第9話:誰かに、見られている気がした
遺跡を後にしてから数日、二人は以前よりも大きな規模の商業都市に入った。石造りの家々が並び、通りには数え切れないほどの旅人や商人が行き交っている。
宿を確保し、一息ついた夕食の席。喧騒に包まれた食堂で、レインの耳にある会話が滑り込んできた。
「……特徴は一致しているな。くすんだ黒髪に灰色の目。丁寧すぎる物腰の男だ」
「連れの娘は?」
「茶髪の小柄な娘だ。間違いない」
隣のテーブル。フードを深く被った二人組が、声を潜めて羊皮紙を覗き込んでいる。レインは表情を変えず、淡々とスープを口に運び続けた。感情が表に出にくい彼の性質が、ここでは幸いしていた。
(……私を探している。誰が、何の目的で)
翌朝、市場を歩いている時だった。
人混みの中で買い物を楽しんでいたリアが、不意に足を止め、レインの袖を引いた。
「ねえ、レイン。……さっきから、あの人、ずっとこっちを見てる」
「……誰ですか」
「あそこの角。黒い外套を着た人」
リアの指差す先。路地の陰に、微動だにせずこちらを見つめる人物がいた。目が合った瞬間、その人物は滑るように背を向け、雑踏の中に消えた。
レインの視界には、その人物から伸びる「縁」が見えていた。
それは今まで見てきた温かな家族の糸や、激しい商売の絆とは全く違う。
冷たく、無機質な、鎖のような糸。
それは誰かを慈しむためのものではなく、獲物を縛り付け、監視するための執着に満ちていた。
「……気のせいではありませんね」
「でしょ? 絶対こっちを見てた」
昼過ぎ。再び同じ外套の人物が視界に入った。今度はより近く、はっきりと二人を観察している。
レインは意を決してリアに告げた。
「少し待っていてください。確認してきます」
「え、ちょっとレイン!?」
レインは丁寧な足取りを崩さず、しかし迅速にその人物へと近づいた。人物は即座に路地へと逃げ込む。レインが角を曲がったときには、もうそこには誰もいなかった。
行き止まりの壁。そこには、ナイフで刻んだばかりのような、小さな紋章があった。
複雑に絡み合った円と、その中心を貫く一本の針。
(……この紋章。どこかで、見た覚えがあるような)
記憶の断片が疼く。幼い頃の、あの石造りの冷たい部屋。
レインは指先でその紋章に触れた。そこには遺跡で感じた温かさは微塵もなく、ただ凍てつくような拒絶の感覚だけが残っていた。
宿に戻ると、リアが珍しく真剣な表情で窓際に立っていた。
「誰かに追われてるの?」
「……わかりません。ですが、あまり歓迎すべき相手ではなさそうです」
「気をつけた方がいい。私の直感だけど、あの人たち、すごく嫌な感じがする」
リアはそう言うと、無理に作るような明るい笑顔を見せた。
だが、その笑顔の裏側で揺れる彼女自身の「糸」が、恐怖で細く震えているのをレインは見逃さなかった。
夜、レインは窓から静まり返った町を見下ろした。
あの紋章。そして、自分を追う影。
「縁」を感じる力が強まると同時に、かつて自分を切り離した「過去」が、音もなく背後に迫ってきている。




