第6品「嬉しさと寂しさの結晶」
雨上がりの昼下がりだった。
午前中まで降っていた雨はいつの間にか止み、石畳の間の水たまりは柔らかな陽射しを反射している。
フィリアは店の扉を開け、外へ出た。
雨の匂いがまだ残っていた。
嫌いではない。
むしろ少し好きだった。
街が洗われたように見えるからだ。
ふと空を見上げる。
「あっ……」
思わず声が漏れた。
空の端から端まで、大きな虹が架かっている。
七色の橋のように、王都の空を横切っていた。
「わぁ、虹だぁ」
自然と笑顔になる。
その時だった。
「あっ! 本当だ!」
すぐ近くから弾んだ声が聞こえた。
フィリアが振り向く。
そこには一人の少女が立っていた。
十四、五歳くらいだろうか。
栗色の髪を後ろでまとめ、エプロン姿をしている。
頭や肩には木屑がいくつか付いていた。
どうやら仕事の途中らしい。
少女も空を見上げていた。
「綺麗だね」
フィリアが言う。
少女は嬉しそうに頷いた。
「はい!」
その笑顔を見て、フィリアも少し嬉しくなる。
けれど。
よく見ると、その笑顔の奥に少しだけ曇りがあった。
フィリアは少女の頭を指差した。
「木屑、付いてるよ」
「あっ」
慌てて頭を払う。
「ありがとうございます」
少女は照れたように笑った。
「お手伝い?」
「はい!」
今度は元気よく答える。
「うちは家具工房なんです」
「そうなんだ」
「今日も工房の掃除してたんです」
そう言いながらまた頭を払う。
木屑が一つ落ちた。
フィリアは笑った。
「お買い物?」
すると少女の表情が少しだけ変わった。
「はい」
そして。
少し言いづらそうに続ける。
「ちょっとアイテムを……」
そこで言葉が止まる。
フィリアは微笑んだ。
「どうぞ」
扉を開く。
「お話、聞くわよ」
少女は少し驚いた顔をしたあと、小さく頷いた。
◇
店の中へ入る。
扉を閉めると、外の賑わいが少し遠くなった。
少女は興味深そうに店内を見回している。
その様子を見てフィリアは尋ねた。
「家具工房って、もしかしてグリンウッド工房?」
少女の目が丸くなる。
「知ってるんですか!?」
「もちろん」
フィリアは店内の棚を指差した。
「このお店の棚、いくつかはあなたのおウチの工房で作ってもらったの」
少女は目を輝かせた。
「本当ですか!?」
「ええ」
「嬉しい!」
ぱっと顔が明るくなる。
「私、セラーラって言います!セラーラ・グリンウッド!」
元気よく名乗る。
「フィリア・スカーレットよ」
「知ってます!」
即答だった。
フィリアは思わず笑ってしまう。
「そうなの?」
「もちろんです!」
そして少し照れたように続ける。
「このお店、前から気になってたんです」
フィリアは嬉しくなった。
「ありがとう」
セラーラは満足そうに頷いた。
けれど。
その笑顔は長く続かなかった。
ふっと視線が落ちる。
フィリアは静かに待つ。
やがてセラーラがぽつりと呟いた。
「実は……」
少しだけ寂しそうな声だった。
「お姉ちゃんが結婚するんです」
「それはおめでとう!」
フィリアは自然と笑顔になった。
本当におめでたい話だと思ったから。
しかし。
セラーラは困ったように笑う。
「ありがとうございます……」
その声は少し沈んでいた。
フィリアは首を傾げる。
「反対なの?」
「いえ!」
即座に首を振る。
「そんなことありません!」
強い口調だった。
「大賛成です!」
それは本心なのだろう。
「相手の人もすごく良い人なんです」
「そうなのね」
「ノアさんっていうんですけど」
フィリアは微笑む。
「優しい人?」
「はい」
セラーラは笑った。
「お姉ちゃん、すごく幸せそうなんです」
その言葉に嘘はなかった。
だからこそ。
