↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/13

第7品「動かない懐中時計」

その日の午後。


スカーレット・アイテムショップには穏やかな時間が流れていた。


窓から差し込む陽射しは柔らかく、店内にはほのかにハーブの香りが漂っている。


店の片隅。


小さな丸テーブルではアストリッテ・アイボリーがティーカップを両手で包み込んでいた。


「今日はカモミールですか?」


一口飲んで尋ねる。


「正解」


フィリアは笑った。


「最近少し疲れてるでしょう?」


「分かります?」


「顔に書いてあるわ」


「そんなにですか……」


アストリッテは肩を落とす。


フィリアはクスクス笑った。


テーブルの上には手作りらしいクッキーも並んでいる。


アストリッテが持って来たものだ。


最近はこうして学校帰りに店へ寄ることが増えていた。


特に買い物があるわけではない。


ただ。


ハーブティーを飲みながら話をする。


それだけだ。


フィリアもそれを自然に受け入れていた。


その時だった。


カラン。


扉のベルが鳴る。


ゆっくりと店の扉が開いた。


「あら」


フィリアは思わず声を上げた。


そこに立っていたのは見覚えのある男性だった。


「ヴィルムさん」


「こんにちは」


ヴィルムは少し照れたように笑う。


「お茶ですか?」


「ええ」


フィリアはアストリッテを見る。


「この子によくおすすめを聞かれるの」


「なるほど」


ヴィルムも笑った。


アストリッテは慌てて立ち上がる。


「こんにちは」


小さく会釈する。


ヴィルムも丁寧に頭を下げた。


その様子を見てフィリアは少し微笑む。


やっぱり真面目な人だ。


「それで今日は?」


フィリアが尋ねる。


するとヴィルムは一瞬視線を泳がせた。


「あの……」


耳が赤い。


顔も少し赤い。


どうやら前回のような悩み事ではなさそうだった。


「実は……」


ごくり。


唾を飲み込む音が聞こえそうだった。


「か……」


言葉が止まる。


「か?」


フィリアが首を傾げる。


アストリッテも見ている。


ヴィルムは観念したように言った。


「彼女ができまして」


一瞬の沈黙。


そして。


「ええっ!?」


フィリアの声が店内に響いた。


次の瞬間。


「それはおめでとうございます!」


両手を合わせて喜ぶ。


本気で嬉しそうだった。


ヴィルムは真っ赤になっている。


「ありがとうございます……」


アストリッテも小さく拍手していた。


クッキーを持ったまま。


「良かったですね」


「ありがとうございます」


ヴィルムは照れながら笑った。


フィリアは嬉しそうに何度も頷く。


まるで自分のことのようだった。


「それでですね」


ヴィルムは少し表情を改めた。


「ご報告もそうなんですが……」


「はい」


「相談もありまして」


なるほど。


フィリアは椅子を勧めた。


ヴィルムが腰掛ける。


「彼女とは同じ商会なんです」


「職場恋愛なんですね」


「そうなります」


フィリアはニヤニヤしている。


ヴィルムは居心地が悪そうだ。


アストリッテも少し面白そうに見ていた。


「彼女はとても仕事ができる人なんです」


ヴィルムは話し始める。


「真面目で」


「はい」


「判断も早くて」


「はい」


「仕事も正確で」


「はい」


フィリアは頷く。


ヴィルムは少し苦笑した。


「だから最初は、すごい人だなと思っていたんです」


「実際すごい人なんでしょうね」


「ええ」


そこまでは良かった。


問題はその先だった。


「その……」


ヴィルムは頭を掻く。


「仕事だけじゃなかったんです」


「あら?」


「プライベートもです」


フィリアは察した。


「ああ」


「かなりです」


「かなり?」


「かなりです」


ヴィルムは真顔で言った。


アストリッテが吹き出しそうになる。


「デートの日もですね」


「うん」


「朝から予定がびっしりなんです」


「あらあら」


「市場に行って」


「うん」


「昼食を食べて」


「うん」


「雑貨を見て」


「うん」


「公園へ行って」


「うん」


「夕食を食べて」


「うん」


「夜景を見て」


「うん」


「帰るんです」


「充実してるじゃない」


「してます」


ヴィルムは頷いた。


「楽しいんです」


「うん」


「本当に」


「うん」


そして少しだけ笑う。


「でも」


「でも?」


「ゆっくり話す時間がないんです」


フィリアは腕を組む。


なるほど。


それは分かる気がした。


「将来のこととか」


