第6話:水一杯で十分でした
小国の中心部に位置する商業都市。そこは活気に満ちているはずの場所だったが、一歩足を踏み入れると、肌を刺すような奇妙な緊張感が漂っていた。
「ねえ、レイン。なんかここ、変じゃない?」
リアが左右を見回しながら小声で囁く。
「……ええ。対立していますね。それも、かなり根深く」
市場の大通り。道の中央を境にして、右側の店と左側の店が互いに客を奪い合うどころか、視線すら合わせようとしない。客が右の店で買い物をすれば、左の店主が露骨に不機嫌な顔をして鼻を鳴らす。そんな光景が至る所で見られた。
宿の主人に話を聞けば、事態は深刻だった。
町を代表する二つの大きな商家が、三年前のある取引をきっかけに絶交し、それが町全体を二分する派閥争いにまで発展してしまったのだという。
「元々は親友同士だったって話だがね。今じゃ、どっちの店で卵を買うかで隣近所の付き合いまで変わっちまう始末さ」
主人の溜息を聞きながら、レインは窓の外を見た。
二つの商家の間には、濁り、捻じ曲がった太い縁の糸が横たわっている。だが、それは腐り落ちてはいない。むしろ、強すぎる執着が糸を黒く染め、互いを縛り付けているように見えた。
翌朝、レインは一人で市場へ向かった。
まず、右側の商家に入る。店主は眉間に深い皺を刻んだ初老の男だった。
「……いらっしゃい。うちは向こうみたいな安物は置いてないよ」
「いい品ですね。こちらを一つください」
レインは丁寧に礼を言い、真っ直ぐに店主の目を見て、淡々と代金を支払った。お世辞も皮肉もない、ただ事実としての言葉。
次に、レインはそのまま向かいにある左側の商家へ入った。こちらの店主もまた、右側の店を睨みつけながら立っていたが、レインは同じように声をかけた。
「いい品ですね。こちらを一つください」
同じ言葉。同じ温度。同じ礼儀。
どちらの肩を持つでもなく、どちらかを貶めるでもない。レインの立ち振る舞いは、激しく対立する二人の間に、一滴の清涼な水を落としたかのようだった。
「……おい、旅人。あんた、向こうの店でも買い物してたな」
左の店主が忌々しげに問いかける。
「はい。良い品がありましたので」
「向こうの主人は、なんて言ってた」
「『いい品ですね』と私が言ったら、少し驚いたような顔をされていました。……あなたと同じように」
レインは静かに一礼して店を出た。
昼過ぎ、市場の中央。荷車がすれ違う狭い道で、二人の店主が鉢合わせた。いつもなら罵声を浴びせ合うか、顔を背ける場面だ。だが、二人は一瞬だけ足を止め、互いの顔を見た。
(……動きましたね)
遠くで見ていたレインの視界で、黒く濁っていた糸の表面が、わずかに剥がれ落ちる。片方の店主が小さく顎を引いた。もう片方も、それに応えるように視線を落とした。
和解には程遠い。けれど、三年間閉ざされていた対話の余地が、一瞬だけ開いた音がした。
「……また、何かやったでしょ」
いつの間にか隣に来ていたリアが、じっとレインの横顔を覗き込む。
「買い物をしただけです。……それより、夕食の材料を買いに行きませんか」
「もう、はぐらかさないでよ!」
リアは納得いかない様子で頬を膨らませたが、それ以上は追及しなかった。代わりに、彼女はレインの袖を掴み、離さないように力を込めた。
「レインがいると、空気が『普通』になるんだよ。……独りぼっちでいるのが、変だって思えるくらいにね」
リアが笑っていた。その指先だけが、レインの袖を離さなかった。
けれど、二人の間にある縁の糸が、ほんの少しだけ太く、確かな輝きを帯びたのを、レインは感じていた。




