第8品「記憶の引き出し」
午後三時、時計塔の鐘が鳴る。
王都フォレンティア・ベルクラウンは穏やかな陽射しに包まれていた。
スカーレット・アイテムショップの窓からも、柔らかな光が差し込んでいる。
カウンターではフィリアが商品の手入れをしていた。
店の片隅に置かれた丸テーブルでは、アストリッテ・アイボリーがハーブティーを飲んでいる。
最近ではすっかり見慣れた光景だった。
「今日のクッキーは蜂蜜入りです」
アストリッテが得意げに言った。
「へぇ。美味しそう」
フィリアは一枚もらって口に運ぶ。
ほんのり甘い。
「本当だ。美味しい」
「でしょう?」
少しだけ胸を張るアストリッテ。
そんなやり取りをしていると、勢いよく扉が開いた。
カラン。
「やぁー!フィリアさん!」
聞き慣れた声だった。
「ダグさん、いらっしゃい」
王立騎士団所属の騎士、ダグ・ウォーキンだった。
明るい茶髪を揺らしながら店へ入って来る。
「今日は何をお探しですか?」
「彼女の誕生日が来週なんだよ」
ダグは少し照れながら笑った。
「おめでとうございます」
「まだ誕生日来てないけどね」
フィリアも笑う。
「アクセサリーですか?」
「そうだねぇ。瞳の色が紫だから、そんな感じの色の物がいいかな」
「それなら……」
フィリアは棚から一つのブローチを取り出した。
小さな紫水晶があしらわれた上品な品だ。
「これなんてどうです?」
「おっ!」
ダグの顔が明るくなる。
「いいじゃん!」
「ありがとうございます」
「それにする!」
即決だった。
丸テーブルからアストリッテが呟く。
「はやっ」
フィリアは吹き出した。
ダグは気付かない。
プレゼント用の小箱を大切そうに抱えながら、
「ありがとう!また来るね!」
と手を振り、店を出て行った。
扉が閉まる。
「本当に早かったですね」
アストリッテが呟く。
「きっと彼女さんのことが大好きなのよ」
フィリアは微笑んだ。
「なるほど」
アストリッテは納得したように頷く。
その時だった。
再び扉が開いた。
カラン。
今度は静かな来店だった。
杖をついた一人の老婦人ーーマーガレット。
銀色に近い灰色の髪を上品にまとめ、小さな眼鏡をかけている。
腰は少し曲がっていたが、その足取りには不思議な品があった。
「いらっしゃいませ」
フィリアが声をかける。
マーガレットは柔らかく微笑んだ。
「こんにちは。何かお探しですか?」
「いえね」
マーガレットは店内を見回した。
「前を通りかかったら可愛らしいお店だったものだから」
「ありがとうございます」
「少し覗いてみたくなったの」
その言葉にフィリアは嬉しくなる。
「こちらはどんなお店なのかしら?」
「雑貨やアクセサリー、それから少し不思議なアイテムも扱っています」
「あら」
マーガレットは楽しそうに目を細めた。
「魔法の道具みたいなもの?」
「そんなところです」
「それは面白そうねぇ」
そう言ってマーガレットは笑った。
その笑顔にはどこか可愛らしさが残っていた。
「最近ね」
マーガレットはぽつりと言う。
「物忘れが増えてしまって」
「そうなんですか」
「歳のせいかしらね」
冗談めかして笑う。
けれど少しだけ寂しそうだった。
「忘れ物をしなくなるようなアイテムはあるかしら?」
フィリアは少し考えた。
そして戸棚の引き出しを開ける。
取り出したのは、小さな木製のタンスだった。
掌に乗るくらいの大きさ。
小さな引き出しがいくつも付いている。
「これは?」
マーガレットが尋ねる。
「記憶の引き出しです」
「記憶の引き出し?」
「忘れなくなるわけではありません」
フィリアは笑った。
「でも、思い出しやすくなるんです」
アストリッテも席を立って近付いて来る。
小さなタンスを覗き込む。
「覚えておきたいことを、この引き出しに入れるイメージをするんです」
「イメージ?」
「ええ」
フィリアは小さな引き出しを開けた。
中には何も入っていない。
それなのに、不思議と何かが詰まっているように見えた。
「例えば大切な約束」
「例えば会いたい人の名前」
「例えば誕生日」
マーガレットは静かに聞いていた。
「そして思い出したい時に引き出しを開くんです」
「それで思い出せるの?」
「思い出せるかもしれません」
フィリアは少し笑った。
「お手伝いをしてくれる程度です」
「あらまぁ」
マーガレットも笑った。
「可愛らしいわね」
そっとタンスを撫でる。
その指先は優しかった。
「この前ね」
マーガレットが静かに話し始めた。
「孫の誕生日を勘違いしてしまったの」
フィリアもアストリッテも黙って聞く。
「プレゼントを渡すのが遅れてしまってね」
少しだけ目を伏せる。
「残念がらせてしまったわ」
「……」
「それに心配もかけてしまったの」
マーガレットは寂しそうに笑った。
「大切なことも忘れてしまう歳になったのね、私も」
その言葉に店内が少し静かになる。
アストリッテは老婦人の手を見た。
小さなタンスを大切そうに撫でる手。
その手にそっと触れる。
マーガレットが驚いて顔を上げた。
「お孫さんは」
アストリッテは言った。
「おばあ様が大好きなんですね」
マーガレットは目を瞬かせた。
「え?」
「誕生日を忘れたことより」
アストリッテは少し照れながら続ける。
「心配してくれたことの方が大きかったんじゃないでしょうか」
店内が静かになる。
フィリアは優しくアストリッテを見つめた。
マーガレットもまたアストリッテを見ていた。
やがて。
ふっと笑う。
「そうかもしれないわね」
その目は少し潤んでいた。
「ありがとう」
小さな声だった。
そしてもう一度、記憶の引き出しを見る。
「これをいただこうかしら」
「ありがとうございます」
フィリアは丁寧に包んだ。
マーガレットはそれを大切そうに抱える。
「素敵なお店ね」
帰り際にそう言った。
「また来ます」
「お待ちしています」
老婦人はゆっくりと店を出て行った。
扉が閉まる。
しばらく二人はその背中を見送っていた。
やがてフィリアが小さく呟く。
「おばあちゃんに会いたくなっちゃった」
アストリッテは少し笑った。
「分かります」
窓の外では午後の光がゆっくりと街を照らしている。
フィリアはふと思った。
忘れてしまうことは増えるのかもしれない。
けれど。
誰かを大切に思った記憶は、きっとそんなに簡単にはなくならない。
小さな記憶の引き出しのように。
心のどこかに、ちゃんと残り続けるのだから。
ーー次回予告ーー
フィリア「平和ねぇ」
アストリッテ「そうですね」
フィリア「あなた、何しに来てるの?」
アストリッテ「遊びにです」
次回、第9品「あの日の遠眼鏡」
お楽しみに!