ヴィルムは続ける。


「お互いの考えとか」


「うん」


「そういう話もしたいんです」


フィリアは優しく頷いた。


「そうですね」


ヴィルムは少し安心した顔になる。


「彼女を変えたいわけじゃないんです」


「うん」


「ただ」


少し照れながら言う。


「一緒にゆっくりする時間も欲しいんです」


その言葉を聞いて。


フィリアは少し嬉しくなった。


良い恋をしているのだと思った。


「分かりました」


立ち上がる。


そして戸棚から小さな巾着を取り出した。


中から現れたのは銀色の懐中時計だった。


「これは?」


ヴィルムが首を傾げる。


アストリッテも覗き込む。


「動かない懐中時計です」


「動かない?」


「ええ」


フィリアは頷く。


「壊れているわけではありません」


「はあ」


「元々動かないんです」


二人とも納得していない。


「元々は」


フィリアは懐中時計を指でなぞった。


「相手の動きを完全に止める魔道具でした」


「危なくないですか?」


アストリッテが思わず言った。


「危ないわね」


フィリアも頷く。


「でも長い年月で魔力が弱まったの」


「それで?」


「今は」


フィリアは微笑んだ。


「少しだけ心を落ち着かせる程度になってるの」


ヴィルムは時計を見る。


確かに針は動いていない。


けれど不思議と穏やかな雰囲気があった。


「時間に追われる人っています」


フィリアは静かに言う。


「急いで、焦って、あれもこれもと頑張ってしまう人」


ヴィルムは思い当たる顔をした。


「そんな人に」


フィリアは懐中時計を差し出す。


「少しだけ立ち止まる時間をくれるアイテムです」


ヴィルムは時計を受け取った。


しばらく見つめる。


「壊れているようにも見えますね」


「そうかもしれません」


フィリアは笑った。


「でも」


少しだけ懐かしそうな顔になる。


「壊れたものにも価値はあるんです」


ヴィルムはその言葉を静かに聞いていた。


「必要とする人もいるんです」


その言葉には妙な説得力があった。


「なるほど」


ヴィルムはゆっくり頷いた。


「完全なものだけに価値があるわけではないんですね」


「そういうことです」


フィリアは微笑んだ。


横でアストリッテはまだ少し首を傾げていた。


クッキーを持ったまま。


◇


数日後。


夕暮れ時。


カラン。


扉が開く。


差し込んだ夕陽が店内を橙色に染めた。


「こんにちは」


ヴィルムだった。


前回よりもずっと穏やかな表情をしている。


「こんにちは」


フィリアはすぐに気付いた。


「今日は落ち着いてますね」


ヴィルムは笑った。


「分かりますか?」


「ええ」


「実は」


ヴィルムは懐中時計を取り出した。


「あれから彼女が少し変わったんです」


「まあ」


「テキパキするところは変わりません」


「それは良いことですね」


「はい」


ヴィルムも笑う。


「でも」


懐中時計を見る。


「ゆっくりする時間も作ってくれるようになりました」


フィリアは嬉しそうに手を合わせた。


「それは良かったです」


「お陰で色々な話もできるようになりました」


ヴィルムの顔は穏やかだった。


「将来のことも」


フィリアは意味ありげに笑う。


「それなら」


ヴィルムは嫌な予感がした。


「その時は」


フィリアはにっこり微笑んだ。


「指輪もおすすめしますよ」


一瞬でヴィルムの顔が真っ赤になる。


店内に沈黙が落ちる。


そして。


「はい!」


思わず大きな声が出た。


フィリアが吹き出す。


ヴィルムはさらに赤くなる。


「お願いします!」


フィリアは笑いながら頷いた。


「お任せください」


しばらくして。


ヴィルムは席を立った。


そしていつものように。


深く一礼する。


「ありがとうございました」


「こちらこそ」


ヴィルムは店を後にした。


扉が閉まる。


その背中を見送りながら。


アストリッテがぽつりと呟いた。


「ヴィルムさんって、帰る時いつもお辞儀しますね」


フィリアは少し笑う。


「そういう人なのよ」


夕陽が差し込む店内。


どこか温かな空気が流れていた。


フィリアは思う。


人は少しずつ変わる。


急にではなく。


ほんの少しずつ。


まるで動かない懐中時計が、ゆっくりと心の時間を進めるように。


そんな変化を見届けるのも。


この店の好きなところだった。



ーー次回予告ーー


??「いいじゃん!それにする!」


アストリッテ「はや」


次回、第8品「記憶の引き出し」

お楽しみに!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。