第5話:気のせいでは、なかったようです
二人がたどり着いたのは、街道の先に広がる穏やかな小国だった。
国境を越えた先にある町は、収穫祭の準備で色鮮やかな旗がはためき、広場には巨大な焚き火の櫓が組まれている。
「わあ、すごい! お祭りだよ、レイン!」
「……ええ。経済効果もそれなりに見込めそうな規模ですね。宿泊費の高騰が懸念されますが」
「もう、そういうこと言わないの! 楽しもうよ!」
目を輝かせて人混みへ飛び込んでいくリア。レインはその背中を見失わないよう、少しだけ歩幅を広げてついていく。
広場の隅で、祭りの飾り付けの手を止め、苦虫を噛み潰したような顔で立ち尽くす老人がいた。その傍らには、地面に落ちたままの大きな花の冠。
「……どうかされましたか」
レインは歩みを止め、自然に声をかけた。
「……ああ。いや、毎年相棒と二人でこの冠を飾ってたんだがな。些細なことで口喧嘩になっちまって。あいつはもう来ないだろうよ」
老人が力なく首を振る。
レインの視界には、老人の胸から伸びる濁った銀色の糸が見えた。それは広場の反対側、同じように憮然とした表情で酒を煽る別の老人のもとへと伸びている。
糸は絡まり、結び目が固くなっていた。だが、決して切れてはいない。
レインは静かに歩き出した。
酒を飲む老人のもとへ行き、祭りの名物である果実酒を一杯注文して、隣に置く。
「……あちらの方が、花の冠を落として困っていました。お一人では届かない場所のようです」
「……ふん、知るか。あんな頑固野郎」
「そうですか。でも、あの冠を飾らないと、祭りが始まらないような気がして。あの方は、あなたの手助けを待っているように見えました」
レインの声はどこまでも平坦だ。説得しようという意図も、熱意もない。ただ、視界に見える「縁の糸」の震えを、そのまま言葉にしただけだった。
やがて、二人の老人は気まずそうに合流し、文句を言い合いながらも一緒に冠を掲げ始めた。その瞬間、固く結ばれていた糸の結び目が、ふっと解けるのをレインは見た。
「すごい……レイン、今、何したの?」
いつの間にか隣に戻っていたリアが、不思議そうな、それでいて少しだけ警戒するような瞳でレインを見つめていた。
「……何も。ただ、思ったことを言っただけです」
「そうかなぁ……。でも、二人の空気が一気に変わったよ」
夜になり、祭りは最高潮を迎えた。
高く燃え上がる焚き火を囲み、人々が手を取り合って踊っている。リアもその輪に混じり、誰よりも明るく、誰よりも楽しそうに笑っていた。
レインはその喧騒から少し離れた場所に立ち、彼女の姿を追っていた。
火の粉が夜空に舞う中、ふと、リアが踊る足を止めた。
彼女は自分を囲む人々の笑顔を、眩しすぎるものを見るかのように細めた。
「……こういうの、好き」
いつもより低く、少しだけ置き去りにされたような声だった。
その瞬間、レインの感知能力が鋭く反応した。
リアの内側。そこには、数多の人々の中にいながら、誰とも繋がっていない深い断絶の闇があった。複雑に絡まった糸の奥に、彼女が一人で抱え続けてきた「孤独」の形が、微かに、けれど鮮明に浮かび上がった。
レインが彼女の隣へ一歩踏み出そうとしたとき、リアは再び満面の笑みを浮かべて踊り始めた。
まるで、今の一瞬が幻だったかのように。
「……リアさん」
呼びかけた声は、音楽にかき消された。
隣にいるのに、どこか遠い。
繋がっているようで、彼女はまだ、誰とも結ばれていない。
レインは自分の胸の奥に芽生えた、名状しがたい微かな痛みを、どう処理すればいいか分からず、ただ夜空を見上げた。




