第34話 優しい人
「待って下さい!」
帰ろうとするヘイザを強い口調で制止する。
「どうしたでござる?」
「ヘイさんは分かっているでしょう! このままじゃこの人たち、死にますよ!」
いきなり死ぬと言われてアンリはギョッとした。
「し、死ぬなんてなにを縁起でもないことを言うんだ! 失礼ですよ!」
「キクコちゃんは無礼を承知で言ったんですよ。優しいから」
呆れながらジャックがキクコを庇った。言うまでもなくジャックが呆れているのはキクコにではなく、現実の見えていないアンリに対してだった。
「ヘイさん。私たちは仲間ですよね? なら正直に答えてください。ヘイさんはこの二人が駆け落ちした後、どうなると思いますか?」
ポリポリと頭を掻きながらヘイザが面倒臭そうな顔をした。
真剣な眼差しで仲間ですよね、などと念押しされてしまっては適当な事は言えない。
仕方なくヘイザはこのまま駆け落ちした場合の現実的な予測を語る事にした。
「そうでござるなぁ。彼の父親か兄は、行方不明となった彼の居場所を捜索するでござろう。そしていずれ息子が吸血鬼と同棲していることを突き止め、息子をたぶらかす吸血鬼討伐を依頼するのではないかな? 拙者は冒険者として最低限のあれやこれがあるので、この依頼は受けられんが、他に腕利きの冒険者はいくらでもいる」
吸血鬼は確かに最強クラスの怪物である。
しかし数百年前、始まりの冒険者カシムが現地人達と共に吸血鬼たちの勢力を一掃してみせたように滅ぼせない相手ではない。腕利きの冒険者が複数人でかかれば、一人しかいない吸血鬼を滅ぼす事は十分可能だろう。
「依頼してからお主らの住む場所を特定するのに一月、討伐に一月。ざっと二か月といったところか」
「そんな! どうして討伐されなくちゃならないんだ! 僕らはただ静かに暮らしたいだけなのに!」
「依頼に『吸血鬼』と出したのは失敗でござるな。ただの駆け落ちならお主の父と兄が、見逃す可能性もゼロではなかった。まあ例え見逃されたとしても、いずれ吸血鬼であることが周囲にばれて討伐隊が送られるのがオチでござるが」
「吸血鬼は見た目は人間と同じなんだ! 吸血鬼の力を使わなければばれたりしない!」
「まあお主が奇跡的に覚醒して努力し、一人で田舎で生活できていくだけの生活力を身に着ければ、できるかもしれぬ。だが駆け落ち資金も全て親の金で、自分で金を稼ぐ能力もなく、先の展望もないお主の有様を見れば、その可能性は1%もあるまい。いずれ生きるのにベルタェラーカの吸血鬼の力に頼らざるを得なくなり、それで周囲にばれて、終わりでござる」
「違う! 僕は上手くやる! やってみせるんだ!」
ヘイザの淡々とした事実の指摘にアンリは激高した。だがこの怒りは図星を突かれたが故のものだった。
アンリも地頭は悪くないのだろう。ヘイザの正論を正しいと頭では理解してしまったのだ。
「…………待てアンリ」
そんなアンリを止めたのは、意外にもベルタェラーカだった。
「ベルタ?」
「私は人間世界の事情には疎いが、この者たちが嘘を言っていないようだということは、なんとなく分かる。おいヘイザ・アッシュブレード。なぜこのことを黙っていた?」
「拙者の仕事は駆け落ちを成功させることで、駆け落ちした後でどうなろうと関係ないでござるからな」
だから最初は二人の末路が見えた上で、甘い言葉を囁いて依頼を引き受けようとしたのだ。ジャックもなんとなくそれを察しつつも、馬鹿なボンボンの自己責任だと敢えて指摘することはなかった。キクコだけが馬鹿なボンボンのアンリに寄り添い、耳の痛い言葉を言ったのである。
「……そうか。すまんがアンリ、駆け落ちの話はなしだ。きっと駆け落ちしても私たちは幸せにはなれんだろう」
「そんな……君という光を見つけたから、僕は頑張って生きようと思ったのに……」