フィリアには分かった。
「寂しいのね」
セラーラの肩が少しだけ震えた。
しばらく黙る。
そして。
小さく頷いた。
「……はい」
声も小さい。
「嬉しいんです」
ぽつり。
「本当に嬉しいんです」
ぽつり。
「でも」
言葉に詰まる。
「遠くの町へ行っちゃうんです」
目を伏せる。
「お姉ちゃんがいなくなるなんて、考えたことなくて……」
フィリアは何も言わなかった。
ただ聞いていた。
セラーラは続ける。
「お祝いしたいんです」
「うん」
「笑顔で送り出したいんです」
「うん」
「でも」
セラーラは苦笑した。
「考えると泣きそうになっちゃうんです」
フィリアは優しく微笑んだ。
なるほど。
これは悲しいだけの話ではない。
嬉しいだけの話でもない。
両方なのだ。
だから苦しい。
◇
「それなら」
フィリアは立ち上がった。
店の奥へ向かう。
そして戻って来た時。
手には小さな鍵付きのケースがあった。
ぱちり。
鍵を開ける。
中には二つのネックレス。
淡い紫色の石が静かに輝いていた。
「わぁ……」
セラーラは思わず声を漏らした。
「綺麗……」
フィリアは頷く。
「元々一つだった紫水晶の結晶を二つにしたものなの」
セラーラは見入っている。
「これはね」
フィリアはそっと片方を持ち上げた。
「大切に想い合う二人が持つと、かすかに光を放つの」
「えっ!?」
セラーラが目を丸くする。
「素敵!」
そして少し考える。
「でも、こういうのって恋人とかが持つものなんじゃ……」
フィリアは首を振った。
「そんなことないわ」
優しく言う。
「夫婦でも、親子でも、友達でも」
そして。
「姉妹でもね」
そう言ってウインクする。
セラーラは再びネックレスを見る。
紫色の結晶。
元は一つ。
今は二つ。
離れていても繋がっている。
まるで。
自分と姉みたいだ。
気付くと。
目の奥が少し熱くなっていた。
「……これ」
「うん」
「これにします」
フィリアは微笑んだ。
「ありがとう」
「一つはお姉ちゃんにプレゼントします!」
今度は迷いのない笑顔だった。
「それは良いわね」
フィリアも嬉しくなる。
紙袋へ丁寧に包む。
セラーラはそれを大事そうに抱きしめた。
まるで宝物のように。
「ありがとうございました!」
元気よく頭を下げる。
「またね」
「はい!」
扉が開く。
夕陽が差し込む。
紙袋を抱えながら帰っていくセラーラの背中は、来た時よりずっと軽く見えた。
フィリアは小さく手を振る。
そして思う。
きっと大丈夫。
寂しさはなくならない。
でも。
嬉しさもちゃんと残るから。
◇
二日後。
開店準備を終えた頃だった。
カラン!
勢いよく扉が開く。
「フィリアさん!」
聞き覚えのある声。
「セラーラちゃん!」
フィリアが振り向く。
そして。
もう一人を見て目を丸くした。
「あら!」
思わず笑顔になる。
「フルールちゃん!」
長い髪の女性が笑顔で会釈する。
「お久しぶりです、フィリアさん」
「本当に久しぶり!」
セラーラは嬉しそうに二人を見比べた。
「今日はお姉ちゃんと一緒なんです!」
「そうみたいね」
フィリアは笑う。
「見てください!」
セラーラは胸元のネックレスを見せた。
紫色の結晶。
その隣。
フルールの胸元にも同じ結晶が下がっていた。
そして。
窓から差し込む陽射しを受けて、二つの結晶が微かに淡く輝いていた。
「素敵ね」
フィリアはそう言った。
セラーラは満面の笑みを浮かべる。
フルールも優しく微笑む。
店の中には。
嬉しさと、少しの寂しさと。
そして温かな時間が流れていた。
ーー次回予告ーー
ヴァルム「実は…、か……」
フィリア「…か…?」
次回、第7品「動かない懐中時計」
お楽しみに!




