第5品「鉄条網の家」
ベルフォード行きの馬車は昼前に出るらしかった。
リュミエールの馬車乗り場で、フィリアは寄り道コンパスを片手に立っていた。
昨夜、宿で見た光景が頭から離れない。
錆び付いて動かなかったはずの針。
北ではない方角を指し続けるコンパス。
何かの間違いかもしれない。
そう思いながらも、結局気になってしまった。
旅人とはそういう生き物だ。
少なくともフィリアはそうだった。
「すみません」
近くで荷物を積み込んでいた御者へ声を掛ける。
「この方角へ行く馬車ってありますか?」
御者はフィリアが差した方角を見る。
「ああ、その辺りなら俺の馬車だな」
「本当?」
「一番近い街はベルフォードだ」
御者は笑う。
「特に何もないぞ」
「え?」
「のどかな街だ。近くに樹海があるくらいだな」
「樹海?」
「ああ。人もあまり近寄らん」
フィリアは少し考えた。
特に何もない。
だからこそ気になる。
「行ってみるか?」
「うーん……」
少しだけ悩む。
本来行く予定だった街とは真逆だ。
けれど。
フィリアはコンパスを見る。
針は迷いなくその方角を指していた。
「行ってみる!」
御者は笑った。
「毎度あり」
◇
途中で一度野営を挟み。
翌日の昼過ぎ。
ベルフォードへ到着した。
空はよく晴れていた。
街の入口に立ったフィリアは辺りを見回す。
「のどかだなぁ」
思わず呟く。
畑。
風車。
低い建物。
遠くに見える森。
王都のような賑わいはない。
旅人も少ない。
本当に静かな街だった。
フィリアはコンパスを取り出す。
「……あれ?」
針は動いていなかった。
昨夜まで確かに動いていたのに。
今はまた壊れたコンパスに戻っている。
「役目終わり?」
思わず笑う。
もちろん返事はない。
フィリアは肩を竦めた。
「まあいいか」
ここまで来たのだ。
少し散歩してみよう。
そんな軽い気持ちで歩き始めた。
石畳の道を進む。
市場は小さい。
店も少ない。
それでも人々の表情は穏やかだった。
しばらく歩いていると。
ふと、違和感を覚えた。
「……ん?」
街の雰囲気から浮いている建物がある。
小さな家だった。
庭の草は伸び放題。
窓は閉ざされている。
柵には鉄条網。
傾いた看板。
そこには乱暴な文字で書かれていた。
『入るな』
フィリアは立ち止まる。
風が吹いた。
鉄条網がかすかに揺れる。
不思議な家だった。
怖いというより。
寂しい。
そんな印象だった。
「気になるかい?」
突然声がした。
振り向く。
買い物袋を持った女性だった。
四十代くらいだろうか。
気さくそうな笑顔をしている。
「こんにちは」
フィリアは会釈した。
「ここ、何なんですか?」
女性は家を見る。
そして少しだけ寂しそうに笑った。
「あんまり見ない方がいいよ」
「何かあったんですか?」
女性は少し考えた。
それから話し始める。
「昔は魔道具屋だったんだ」
「魔道具屋?」
「ああ」
女性は頷く。
「店主は良い人でね、困ってる人がいると放っておけない人だった」
フィリアは黙って聞く。
「壊れた道具を直したり、貧しい人には安く売ったり、時にはお金も取らなかった」
「優しい人だったんですね」
「優し過ぎたんだよ」
女性は苦笑する。
「人助けばかりして、自分の生活を後回しにした」
フィリアは胸が少し痛んだ。
「それだけじゃない」
女性は続ける。
「頼る相手も悪かった。騙されたのさ」
「そんな……」
「本当に良い人だったんだけどね」
風が吹く。
伸びた草が揺れる。
「この街、昔はもっと寂れてたんだ。でもあの人のお陰で少しずつ元気になった。なのに…」
女性は視線を落とした。
「いざという時、私たちは何もしてやれなかった」
フィリアは何も言えなかった。
しばらく沈黙が続く。
やがて女性は笑う。
「もっとも」
「え?」
「三十年くらい前の話らしいけどね」
思わずフィリアも笑ってしまった。
「聞いた話なんですね」
「そういうこと」
女性も笑う。
そして少し声を潜めた。
「風の便りじゃ、今はどこかでガラクタを売り歩いてるらしいよ」
フィリアの目が丸くなる。
「本当に?」
「さあね」
女性は肩を竦めた。
「ただの噂さ」
そう言い残し、去って行った。
フィリアはしばらくその場に立ち尽くしていた。
鉄条網。
伸び放題の草。
寂しい家。
優しかった魔道具屋。
そしてガラクタ売りの噂。
不思議と胸に残った。
◇
その夜。
宿のベッドに腰掛けながら。
フィリアは天井を見上げていた。
眠れない。
頭の中にあの家が浮かぶ。
あの魔道具屋はどんな人だったのだろう。
どんな顔で。
どんな言葉で。
どんな品を売っていたのだろう。
会ってみたかった。
話してみたかった。
そして。
助けてあげたかった。
フィリアはそこで苦笑する。
「無理か」
三十年前の話だ。
会えるわけがない。
助けられるわけもない。
それでも。
もし。
もし自分がその時代にいたなら。
何か出来ただろうか。
答えは出ない。
けれど。
その時だった。
ふと。
心の中で何かが繋がった。
アイテム。
旅。
人との出会い。
これまで見てきた様々な品々。
そして。
あの魔道具屋。
「……あ」
フィリアは身体を起こす。
「そうか」
思わず声が漏れた。
「そういうことか」
旅の中で。
たくさんのアイテムを見てきた。
不思議な物。
役に立つ物。
誰かを笑顔にする物。
そして自分自身も。
何度も助けられてきた。
だったら。
「私も」
胸の奥が熱くなる。
「私も誰かの背中を押せたら」
大きなことじゃなくていい。
人生を変えなくていい。
ほんの少しだけ。
前へ進むきっかけを渡せる人になれたら。
そんな店を開けたら。
素敵じゃないか。
フィリアは気付けば笑っていた。
「雑貨屋かぁ」
小さく呟く。
まだ何も決まっていない。
場所も。
資金も。
商品も。
何一つ。
それでも。
初めて未来が見えた気がした。
◇
「……ん」
フィリアはゆっくり目を開けた。
窓から夕陽が差し込んでいる。
どうやらカウンターで居眠りしていたらしい。
「寝ちゃってた」
苦笑しながら身体を起こす。
店内を見回す。
棚には雑貨が並んでいる。
気持ちの砂時計。
あなたの天秤。
旅立ちの靴。
そして様々な小さな品々。
あの日から三年余り。
王都で店を持つようになるなんて。
あの頃は想像もしていなかった。
フィリアは静かに店内を見渡した。
そして小さく微笑む。
「私も」
夕陽が店を優しく照らす。
「誰かのためになれてるかな」
返事はない。
けれど。
窓の外から聞こえる笑い声が。
その答えを少しだけ教えてくれている気がした。
ーー次回予告ーー
フィリア「もしかしてグリンウッド工房?」
???「知ってるんですか?嬉しい!」
次回、第6品「嬉しさと寂しさの結晶」
お楽しみに!




