第2品「あなたの天秤」
夕暮れが近づいていた。
王都フォレンティア・ベルクラウンの喧騒も、少しずつ穏やかなものへ変わり始めている。
スカーレット・アイテムショップの窓から差し込む陽射しも、朝の眩しさとは違う柔らかな橙色だった。
フィリアはカウンターに肘をつき、小さく息を吐いた。
「ふぅ……」
今日は朝から来客が続いていた。
眠りを助ける香り袋。
古びた旅日記用の栞。
贈り物用の小箱。
一つひとつは大きな買い物ではない。
けれど、そのたびに客の話を聞き、相談に乗り、アイテムを選ぶ。
それは思った以上に心を使う仕事だった。
窓の外を見ながら、フィリアは少しだけ笑う。
「今日も私、頑張ってるなぁ」
誰に聞かせるでもない独り言だった。
その時。
カラン。
入り口の扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
反射的に声をかける。
入ってきたのは二十代半ばほどの男性だった。
黒髪で背は高い。
服装もきちんとしている。
だが、どこか自信なさげだった。
男性は返事をせず、店内をゆっくり見て回り始める。
フィリアはそれ以上声をかけなかった。
こういう客もいる。
何かを探している人。
何を探しているのか自分でも分かってない人。
そんな時は急かさない方がいい。
しばらくして。
男性が棚の前で立ち止まった。
そして小さな声で言った。
「あの……」
フィリアは笑顔を向ける。
「はい」
男性は少し迷うような表情を浮かべた。
「あの……能力を高めるようなアイテムってありますか?」
フィリアは首を傾げる。
「能力、ですか?」
「はい」
「どんな能力を?」
すると男性は困ったように笑った。
「それが……よく分からなくて」
フィリアは続きを待った。
男性は視線を落とす。
「同僚も友達も、みんなすごいんです。営業成績が良かったり、仕事が早かったり、人付き合いが上手だったり、趣味でも結果を出してたり」
彼は自嘲気味に笑った。
「それに比べると、僕なんて全然ダメに思えてしまって。だから何か……少しでも良くなれたらと思って」
フィリアは静かに頷く。
なるほど。
能力の問題ではない。
この人はきっと、自分を厳しく見過ぎている。
そう思った。
フィリアは店の奥へ向かう。
そして棚から小さな木箱を取り出した。
「それなら」
男性の前に置く。
「これなんてどうでしょう」
木箱の中には、小さな真鍮製の天秤。
そして色とりどりの金平糖が入った瓶。
男性は不思議そうな顔をした。
「天秤……ですか?」
「『あなたの天秤』です」
フィリアはそう答えた。
男性――ヴィルムは首を傾げる。
「何を量るんです?」
フィリアは少し考えてから言った。
「自分への優しさ、でしょうか」
ヴィルムはますます分からないという顔になる。
フィリアは金平糖を一粒取り出した。
「誰かと比べて苦しくなった時、自分はダメだと思った時、この天秤に金平糖を乗せてください。受け皿が下がるまで」
ヴィルムは天秤を見つめる。
「それで?」
「それだけです」
フィリアは微笑んだ。
「その数が、今のあなたに必要な甘さです」
ヴィルムは半信半疑のまま金平糖をつまむ。
一粒。
コト。
動かない。
二粒。
三粒。
四粒。
まだ動かない。
五粒。
六粒。
七粒。
そして。
八粒目。
カタン。
天秤が静かに傾いた。
ヴィルムは目を丸くする。
「下がった……」
フィリアは優しく言った。
「八粒ですね」
「八粒……」
「あなたは頑張り過ぎ、自分に厳し過ぎです」
ヴィルムは驚いた顔をした。
「え?」
「そして、甘さが足りません」
フィリアは笑う。
「自分自身への甘さです」
ヴィルムは黙り込む。
フィリアは続けた。
「この金平糖の数は、足りない甘さなんです」
「でも…」
そう言って天秤を見る。
「そして頑張ってきた数なんです」
ヴィルムは顔を上げた。
フィリアは穏やかに言った。
「頑張っていない人は疲れません。頑張っていない人は落ち込みません。比べてしまうのも、それだけ真剣だからです」
ヴィルムは何も言えなかった。
ただ天秤を見つめている。
「だから…」
フィリアは金平糖を一粒つまんだ。
「今日は少しだけ自分を褒めてください。心にも身体にも甘さは必要ですから」
その言葉に。
ヴィルムは思わず笑ってしまった。
「そうかもしれませんね」
そして小さく頷く。
「じゃあ、それをください」
フィリアは木箱を丁寧に包んだ。
店を出る時。
ヴィルムは振り返り、深く一礼した。
フィリアも手を振る。
夕陽の中を歩いていく後ろ姿は、来た時より少しだけ軽そうに見えた。
◇
二週間後。
カラン。
扉が開く。
「こんにちは!」
元気な声だった。
フィリアは思わず顔を上げる。
「あっ」
ヴィルムだった。
前より表情が明るい。
歩き方まで違う気がする。
「こんにちは!」
フィリアも笑顔になる。
ヴィルムは照れくさそうに頭を掻いた。
「あれから時々金平糖を食べてます」
「ちゃんと食べてるんですね」
「ええ」
二人は笑った。
「今日は何粒でした?」
フィリアが尋ねる。
ヴィルムは指を一本立てた。
「一粒です」
「おお」
「自分でも驚きました」
彼は少し考えるように窓の外を見る。
「天秤を使うようになってから思ったんです」
「僕、自分で思ってたほど悪くないなって」
フィリアは頷く。
「うん」
「もちろん同僚はすごいです。友達もすごいです。でも」
ヴィルムは笑った。
「だからって僕がダメなわけじゃないんですよね」
「そうですよ」
フィリアも笑う。
「誰かがすごいことと、自分の価値は別ですから」
ヴィルムは大きく頷いた。
そして言う。
「今日は休みなんです」
「おや」
「これから同僚と飲みに行ってきます」
「いいですね」
「前なら断ってたかもしれません」
フィリアは少しだけ嬉しくなる。
「いってらっしゃい。楽しんで来てくださいね」
「はい!」
ヴィルムは元気よく店を出て行った。
扉が閉まる直前。
また振り返る。
そして深く一礼した。
フィリアも手を振り返した。
やがて店内は静かになる。
夕陽が棚を染めていた。
フィリアは木箱の中に残っていた金平糖を一粒つまむ。
ぽいっと口に放り込む。
優しい甘さが広がった。
「今日は私も頑張ったもんなぁ」
そう呟く。
甘い。
少しだけ疲れがほどける。
フィリアは窓の外を見ながら笑った。
「私は三粒くらいかな」
スカーレット・アイテムショップは今日も、王都の片隅で営業中だった。
ーー次回予告ーー
「こんにちは、私、アストリッテ・アイボリーです」
「フィリア・スカーレットです」
次回、第3品「旅立ちの靴」
お楽しみに!




