第7品「動かない懐中時計」
その日の午後。
スカーレット・アイテムショップには穏やかな時間が流れていた。
窓から差し込む陽射しは柔らかく、店内にはほのかにハーブの香りが漂っている。
店の片隅。
小さな丸テーブルではアストリッテ・アイボリーがティーカップを両手で包み込んでいた。
「今日はカモミールですか?」
一口飲んで尋ねる。
「正解」
フィリアは笑った。
「最近少し疲れてるでしょう?」
「分かります?」
「顔に書いてあるわ」
「そんなにですか……」
アストリッテは肩を落とす。
フィリアはクスクス笑った。
テーブルの上には手作りらしいクッキーも並んでいる。
アストリッテが持って来たものだ。
最近はこうして学校帰りに店へ寄ることが増えていた。
特に買い物があるわけではない。
ただ。
ハーブティーを飲みながら話をする。
それだけだ。
フィリアもそれを自然に受け入れていた。
その時だった。
カラン。
扉のベルが鳴る。
ゆっくりと店の扉が開いた。
「あら」
フィリアは思わず声を上げた。
そこに立っていたのは見覚えのある男性だった。
「ヴィルムさん」
「こんにちは」
ヴィルムは少し照れたように笑う。
「お茶ですか?」
「ええ」
フィリアはアストリッテを見る。
「この子によくおすすめを聞かれるの」
「なるほど」
ヴィルムも笑った。
アストリッテは慌てて立ち上がる。
「こんにちは」
小さく会釈する。
ヴィルムも丁寧に頭を下げた。
その様子を見てフィリアは少し微笑む。
やっぱり真面目な人だ。
「それで今日は?」
フィリアが尋ねる。
するとヴィルムは一瞬視線を泳がせた。
「あの……」
耳が赤い。
顔も少し赤い。
どうやら前回のような悩み事ではなさそうだった。
「実は……」
ごくり。
唾を飲み込む音が聞こえそうだった。
「か……」
言葉が止まる。
「か?」
フィリアが首を傾げる。
アストリッテも見ている。
ヴィルムは観念したように言った。
「彼女ができまして」
一瞬の沈黙。
そして。
「ええっ!?」
フィリアの声が店内に響いた。
次の瞬間。
「それはおめでとうございます!」
両手を合わせて喜ぶ。
本気で嬉しそうだった。
ヴィルムは真っ赤になっている。
「ありがとうございます……」
アストリッテも小さく拍手していた。
クッキーを持ったまま。
「良かったですね」
「ありがとうございます」
ヴィルムは照れながら笑った。
フィリアは嬉しそうに何度も頷く。
まるで自分のことのようだった。
「それでですね」
ヴィルムは少し表情を改めた。
「ご報告もそうなんですが……」
「はい」
「相談もありまして」
なるほど。
フィリアは椅子を勧めた。
ヴィルムが腰掛ける。
「彼女とは同じ商会なんです」
「職場恋愛なんですね」
「そうなります」
フィリアはニヤニヤしている。
ヴィルムは居心地が悪そうだ。
アストリッテも少し面白そうに見ていた。
「彼女はとても仕事ができる人なんです」
ヴィルムは話し始める。
「真面目で」
「はい」
「判断も早くて」
「はい」
「仕事も正確で」
「はい」
フィリアは頷く。
ヴィルムは少し苦笑した。
「だから最初は、すごい人だなと思っていたんです」
「実際すごい人なんでしょうね」
「ええ」
そこまでは良かった。
問題はその先だった。
「その……」
ヴィルムは頭を掻く。
「仕事だけじゃなかったんです」
「あら?」
「プライベートもです」
フィリアは察した。
「ああ」
「かなりです」
「かなり?」
「かなりです」
ヴィルムは真顔で言った。
アストリッテが吹き出しそうになる。
「デートの日もですね」
「うん」
「朝から予定がびっしりなんです」
「あらあら」
「市場に行って」
「うん」
「昼食を食べて」
「うん」
「雑貨を見て」
「うん」
「公園へ行って」
「うん」
「夕食を食べて」
「うん」
「夜景を見て」
「うん」
「帰るんです」
「充実してるじゃない」
「してます」
ヴィルムは頷いた。
「楽しいんです」
「うん」
「本当に」
「うん」
そして少しだけ笑う。
「でも」
「でも?」
「ゆっくり話す時間がないんです」
フィリアは腕を組む。
なるほど。
それは分かる気がした。
「将来のこととか」
ヴィルムは続ける。
「お互いの考えとか」
「うん」
「そういう話もしたいんです」