頑張って生きる、その言葉を聞いた瞬間、ヘイザの表情が冷たくなった。ヘイザはアンリに視線だけで射殺せるような零度の眼差しを向けると、
「頑張る? 親の金を使って冒険者ギルドに依頼する程度が、お前にとっての頑張るなのか?」
「え?」
「ご主人?」
普段とは違うヘイザの様子にアンリだけではなく、ジャックまでが困惑する。
「本当にお前が惚れた女のためなら頑張れるというなら、そんなところで己の無力さを嘆いている時間はないはずだ。血反吐を吐きながら体を鍛えろ、体を休めている間に脳が焼けるほど勉強しろ。自分の力で金を稼げるようになれ。それができないなら、お前の彼女への思いもその程度だ。……安い愛情だな」
「ぼ、僕の思いを馬鹿にするなぁ! アンタは知らないだろうけど、あの日、崖から飛び降りた僕を助けてくれた時、彼女のためならば死んでもいいとさえ思ったんだ!」
アンリが掴みかかってこようとするが、ヘイザはあっさり身を翻して躱す。そのままアンリは床に転んでしまう。
ジャックはそんなアンリを立たせてやると、
「なら死ぬ気で頑張って、一人でも生きていけるだけの力を身につけろよ。それで駆け落ち資金も親の金じゃなくて自分で用意するんだな」
「そうすればきっと幸せになれるはずですよ。ね、ヘイさん?」
「…………」
キクコにそう言われたヘイザは絶対零度の表情を、また元のすっとぼけたものに戻していくと、にへらと笑った。
「いや、駆け落ちなんかせずこの屋敷でぬくぬく高等遊民しながら、ベルタェラーカとこっそりにゃんにゃんする生活を送れば、楽に淫らに幸せになれるでござるよ?」
「いや、僕は決めた! 今の僕で彼女を幸せにできないなら、必ず幸せにできる僕になってみせる!」
強い決意の炎を滾らせながらアンリが言った。
男子、三日会わざれば刮目して見よ、とは帝国の太祖女帝が残した言葉の一つだが、アンリはこの僅かな間に別人のようになっていた。これが覚醒というのだろうか。
「だから……時間はかかると思うけど、待っていてくれないか、ベルタ」
「待つさ。私は不老不死の吸血鬼だぞ」
「というわけだから、申し訳ないけど依頼はキャンセルさせて欲しい」
「しょうがないでござるなぁ。そのかわりキャンセル料として、報酬の六割は貰うでござるよ」
「ここにあるのは全て父さんのお金だ。だから僕が稼げるようになるまでツケにしておいて欲しい」
「構わんが利子はつくでござるよ」
ヘイザはアンリの事が嫌いだったので、欠片も恩情をかけるつもりはなかった。本当に彼の覚醒が口先だけではないと証明したならば、ほんの少し好きになるだろう。
アンリは力強く頷くと、
「分かりました。それで――――」
「待て。利子の分だが、私の血なんてどうだ?」
「なに?」
話が纏まりかけたところで、ベルタェラーカが驚きの提案をしてきた。
「吸血鬼の血というのは、ほんの少し加工するだけで最高峰のポーションに匹敵する妙薬になる。冒険者であれば回復薬はいつでも入用だろう?」
ベルタェラーカの言う事は嘘ではない。まだ新大陸に吸血鬼が大勢残っていた頃、吸血鬼から採集した血は貴重な回復薬として重宝されていた。しかしその血を採取した吸血鬼が死ぬと、血で作った回復薬も消滅してしまうという途轍もないデメリットのせいで一般化することはなかった。
「でもベルタ、それは……」
「いいだろうアンリ。駆け落ち費用をお前に出させるなら、依頼のキャンセル料くらいは私に払わせろ。私を立てると思ってな」
そういう言い方をされたらアンリも断れず、渋々と頷く。
「分かった。じゃあ10リットルほど貰おうか」
「殺す気か!? ってか10リットルも血液ないわ!」
「ちょっとずつ貰うんでござるよ」
こうして日を置きつつ合計10リットルの血を提供するという条件で、契約キャンセルは成立した。
【後書き】
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