば、検討はする。事務員は嘘をつかない。ただ、無給で無休の労働条件通知書が検討を通る日は、たぶん来ないというだけの話だ。


 そうこうするうちに、夕方の鐘が鳴った。五時である。西の空は、瘴気の灰色と夕焼けの橙とで、二色に塗り分けられていた。妙な眺めだが、鐘は鐘である。


 私は木札を回収し、軒先に札を下げた。


『本日の受付は終了しました』


「まだ日は高いぞ!?」「聖女殿、開けられよ!」「主の使いを何と心得る!」


「規定ですので」


 マルタさんが箒を構えて、粘る使者の皆さんをずんずん掃いていく。頼もしい。灯火亭の女将は、王宮より強いのかもしれない。


 騒がしい行列が渋々と散っていく中――最後尾に、一人だけ、静かな人が残っていた。


 黒衣の男の人である。若いのに、古い絵画から抜け出してきたような佇まい。手には、市場の屋台の焼き菓子の袋を提げている。あの屋台のは、私も昨日買った。おいしい。


 その人の周りだけ、音が薄かった。行列の喧騒も、市場のざわめきも、彼の一歩手前で遠慮するように静まっている。夕焼けの橙も、瘴気の灰色も、その黒衣には等分に映らない。焼き菓子の袋だけが、場違いに庶民的だった。


「……ここが、最後尾か」


「本日は終了です。明日の整理券をどうぞ」


 木札を差し出すと、男の人は不思議そうにそれを受け取り、しげしげと眺め、それから、ほんの少しだけ目を細めた。


 目が合う。深い色をしていた。怒りでも、企みでもない。強いて言えば――長いあいだ、何かを待ち続けている人の目である。


「では、明日また来よう。――四十年ぶりの、買い物のついでだ」


 黒衣の裾をひるがえして、男の人は靄の垂れ込める方角へ歩いていく。人垣が割れるように――いや、瘴気そのものが道を空けるように、すうっと割れていくのが見えた。


 ……常連になりそうな予感がする。主に、面倒ごとの。

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