第1品「気持ちの砂時計」
王都フォレンティア・ベルクラウン。
ルーヴェリア王国最大の街であるこの場所には、今日も朝早くから多くの人々が行き交っていた。
商人たちは店を開く準備をし、職人たちは工房へ向かう。
焼きたてのパンの香りが風に乗り、広場では子供たちの笑い声が響いている。
そんな賑やかな中央通りから少し離れた場所に、小さなアイテムショップがあった。
木製の看板には、丁寧な文字でこう書かれている。
『スカーレット・アイテムショップ』
店主はフィリア・スカーレット。
二十三歳。
故郷のエルミア村を出て五年。
各地を旅した末に、この王都で店を開いた元冒険者だ。
開店から数か月。
派手ではないが、少しずつ客も増えてきていた。
「よしっと」
フィリアは店内の棚を整えながら頷いた。
磨き上げられた木棚には、様々なアイテムが並んでいる。
雨の日に本が濡れにくくなる栞。
疲れた時にほんのり甘い香りを出す小瓶。
長旅の疲れを和らげる靴紐。
どれも旅の途中で見つけたり、自ら仕入れたりした品々だった。
準備を終えると、フィリアは窓際へ歩く。
窓から見える青空はどこまでも高かった。
「今日もいい天気になりそう」
そう呟いた時だった。
コンコン。
小さなノックの音が響いた。
フィリアは首を傾げる。
まだ開店時間までは少しある。
誰だろう?
扉へ向かい、ゆっくり開く。
そこには一人の若い女性が立っていた。
淡い茶色の髪。
年齢は二十歳前後だろうか。
だが、その顔色は良くない。
目の下には薄い隈が見える。
「あの……」
女性は申し訳なさそうに言った。
「すみません。まだ開店前ですよね。でも……」
そこまで言ったところで言葉が止まる。
フィリアは小さく微笑んだ。
「大丈夫ですよ」
そして扉を大きく開く。
「どうぞ。いらっしゃいませ」
女性は少し驚いたような顔をしたあと、遠慮がちに店へ入った。
フィリアは扉を閉める。
「今日もいい天気になりそうですね」
そう声をかける。
女性は窓の方をちらりと見て、
「そうですね」
とだけ答えた。
しかし、その声には元気がなかった。
俯いたまま黙り込む。
フィリアは急かさなかった。
客の中には、悩みを言葉にするだけでも時間が必要な人がいる。
しばらくして。
女性はぽつりと呟いた。
「忘れたいんです」
フィリアは静かに頷く。
「何をですか?」
「いろんなことです」
女性は膝の上で手を握りしめる。
「心配とか、不安とか……嫌だったこととか」
少し苦しそうに笑った。
「考えても仕方ないって分かってるんです」
「でも?」
「頭から離れなくて」
フィリアは女性の顔を見る。
眠れていない目。
疲れた表情。
張り詰めた肩。
そして優しく言った。
「よく眠れないんですね」
女性は驚いたように顔を上げた。
それから小さく頷く。
「……ええ」
店内に静かな空気が流れた。
フィリアは考える。
どのアイテムがいいだろう。
そして一つの品を思い出した。
旅をしていた頃のことだった。
まだ行き先も定まらず、旅の目的も見つからず、ただ歩いていた頃。
自分は何者なのだろう。
この旅に意味はあるのだろうか。
どこへ向かえばいいのだろう。
そんなことばかり考えていた時期があった。
ある町で出会った行商人。
その荷車の中に、それはあった。
小さな砂時計。
透明なガラスの中には、金色とも銀色ともつかないキラキラした砂が入っていた。
『気持ちの砂時計』
不思議な名前だった。
行商人は言った。
『悩みは消えん』
『だがな、置いておくことはできる』
『この砂が落ちる間だけ、思い切り悩め』
『そして落ち切ったら今日は終わりじゃ』
その時のフィリアには、その言葉が妙に響いた。
実際に使ってみた。
三分間。
思い切り悩んだ。
不安も迷いも後悔も全部考えた。
そして砂が落ち切った時。
問題は何一つ解決していなかった。
でも。
「今日はここまでにしよう」
そう思えたのだ。
翌日も歩くために。
フィリアは棚から小さな砂時計を取り出した。
キラキラと光を受けて輝いている。
「これは?」
女性が尋ねる。
「『気持ちの砂時計』です」
フィリアは優しく答えた。
「忘れるためのアイテムではありません」
女性は少し不思議そうな顔をした。
「違うんですか?」
「はい」
フィリアは砂時計をひっくり返す。
さらさらと砂が流れ始める。
「この三分だけは、思い切り悩んでください」
「……三分だけ?」
「はい」
「嫌だったことも、不安なことも、全部考えてください」
女性は砂時計を見つめる。
「でも」
フィリアは微笑んだ。
「砂が落ち切ったら今日はおしまいです」
「おしまい?」
「続きはまた今度考えましょう」
女性は目を丸くした。
フィリアは続ける。
「考えないようにするのって難しいんです。だから逆なんです。ちゃんと考える時間を決めるんですよ」
女性は黙って砂時計を見つめていた。
やがて、ほんの少しだけ表情が和らいだ。
「変なアイテムですね」
「よく言われます」
フィリアは笑った。
結局、その女性――レナは砂時計を購入して帰っていった。
店を出る時も不安そうだった。
けれど、来た時より少しだけ顔を上げていた気がした。
フィリアはその後ろ姿を見送りながら呟く。
「大丈夫だよ」
その声は風に溶けていった。
◇
数日後。
店の扉が開いた。
「こんにちは」
聞き覚えのある声だった。
フィリアは顔を上げる。
「あ」
レナだった。
前よりも表情が明るい。
目の下の隈も薄くなっている。
「いらっしゃいませ」
レナは笑った。
「ありがとうございます」
「どうしました?」
「気持ちの砂時計」
レナは言う。
「少しずつですけど、前を向けるようになってきました」
フィリアは静かに聞いていた。
レナは続ける。
「考えないようにするんじゃなくて、三分だけ考えるんです。そうしたら不思議と……ずっと抱え込まなくなりました。砂時計を使うことも少なくなってきて…」
フィリアは嬉しくなった。
けれど首を横に振る。
「それは砂時計のお陰ではありませんよ」
レナはきょとんとする。
「え?」
「貴女自身の力です」
フィリアは微笑む。
「砂時計は少しだけお手伝いしただけ。歩いたのは貴女ですよ」
レナはしばらく黙っていた。
それから照れたように笑った。
「そうかもしれませんね」
窓の外では、今日も王都の人々が行き交っている。
悩む人もいる。
迷う人もいる。
立ち止まる人もいる。
でもきっと。
また歩き出せる。
フィリアは窓辺の砂時計を手に取った。
そして静かにひっくり返す。
さらさら、と。
金色の砂が落ち始める。
明日もまた、誰かがこの店の扉を叩くだろう。
スカーレット・アイテムショップは今日も、王都の片隅で営業中だった。
ーー次回予告ーー
???「能力を高めるアイテムってありますか?」
フィリア「心にも体にも甘さは必要ですから」
次回、第2品「あなたの天秤」
お楽しみに!




