第4品「寄り道コンパス」
フィリアが旅に出て二年目の夏だった。
青空は高く、風は温かい。
街道沿いには背の高い草が揺れている。
旅そのものは楽しかった。
故郷のエルミア村では見られない景色。
出会ったことのない人々。
食べたことのない料理。
聞いたこともない言葉や文化。
旅に出たことを後悔した日は一度もない。
けれど。
「この先、どうしようかなぁ……」
フィリアは街道を歩きながら呟いた。
旅に出る理由はあった。
知らない場所へ行ってみたかった。
世界を見てみたかった。
それは叶った。
だが、その先がない。
冒険者として名を上げたいわけではない。
王都で暮らしたいわけでもない。
故郷へ帰るのか。
どこかの街に住むのか。
それとも旅を続けるのか。
自分の未来だけが、どうにも見えなかった。
そんな時だった。
辿り着いたオシャレな街、リュミエール。
噴水のある石畳の広場の中央では市場が開かれていた。
野菜、果物、布、香辛料、
旅人向けの道具。
様々な露店が並んでいる。
フィリアは市場を見て回るのが好きだった。
その土地の人が何を売り、何を買うのか。
それを見るだけでも面白い。
だからその日も何気なく広場を歩いていた。
そして、ふと足が止まる。
「……なにこれ」
思わず声が漏れた。
そこだけ明らかに雰囲気が違った。
古びた荷車。
日よけの布。
そして並べられている品々。
壊れたランタン。
欠けたカップ。
錆びた鍵。
動かない懐中時計。
革の剥がれた手帳。
誰が見てもガラクタだった。
店番をしているのは白髪の老人。
椅子に座り、目を閉じている。
寝ているのかと思った。
だが。
「見たいなら勝手に見るがよい」
突然声がした。
フィリアが驚く。
老人は目を閉じたままだった。
「起きてたの?」
「寝とらん」
「絶対寝てたでしょ」
「寝とらん」
フィリアは苦笑する。
そして改めて並んだ品を見る。
やっぱりガラクタだ。
どう見ても売り物には見えない。
「どうしてこんな物ばっかり売ってるの?」
老人が片目を開く。
「ほう」
「なんで?」
「どうして『こんな物』と言うのかね」
フィリアは首を傾げる。
「だって古いし」
「うむ」
「壊れてるし」
「うむ」
「使えないし」
「うむ」
老人はそこまで聞いて。
少し笑った。
「そしたら価値はなくなるのかね」
「え?」
「古いから」
「うん」
「壊れているから」
「うん」
「使えないから」
「うん」
「価値はないのかね?」
フィリアは少し考えた。
そして正直に答える。
「分かんない」
老人は満足そうに頷いた。
「正解じゃ」
「正解なの?」
「分からんものを分からんと言えるのは立派じゃ」
フィリアはますます分からなくなる。
老人は椅子に深く腰掛けた。
「世の中にはの…」
「うん」
「使い道を失った物を欲しがる人間もおる」
「なんで?」
「知らん」
「知らないの!?」
「知らんもんは知らん」
フィリアは思わず吹き出した。
変な老人だった。
でも少し面白い。
老人は並んだ品を見渡す。
「じゃが」
「うん」
「必要とする者はおる」
「ふーん」
「物売りとはそういうものじゃ」
風が吹いた。
荷車の上に吊るされた風鈴が小さく鳴る。
フィリアは棚を見て回る。
その時だった。
一つの品に目が止まる。
小さな真鍮のコンパス。
だが。
針は錆び付いている。
「これ動くの?」
老人は見もせずに答える。
「動く」
「嘘だ」
「動く」
「だって止まってる」
「今はな」
意味が分からない。
フィリアはコンパスを手に取る。
思ったより軽い。
蓋には細かな傷が無数に刻まれていた。
長い旅をしてきたのだろう。
不思議と嫌な感じはしない。
むしろ、なんとなく気になる。
「これ何?」
老人は少しだけ笑った。
「寄り道コンパスじゃ」
「寄り道?」
「そうじゃ」
「どこを指すの?」
老人は肩をすくめる。
「知らん」
「またそれ?」
「知らんものは知らん」
フィリアは呆れた。
老人は続ける。
「北は指さん」
「コンパスなのに?」
「うむ」
「役に立たないじゃない」
「そうかもしれん」
「じゃあ何を指すの?」
老人はしばらく黙った。
市場の喧騒だけが聞こえる。
やがて。
「必要な方角じゃ」
それだけ言った。
フィリアは眉をひそめる。
「意味分かんない」
「じゃろうな」
老人は笑う。
そして目を閉じた。
話は終わりらしい。
フィリアはコンパスを見る。
傷だらけだ。
古い。
変な品だ。
でも、なぜだろう。
少しだけ気になった。
「ねえ」
「なんじゃ」
「私に合う物ってある?」
老人は片目を開いた。
フィリアを見る。
まるで値踏みするように。
しばらく見て。
ふっと笑った。
「なかなか物分かりのいい小娘じゃ」
「褒めてる?」
「たぶんな」
「たぶんって」
老人は椅子から立ち上がる。
そしてコンパスを指差した。
「お前さんにはそれを売ってやろう」
「これ?」
「うむ」
「どう使うの?」
老人は答えない。
「どこへ行くの?」
答えない。
「何が起きるの?」
答えない。
フィリアは頬を膨らませた。
老人はようやく口を開く。
「知ってから使うのと」
少しだけ笑う。
「知らずに使うのでは」
「旅の面白さが違うじゃろう」
フィリアはしばらく考えた。
そして笑った。
「変なじいさん」
「よく言われる」
「じゃあ買う」
「毎度あり」
そうしてフィリアは。
寄り道コンパスを手に入れた。
その晩ーー。
宿の部屋でベッドに腰掛けながら。
改めてコンパスを眺める。
窓の外では夏の虫が鳴いていた。
その時。
錆び付いて止まっていたはずの針が動いた。
ギシギシ、カタカタと、音は聞こえないが、そんな様子で。
フィリアは目を見開く。
針は北を指していない。
知らない方角。
静かに。
迷いなく。
そこを指していた。
「……え?」
フィリアは思わず呟く。
寄り道コンパスは答えない。
ただ。
そこへ行けとでも言うように。
静かに針を向け続けていた。
翌朝。
フィリアは予定していた目的地への地図を畳む。
そして。
窓辺でコンパスを開いた。
針は昨日と同じ方向を指している。
「……まぁ、いっか」
少しだけ笑った。
こういう旅も悪くない。
フィリアは荷物を背負う。
そして。
コンパスの指す方角へ向かって歩き始めた。
まだ彼女は知らない。
この「寄り道」の先に何があるのかを。
ーー次回予告ーー
???「あんまり見ない方がいいよ」
フィリア「何かあったんですか?」
次回、第5品「鉄条網の家」
お楽しみに!




