ヤープの女王6
【柚月16歳 高校1年生】
お父さんが日本に帰ってきているという情報を得た。
自分に角膜移植をするために亡くなったことにしてアメリカに渡ったのが中学1年の時だから3年ぶりの帰国だ。
今は市内にある裃さんの家にいるらしいけれど、のこのこ会いに行くことは出来ない。
それにしても、戸籍上死んだことになっている人間が、なぜ、顔見知りの多いこの街に帰ってきたのだろう?
それについてモヤモヤが教えてくれたのは
『柚月の父親は『機関』という組織に所属している。裃はその『機関』のひとつで今はアメリカでの任務を終えて、休息を取っているところだよ。ただ・・』
自分の角膜移植手術と父のアメリカ行きに『機関』なる組織が関与していることは聞いていた。だが、それ以上に
「何か他にあるの?」
彼女の言い方が気になったので訊ねる。
『気を悪くしないでほしいんだけど、あなたのお父さんは裃を裏切ろうとしているみたいなの』
「それは・・・どういう理由で?」
結果は望んだものではなかったけど、裃さんは自分の角膜移植を手伝ってくれたという認識があった。だから『機関』がなにかは分からないが、裃さんには良いイメージを持っていた。
それはお父さんも同じだったと思う。
それなのに裏切る・・・
『理由までは分からない。だけど彼が一緒にいる女性がアメリカの『機関』に所属していて、裃から何かを盗もうとしていることは間違いないわ』
モヤモヤには帰国後のお父さんの動向を探ってもらっていた。
お父さんには眼があるから、近づくことは難しいけどそれ以外の人間にならかなり接近できた。
その中で彼とともに帰国した女性で需袢というエージェントから情報を引き出したらしい。
「ねえ、その計画いつやるかまでは分からないかな?」
『そんなこと調べてどうするつもり?まさか、そこに乗り込むつもりじゃないわよね?』
「そのつもりだけど」
『無理よ!相手はプロよ。屋敷に入り込めるわけないわ』
「あそこって薄城山神社の関連でしょ。普通に人が出入りしているから、潜伏するくらいは出来ると思う。そこで待っていてお父さんが動いたところで会いにいけばいいのよ」
『気軽に言わないで。確かに神社の中くらいなら潜伏できるかもしれないけど、そのあとどうするのよ?お父さんがいるところってかなり屋敷の中心部よ』
「前にやったアレを使おうよ。アタシがそっちに行って、モヤモヤがこっちに来るやつ。モヤモヤならセキュリティ突破できるでしょ?」
鏡の中のモヤモヤの眉毛が八の字になり、天を仰ぐ。
『いつから考えていたの?』
「なんのこと?」
『とぼけないで。お父さんが帰って来たころから?』
さすがはモヤモヤだ。付き合いが長いだけのことはある。こうなれば隠しても仕方ない。
「そうね。でも娘が親に会いたいと思うのってそんなにおかしいこと?」
『やり方が普通ならね。これって実質、泥棒と同じことよ』
「大げさだなぁ」
柚月の提案には驚かされた。
それ以上に彼女が具体的な侵入計画を頭の中でほぼ策定していることにもっと驚かされた。
だが、考えてみれば彼女に驚かされるのは今に始まったことではない。
小学3年生のとき、初めて柚月と入れ替わり、そのあと時間遡行をしてから彼女は積極的に入れ替わりをしたがるようになった。
自分の体が誰かに取られるという感覚をもっと嫌がるものと思っていたのが、予想外の積極性にこちらの腰が少し引けてしまった。
そして、これが失敗だったと少し経ってから気が付いた。
時間遡行は私が3次元に干渉するために折りたたんだ次元の中を行き来することで過去に戻ることが出来る能力だ。
だが、過去に戻った時には既に別の柚月がいるので、二人が接触すると分岐が起こってしまう。
分岐が起こると柚月のルートは二つに分かれるが、私のルートは分岐しない。
私のルートが必ず過去から戻った柚月と共にあるのなら特に問題はない。
だが、分岐は気まぐれで必ずしも私の望み通りにはならない。
そこで私は分岐が起こらないように、過去に戻った際にそこに存在している柚月を私の折りたたんだ空間に閉じ込めることにした。
そのまま時間が経過し、時間遡行の開始点に帰ってきたところで折りたたんだ次元からもう一人の柚月を取り出し、二人を合流させる。
私の次元の中にいた柚月は4時間半が空白になっている。だが4時間半の経験を繰り返した柚月がいるので、そこから1回分の経験をもらうことで反発しあうこともなく一つになることが出来ると推測していた。そして、その通り合流は問題なく上手くいった。
ただ、彼女が経験した時間が本来のものと比べてほんの少しだけ増えてしまった。
9年間生きてきたとして単純に計算すると78,840時間。
それに対し、今回の合流で彼女に足した時間はわずか4時間半。
割合にすれば0.0057%に過ぎない。
問題ないはずだった。
バタフライエフェクトはタイムパラドックスでよく使われる考え方だ。
1%にも満たないわずかな経験時間の増加。
本来のバタフライエフェクトのように世界を変えることは無かったかもしれないが、それは彼女の中に大きな変化をもたらした。
出会った頃は大人しいと思っていた柚月が自らの欲望を満たそうと次々と私に要求をしてくるようになった。
その中でも特に後悔しているのは彼女が些細な勝負事で負けた時に時間遡行をして負けを無しにしようと言いだしてきたことに応じてしまったことだ。
最初の時間遡行は同じことを繰り返しただけだった。だから何とかなった。
過去に戻って『失敗』を『成功』に変えるには分岐して別ルートに行かなければならない。
だが、そうなると私は必ずしも今の柚月と一緒にいられるとは限らない。
新しい、別の柚月が『眼の素養』を持っていなければ、私を見ることは出来ない。
私はただのモヤモヤに戻る。いや、見えないのだからモヤモヤですらない。
欲望とは恐ろしい。
非常に短い時間だから大丈夫だと自分に言い聞かせて私は柚月の要求に応じてしまった。
結果は・・・何も起こらなかった。
柚月の『敗北』も『勝利』もすべてが消えうせた。
それだけではない。
勝ったはずの相手も、勝負事があったという事実さえも、すべて消えうせた。
この世界から一人の人間がいなくなったのだ。
それ以来、私はこの能力を封印し、同時に彼女の中から時間遡行の記憶を消し去った。
時間遡行は失われたが、以降も柚月は私の能力をやたらと試そうと、あらゆる要求や提案を続けてきた。
留まることを知らないその欲望は恐ろしくもあったが、一方で3次元人の肉体でヤープの力を持っていればこういう考え方になるだろうとも思えた。だから私は基本的には彼女の要求を拒絶することはしなかった。
この理由もなく相手に従うという行為が『傅く』ということだとすると彼女は差し詰めヤープの女王といったところか。
だが、彼女の父親に今の『女王様』の姿を見せるのは気が引けた。
出来ることなら合わせたくないが、もし出会ってしまったら、どうか彼女に絶望しないで受け入れて欲しいと願わずにいられなかった。