フィリアは優しく頷いた。
「そうですね」
ヴィルムは少し安心した顔になる。
「彼女を変えたいわけじゃないんです」
「うん」
「ただ」
少し照れながら言う。
「一緒にゆっくりする時間も欲しいんです」
その言葉を聞いて。
フィリアは少し嬉しくなった。
良い恋をしているのだと思った。
「分かりました」
立ち上がる。
そして戸棚から小さな巾着を取り出した。
中から現れたのは銀色の懐中時計だった。
「これは?」
ヴィルムが首を傾げる。
アストリッテも覗き込む。
「動かない懐中時計です」
「動かない?」
「ええ」
フィリアは頷く。
「壊れているわけではありません」
「はあ」
「元々動かないんです」
二人とも納得していない。
「元々は」
フィリアは懐中時計を指でなぞった。
「相手の動きを完全に止める魔道具でした」
「危なくないですか?」
アストリッテが思わず言った。
「危ないわね」
フィリアも頷く。
「でも長い年月で魔力が弱まったの」
「それで?」
「今は」
フィリアは微笑んだ。
「少しだけ心を落ち着かせる程度になってるの」
ヴィルムは時計を見る。
確かに針は動いていない。
けれど不思議と穏やかな雰囲気があった。
「時間に追われる人っています」
フィリアは静かに言う。
「急いで、焦って、あれもこれもと頑張ってしまう人」
ヴィルムは思い当たる顔をした。
「そんな人に」
フィリアは懐中時計を差し出す。
「少しだけ立ち止まる時間をくれるアイテムです」
ヴィルムは時計を受け取った。
しばらく見つめる。
「壊れているようにも見えますね」
「そうかもしれません」
フィリアは笑った。
「でも」
少しだけ懐かしそうな顔になる。
「壊れたものにも価値はあるんです」
ヴィルムはその言葉を静かに聞いていた。
「必要とする人もいるんです」
その言葉には妙な説得力があった。
「なるほど」
ヴィルムはゆっくり頷いた。
「完全なものだけに価値があるわけではないんですね」
「そういうことです」
フィリアは微笑んだ。
横でアストリッテはまだ少し首を傾げていた。
クッキーを持ったまま。
◇
数日後。
夕暮れ時。
カラン。
扉が開く。
差し込んだ夕陽が店内を橙色に染めた。
「こんにちは」
ヴィルムだった。
前回よりもずっと穏やかな表情をしている。
「こんにちは」
フィリアはすぐに気付いた。
「今日は落ち着いてますね」
ヴィルムは笑った。
「分かりますか?」
「ええ」
「実は」
ヴィルムは懐中時計を取り出した。
「あれから彼女が少し変わったんです」
「まあ」
「テキパキするところは変わりません」
「それは良いことですね」
「はい」
ヴィルムも笑う。
「でも」
懐中時計を見る。
「ゆっくりする時間も作ってくれるようになりました」
フィリアは嬉しそうに手を合わせた。
「それは良かったです」
「お陰で色々な話もできるようになりました」
ヴィルムの顔は穏やかだった。
「将来のことも」
フィリアは意味ありげに笑う。
「それなら」
ヴィルムは嫌な予感がした。
「その時は」
フィリアはにっこり微笑んだ。
「指輪もおすすめしますよ」
一瞬でヴィルムの顔が真っ赤になる。
店内に沈黙が落ちる。
そして。
「はい!」
思わず大きな声が出た。
フィリアが吹き出す。
ヴィルムはさらに赤くなる。
「お願いします!」
フィリアは笑いながら頷いた。
「お任せください」
しばらくして。
ヴィルムは席を立った。
そしていつものように。
深く一礼する。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
ヴィルムは店を後にした。
扉が閉まる。
その背中を見送りながら。
アストリッテがぽつりと呟いた。
「ヴィルムさんって、帰る時いつもお辞儀しますね」
フィリアは少し笑う。
「そういう人なのよ」
夕陽が差し込む店内。
どこか温かな空気が流れていた。
フィリアは思う。
人は少しずつ変わる。
急にではなく。
ほんの少しずつ。
まるで動かない懐中時計が、ゆっくりと心の時間を進めるように。
そんな変化を見届けるのも。
この店の好きなところだった。
ーー次回予告ーー
??「いいじゃん!それにする!」
アストリッテ「はや」
次回、第8品「記憶の引き出し」
お楽しみに!




