第30話:……縁結び師、と
最後通牒の期限が迫る翌朝。首都の広場には、町を埋め尽くさんばかりの人々が集まっていた。
絶望に染まった沈黙が広場を支配し、誰もが隣人の顔を見るのを恐れている。二大国の軍靴の音が、すぐそこまで迫っているかのような錯覚が空気を凍らせていた。
広場の中央、一段高い演壇に昨夜の若き指導者が立った。その背後、影に溶け込むようにレインとリアが控えている。
「……皆、聞いてくれ」
指導者の声が震えている。だが、その瞳には昨夜の怯えはなかった。
「我々は、どちらの大国に従うか、あるいは逃げ出すかを議論してきた。だが、忘れていたことがあった。……我々がこの地で共に耕し、共に笑い、共に守ってきた『時間』のことだ」
レインは静かに目を閉じた。
遺跡で触れたあの感覚。封印の壁に抗い、内側から溢れ出す熱を手繰り寄せる。
(……広げます。この町、すべての人へ)
レインが右手を、誰にも気づかれぬよう微かに持ち上げた。
刹那、視界が白銀の光に塗り潰される。
広場に集まった数千人の胸から伸びる、無数の「縁の糸」。恐怖で煤け、千切れかけていたそれらの糸を、レインの意識が優しく、しかし強靭な力で包み込んだ。
今までで最も広範囲、かつ深い介入。
レインは、一人ひとりの記憶に触れる。隣人の親切。行きつけの店の主人の笑顔。祭りの夜の喧騒。それらの断片を編み上げ、大きな「光のうねり」へと変えていく。
「我々は、どちらの国にも与しない」
指導者の宣言が、広場に響き渡った。
「我々はこの地で、共に生きる道を選ぶ。……それが死への道だとしても、誰かの手下として隣人を撃つよりは、遥かに誇り高いはずだ!」
その瞬間、広場を覆っていた灰色の泥が、一気に吹き飛んだ。
人々の瞳に光が戻る。隣人の手を握り、肩を寄せ合う。恐怖が「連帯」という熱狂へと書き換えられていくのを、レインは感知能力の渦中で見届けていた。
完全ではない。二大国の脅威は去っていない。
だが、この町は死んでいた「縁」を自ら結び直した。その一歩が、何よりも尊かった。
「……すごかった」
広場を離れた路地裏で、リアがレインの顔を覗き込んだ。その瞳には、畏敬と親愛が混じり合っている。
「何をしたの、レイン。みんな、魔法にかかったみたいだった」
「……縁に触れただけです。彼らが持っていたものを、少しだけ思い出してもらったに過ぎません」
レインの右手は、感覚を失うほどに冷え切っていた。だが、胸の奥にある熱は、以前よりも確かに拍動している。
町を出る門の前で、指導者が追いかけてきた。彼はレインの前に立ち、深々と頭を下げた。
「……あなたは何者なのですか。ただの旅人には見えない」
レインは一瞬、躊躇した。
これまでの自分なら「記録係です」と答えていただろう。
(……逃げてはいけない。この人たちが、自分の足で縁を結び直したように)
「……わかりません。ですが、人々は私のことを、こう呼ぶようです」
レインはリアを見、それから指導者を真っ直ぐに見据えた。
「……縁結び師、と」
初めて、自らの役割を言葉にした。
リアが隣で、誇らしげに、そして最高に明るい笑顔で頷いた。




